クビキリ(2稿-12)
12
「何かわかったら、平にも言うよ。地道に頑張ろう」
森巣はそう言って、じゃあ、と軽く手を振り、小走りで去って行った。
森巣ともっと話をしてみたかったけど、二手に分かれた方が掲示は早く終わる。遠ざかり、どんどん小さくなっていく森巣の背中を見送りながら、一息吐き、僕は回れ右をした。
森巣はあの袋小路で何か思いついた様子だった。もしかしたら、他の現場に行けば森巣のように何かを気付けるのではないだろうか、そんな考えが浮かぶ。
同級生に差をつけられた、と悔しい気持ちがあるわけではないが、同級生にできることなら、僕にももっとできることはあるのではないか、という気がした。役に立てることがあるならば、やっておきたい。
僕は町の掲示板にチラシを貼りながら、三体目のクビキリが置かれた小学校の前にやって来た。三体目のクビキリは、世間的には一番衝撃的な事件だろう。
三体目が発見される一週間前、小学校から白い兎が一羽行方不明になっていた。生徒が小屋の鍵を閉め忘れたせいで脱走してしまったのかと思われたが、違った。兎は、頭だけの状態で、小屋に帰って来た。
犯人は、変り果てた姿で戻ってきた兎を発見し、阿鼻叫喚する子供たちを、少し離れた場所から見ていたのだろうか。それとも、その光景を想像しながら優雅に紅茶でも飲んでいたのだろうか。
どちらにしても、おぞましくて寒気が走る。ぶるっと身震いが起こった。
フェンス越しに見える、校庭でサッカーをしている小学生たちを横目に、学校の周りをぐるりと回る。ボールを追いかけ回る無垢な動きは、眩しく、エネルギーに溢れていて、安心した。
校舎の隅にある、トタン屋根の飼育小屋の前で立ち止まる。
学校を囲むフェンスは越えられない高さではないから、犯人はここを乗り越えて、飼育小屋の鍵を壊し、兎を連れ去ったのだろうか。
小屋の中に動物の気配はない。空の飼育小屋は寒々しくて、胸を潰すような寂しさがある。まさか、他の兎も殺されてしまったのだろうか? 空っぽの小屋を眺めていたら、水中に沈んでいくみたいにぼーっとしてきた。
生きているものは、いつか死ぬ。
死んだものがいるけど、僕はまだ生きている。
殺された兎のいた小屋を僕は見ている。
殺された兎のいた小屋を見ている僕を誰かが見ているような気がした。
意識の中で誰かと目が合ったような恐怖感を覚え、ぞわっと鳥肌が立ち、慌てて振り返る。
だが、道路には誰もいなかった。
「すみませーん、どうかしたましたかー?」
校庭の方から声が聞こえ、はっとする。
「もしもーし、どうかしましたかー?」ともう一度聞こえ、向き直る。
ふくよかな体型の女の人が校庭に立っていた。眼鏡を触りながら、不審そうにこっちを窺っている。おそらく、この学校の先生だろう。
「すいません。ちょっと近くに寄ったんで様子を見に来たんです」
「はぁ、なんのですか?」
クビキリの調査の、という説明をしたら逆に怪しまれてしまうぞ、と思い「ここの卒業生なんですけど」と咄嗟に口から嘘が飛び出た。
「飼育小屋から兎が盗まれて、酷い事件があったと聞いて。その、僕は係でよく餌をあげていたので」
僕が卒業生だと聞いて、相手の緊張が解けたのがわかる。眉間の皺が消え、口調も柔らかいものになった。
「卒業生なのね。そうなの。去年から飼い始めた、パランちゃんていう白兎で、みんなで可愛がってたんだけどね……」
「酷いことをする奴がいますね」
「本当に。どうして、あんなことができるのかしら。子供たちはみんな悲しんでる。カウンセリングを受けてる子もいる」
「子供の気持ちを考えられないんですかね」
「だけど、犯人も元小学生なのよね」
「元小学生」
そう口にしながら、考えを巡らせる。僕もこの先生も、元小学生だ。昔はみんな同じだったのに何故、虐げる側と傷つく側に分かれてしまったのだろう。それとも、犯人は小学生の時から既に何か酷いことをしていたのだろうか。
「小学校にいたとき、生き物は大切にしようっていうことは教えられるけど、ちゃんと伝わらなかったんんだなあって思っちゃうわね」
「伝えると教える」咀嚼をするように、僕は先生の言葉を繰り返す。
「いくら口で言っても、ちゃんとわかってもらえなきゃね」
「でも、先生に責任はないでしょう」ましてや、あなたは犯人の担任じゃなかったでしょうに、と慰めたくもなった。
「それでも、学校でそういうことを学べる機会はあったと思うのよ」
「思いやりとかをですか?」
「そうね。他人に優しくしようとか、命を慈しもうとか」
「学校の勉強じゃ、ダメなんですかね。そういう犯人の思想を正す為には」
「道徳とか国語とかもあるけど、お勉強だけじゃだめなのかもね。学習もしないと」
「勉強と学習は違うんですか?」
「勉強はやらされるものだけど、学習は自分から学ぶことなの。犯人は、もっといろいろと学ぶべきだったのよ。教科書とか黒板に書かれていないことを、ね。先生や友達との中で、学べればよかったんだろうけど」
「他人を思いやる気持ちを、どうやったら学べるのか」
「難問ね」
思考の行き止まりだ。また、壁にぶち当たっているような気持ちになる。
「わたしたちが本当に伝えたいことって、うまく教えられないものよね」
元小学生の僕は考える。
僕が人に優しくしようと心がけているのは、妹と母親がいるからだ。
もし、家庭が違っただろうだ? 動物を殺すような人間にはならないと思うけど、もしかしたら弱い者いじめをするような人間になっていたかもしれない。そう考えたら、ぞっとした。
「まっ、わたしはそれでもがんばるけどね! ちゃんと伝わりますように、って丁寧に教えるわよ」
「心強いです。なんだか励まされた気持ちになりました」
自分が伝えたいことを伝えられるのか? 間違っていると思うことを変えられるのか? 疑問や不安は立ちふさがってくる。でも、地道に、腐らず、できることをする、それしか道はない気がした。
「せっかく様子を見に来てくれたのに、ごめんね。危ないから兎たちはケージに入れて、職員室の中に移動させたの。飼育小屋だと、散歩の途中に近所のお年寄りが見れてよかったんだけど」
残念そうに先生は言い、溜息を漏らした。が、僕は他の兎は生きていることを知れて、ほっとした。
そのとき、先生が急におや、と眉を上げて僕をまじまじと見始めた。何かついているだろうか、と顔や制服を検める。
「あなた、湊第一高校みなとだいいちこうこうの生徒さんじゃない?」
「そうですけど」
「ああ、いい高校なのねぇ」と一人で何かに納得した様子でうんうん頷く先生に、「なにか?」と訊ねる。
「頭だけになったパランを見つけてくれた子も、湊一高の生徒さんだったのよ」
「登校して来た小学生が見つけたんじゃないんですか?」
「違うわよ。湊一高の生徒さんが見つけて教えてくれたの。早朝のジョギング中に通りかかって、気づいたんですって。ちょうどあの日、わたしは採点とか授業の準備があって早くから学校にいたの」
先生の口調が、段々うっとりとしたものに変わっていく。
「来てくれた子、しゅっとして、すごく綺麗な子だったわねえ。男の子なんだけど」
ふっと、周りの気温が下がったような、嫌な予感を覚えた。
まさかと思いつつ、おそるおそる口を開く。
「もしかして、森巣って名前じゃありませんでしたか?」
「そう、森巣くん。あなた、お友達なの? イケメンで、礼儀正しくて、みんなにもあんな風に大きくなってもらいたいわねえ」
先生の言葉が頭のなかでもやとなり、包み込んでくる。
わからない。
森巣もクビキリの発見者?
だとしたら、どうしてクビキリについて知らないフリをしていた?
何故、僕に嘘を吐いていたんだ?