クビキリ(2稿-11)
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事件現場に足を運んだことで、僕は自分がどこへ向かい、何をすべきなのかがわからなくなってきた。
瀬川さんから情報を引き出すことはできた。だが、それと同時に、深く関わるということは、責任感が自分の肩に乗しかかるのを感じていた。犬を探すためには、拐った不思議な手口を明らかにしなければならない。だけど、僕に何ができる?
家の前まで送り届けた頃には、瀬川さんは落ち着きを取り戻していた。僕たちに礼を言ってぺこりと頭を下げ、家の中へ帰って行く。僕らが動くから、今日はもう休んで欲しいとなかば懇願するような形で、瀬川さんを説得した。
瀬川さんの家は、やっぱり大きくて立派だった。だけど、四人と一匹がいるから幸せなのであって、理不尽に家族が欠けている今は、空いたスペースに寂しさが侵食しているのだろう。
僕と森巣の手には、瀬川さんから託された町の掲示板に貼るためのチラシが握られている。地道に情報を収集し、探すほかあるまい。
でも、その前に、だ。森巣と話したいことがあった。
「森巣は何かわかってるの?」
隣に立つ森巣に向き直り、尋ねる。
すると、森巣は「まあ、少しね」と頷いた。が、どこか歯がゆそうな表情をしている。
「でも、まだ人に言える段階じゃないんだ」
「どうして瀬川さんにクビキリの話をしたんだい? 不安がらせる必要なかったじゃないか」
「ちょっと知りたいことがあったんだ。あそこまで怯えさせるつもりはなかった。それは反省しているよ。でも、わかったこともある」
「何がわかったの?」
「これもまだ言えないんだ。悪いね」
森巣がそう言って、肩をすくめる。言えない段階でも教えてもらいたかった。僕を安心させて欲しかった。が、ぐっと我慢する。きっと、問いただしてもはぐらかされてしまうだろう。そういう有無を言わせぬ語気があった。
「平、少し歩こうか」
そう言って歩き出したので、森巣の隣に並び、夕暮れ時の街を歩く。瀬川さんに対する発言に不満がないわけではないけど、チラシ貼りを手伝ってくれるのは心強かった。
「そう言えば、さっきは悪かったね。瀬川のことは取らないから、安心してくれよ」
「瀬川さんを取る?」
わけがわからず、尋ね返す。
「好きなんだろ? 瀬川のことが」
「僕が? 瀬川さんを?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。森巣が、「え? 違うの?」と目をぱちくりとさせる。僕は大袈裟にぶんぶんと首を横に振る。
「別に恋愛感情で動いているわけじゃないよ。瀬川さんは良い人だから、好きではあるけれど、そういうんじゃない」
「へえ、そうなのか。てっきり、瀬川の気を引きたくて犬探しを手伝っているのかと思ったんだけど」
「全然違うよ。言ったじゃないか。僕は放っておけなかっただけだよ」
「本気で言ってる?」「本気だよ」
そう言いつつ、それだけだろうか? と改めて考えみる。どうして僕はここまで瀬川さんの為に、役に立とうと思っているのか? と自問する。
例えば、他の同級生でも、同じように動くか?
……僕はきっと同じように動く。
「妹がいるって話をしたよね」
「俺には会わせたくない妹だよね」
「いつか紹介するよ。静海しずかって言うんだけどね、下半身不随で車椅子生活なんだ」
頭の中で静海を思い浮かべる。静海は、日向を思わせる柔らかい笑顔と、丈夫な車椅子がセットになっている。
「妹は行きたいところにすぐに行けないし、行けないこともある。それだけじゃない。さっきのカフェだっておしゃれだったけど、入り口がバリアフリーじゃなかったから、誰かの助けがないと入れない」
これではただのバリアフリー談義になってしまうぞ、と思い、まとめようと頭の中で言葉を畳む。
「この社会は、弱い人の為にはできていないんだ」
「弱い人の為にはできていない」
森巣が、僕の思考をなぞるように、復唱する。
「石とか、ゴミとか、小さな溝でも、油断すると静海の怪我に繋がることもある。でもね、そんなことよりも嫌なことがある。それは--」
「人間か」
森巣がずばり正解を言うので、僕は目を丸くする。
でも、その通り、と首肯した。
「車椅子の妹に、邪魔だとか鬱陶しいとかって因縁をつけてきたり、邪険に扱ってくる人たちがいるんだ。妹は何も悪くないのに」
「社会は、弱い者に厳しいからな。誰もが優しいわけじゃない」
「その通りだよ。綺麗事ばかりじゃない。だから、僕は子供の頃から母親に言われてきたんだ。『誰よりも、優しくなりなさい』って」
子供の頃、僕は妹が苛められたり、仲間はずれにされたり、当たられるのが嫌だった。その不平不満を、母さんにぶつけた。どうしてみんな妹に酷いことをするんだ、と。すると、母さんは屈んで僕の目をまっすぐ見て、こう言った。
「優しくなりなさい」と。
どうして? とも思ったが、年をとるにつれて僕は母親の意図が、だんだんとわかるようになってきた。優しい人であれば妹にひどいことはしない。優しい人になれば、妹のような困っている人に手を差し伸べられる。だが、優しくなるには、人としての強さが必要になる。それがとても険しい道であると感じながら、今も生きている。
「優しが平の強さ、か」
「僕はまだまだ強くないよ。ただ、指針にはしてるんだ」と口にする。
どうするか迷ったら、他人の為になる方へ、針の指す方へ進め、と思っているだけだ。そしてそれは、困りごとを見て見ぬ振りができない僕の性分に合っていた。
「ちょっと平のことを誤解していたよ。平はいい奴だな」
「瀬川さんの為に力を貸してくれて、森巣だってそうじゃないか」
「瀬川の為っていうのもあるけど、俺は弱い者いじめが許せないんだよ」
クビキリ、弱い小動物を一方的に手にかけるひどい人間、森巣はそれを許せないのだろう。困っている人が放っておけない僕、弱い者いじめが許せない森巣、僕らは少し似ているのかな、と感じるのは僕だけだろうか。
「ところで、平はクビキリを見たんだよね?」
「うん、あれは本当に、嫌な夜だった」
僕は瀬川さんに聞かせたくないから、二人きりの時に言ったのに、と思い出して少し口調が尖る。
「犯人の意図はなんだろうな。どうして町に置いているのか」
「意図なんて……言い方は悪いけど、捨てただけじゃないの?」
「いや、平の話だと、わざわざ人目に触れる場所に置いているんだろう? 犯人はクビキリを人に見せたいんじゃないかな」
「なんだか悪趣味だね」
弱い者に手をかけて、自分の嗜虐性を満たし、残酷なものを他人が見ることによって興奮しているのだとしたら、最悪だ。ぞっとする。
「なあ、平はクビキリを見て、何を思った? どう感じた?」
「その質問は二回目だ」
「二回目?」
「職員室で柳井先生にもされたよ。『クビキリを見て何を感じたか?』って」
「で、なんて答えたんだ?」
なんと答えたんだっけ? 思い出す癖で空を見上げる。巨大な雲が地上の蓋をするように浮かび、移動していた。記憶に蓋がされてしまう前に、やりとりを口にする。
「命は、理不尽な終わりを迎えることもあるんだ、そう思ったよ」
「なるほどね」
ぽつりと森巣が呟く。満足いく感想ではなかったかもしれない気がして、
「もちろん、理不尽に奪われていい命なんてない、と思うけどね」
とコメントを付け足す。
これは胸を張って言える本心だ。
テレビやネットでは、横浜や、日本や、世界で事故や事件のニュースが起きていると流れてくる。どうしてこんな、と思う。防ぐことはできなかったのか、何故こんなことが起こったのか、と途方に暮れることがある。
「どうしてその質問を?」
「平の目からはどんな風に見えたのかちょっと気になったんだよ」
「僕の目?」
「平は目が良いからさ」
「まあ、両目とも二・〇なのが自慢だけど……あれは、残酷で嫌なものだったよ」
ぱっと、クビキリを、白猫をフラッシュバックし、追い払うようにかぶりを振る。
森巣を見ると、彼は微笑みを浮かべながら歩いていた。だがそれは人を安心させるための表情で、きっと彼の本心からの顔ではない気がする。クビキリをしている犯人に対する怒りは彼の中でもふつふつと湧いているのだろう。頭の中で、どんな考えを巡らせているのだろうか。
森巣良、不思議な同級生だ。爽やかで人当たりが良く、行動力もあって頭も良さそうだ。だけどまだ、彼が何を考えているのかは計り知れない。
それじゃあ、二人でそれぞれチラシを分担して掲示していこう、という話になり、森巣と別れた。