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強盗ヤギ(初稿ー8)

       8

「助けてくれてありがとう」

 森巣がグラスを持ったまま固まり、不思議なものを見るような目を僕に向けて来る。

「柳井先生の家で、森巣が助けてくれなかったら、僕はどうなっていたか。もっと早くに、お礼を言いに行くべきだった。ごめん」

 やっと言えた。母親から、人に優しくしなさい、と教わってきたが、感謝の気持ちも忘れてはいけない、と言われてきた。だから、森巣に向き合ってお礼を言わないで日常を過ごすことに、罪悪感を抱いていた。

「ああ、あのときのことか。あれは……」森巣がそこにあの日を見るかのように宙を眺めると、思い出し笑いを噛み殺すように、肩を震わせながら「予想外だった」と漏らした。

「会って間もない平が俺に挑んで来るとはな」

 かっと自分の耳が熱を持つのを覚える。見当はずれの推理をし、森巣に「君が犯人だろ」と問い詰めたのは、思い出しても恥ずかしいことだった。その節は申し訳ありませんでした、と頭を下げる。

「よせよ。平の勘違いのおかげで、柳井がボロを出したんだから、よしとしようじゃないか」
「そう言ってもらえたら」大きく息を吐き出し、「気持ちが楽になる」と続ける。

「俺の邪魔をしたのは若干むかついたけど、あのとき柳井に立ち向かった平は、勇敢だった」

 申し訳ないやら、むず痒いやらという感じで、どう反応を示していいのかわからず、とりあえずかぶりを振る。

「柳井に殺された動物たちの無念を晴らせなかったのが残念だ。殺された犬の為にマフィアを壊滅させる映画もあるのに、現実の俺は力が及ばなかった」
「逮捕はできたじゃないか」
「柳井が塀の中で生きていくなんて、俺には許せないね」
「気持ちはわからないではないけど」

 人間であろうと、動物であろうと、命は命だ。自分の欲望を満たす為に命を奪った奴が生きている、というのはおかしいなとは思う。法律や社会秩序という理屈はわかるけど、まだ感情で飲み込むことはできていない自分がいる。嗜虐心をむき出しにした笑みを思い出し、隠していた怒りがこみ上げてきた。

「次はちゃんと計画的にやる」と森巣がどこまで本気なのかわからないことを口にしていたら、オーナーがコーヒーとアップルパイを運んで来た。

 ありがとうございます、と礼を言い、フォークを手に持ち、食べる準備をする。自分が思っている以上に空腹だっったようで、アップルパイを見ただけなのに口の中で唾液が湧いた。

「早速、食べてみようじゃないか」

 パンの中がオレンジ色の夕張メロンパンもあるし、青林檎のアップルパイも中が黄緑がかっていたりするのではないか? と少し期待していたけど、そういうわけではなさそうだ。格子状のパイに蓋をされ、中には飴色をした青林檎が覗いていた。

「だね、いただきます」

 フォークを伸ばし、パイ生地を崩し、一口サイズに乗せて口に運ぶ。
 思わず目を剥き、もう一口、とフォークを伸ばした。

 青林檎とシナモンの香りが口の中いっぱいに広がり、舌の上を林檎が滑る。爽やかな香りがして、キャラメルの甘さと共に鼻を抜けるのが心地良い。青林檎はくたくたし過ぎず、しゃりっとした食感が楽しい。パイ生地の優しいバター風味が、味をまとめている。

 口の中で音楽が鳴るような美味しさだった。

「美味いな、ビートルズの青林檎は」と森巣も耽溺した様子で、何かに同意するように小さくうなずきながら、アップルパイを口に運んでいる。
「ねえ、楽観的な話をしてもいい?」
「食事中だからな。悲観的な話よりはいいと思うぞ」
「ビートルズが初めてアメリカに行ったとき、エド・サリヴァン・ショーっていうテレビに十四分間出演して、五曲を演奏したんだ。視聴率は六十パーセント、七千五百万人が見ていたと言われている」
「強盗ヤギは四百万再生だから、ビートルズの足元にも及ばないな」
「でも、すごいことは他にある。ビートルズが演奏している間、アメリカで青少年の犯罪が0だったらしいんだ」
「平、まさか音楽の力で、犯罪をなくしたり、世の中を平和にできるとか考えてるのか?」
 その通り、と思いつつ返答に窮していると、森巣は「それは、あまりにも」と苦笑した。
「楽観的だろ」
「だから、最初にそう言ったじゃないか」

 ごかますように鼻の頭をかく。顔を見て話すのも恥ずかしく、テーブルに置かれたコーヒーカップを見つめながら話を続ける。

「僕が言っているのは、青臭い、理想論だよ。だけど、人が作ったもので、人は変わることができる。そういう祈りが込められていて、音楽も映画も作られているんじゃないかな。だから、みんなも強盗ヤギの動画なんて見ていないで、何か作品に触れるべきだと思うんだ。そうした方が、世の中は良くなる気がする」

 これは、最近ずっと、胸の中に抱えていた考えだ。だけど、動画を見る人を批判する内容とも思えるので、みんなに話さないでおく自制心はあった。それでも、誰かと話をしたかった。スッキリと言えば大げさだけど、打ち明けることで、心が少しだけ軽くなった気がする。

「『雨に唄えば』を歌いながら家に押し入って暴力を振るう映画も、『ロンドン橋落ちた』を歌いながらバスジャックをする映画もあるけどな」
「それは映画の話でしょ、現実とは違う」

 むきになって反論をすると、すっと右手が差し出された。細く長い指が機械的に折りたたまれ、手招きのような仕草をしている。

「何?」と顔を上げて森巣を見る。
「平の音楽を録音したやつとか持っていないのか?」
「あるけど」
「聞かせてくれよ」
「どうして?」
「どうして?」この世で一番不思議なことを聞いた、とでも言わんばかりに森巣が怪訝な顔をする。

「平の音楽を聴きたくなったからに決まってるじゃないか」

 その口調からは、大層なことを言う僕の腕をみてやろうとか、そういう類の意地の悪さは感じられず、純粋に音楽を聞きたいからだという印象を受けた。青林檎の話をしていたから青林檎を食べたくなり、この店にやって来たのと同じだろうか。

 家族以外に音楽を聞かせたことはない。自分の心を晒すような、寒々とした心細さと熱い羞恥心を覚える。だから、僕はギターをいじっているのに学校での軽音部にだって入っていないのだ。

 だけど、ここで嫌だと言うのは、間違っていることに思えた。本当の森巣を教えてほしいと思っている自分が、本当の自分を隠すのは誠意に欠ける対応だ、と指摘してくる声が聞こえる。

「絶対に、笑わないでよ?」

 そう言いつつ、バッグの中にしまってある音楽プレイヤーを取り出す。ぐるぐる巻きにされているイヤフォンをほどきながら、ボタンを操作し、自分の曲のプレイリストを画面に表示し、森巣に差し出した。

「再生を押せば流れるから」

 森巣はうなずき、イヤフォンを両耳にはめ、プレイヤーの再生ボタンを押した。「その曲はこないだできたばかりで、歌詞はまだ」と説明をしようとすると、森巣は右手を僕に向けてきた。人差し指を立て、「静かに」と訴えてくる。

 嗜められ、身体を引く。森巣はぼうっとした顔つきになり、宙を眺めていた。晴れた夜に、星空に見入っているような穏やかな顔をしている。こっちは、心の中を覗き込まれているようで、居心地が悪い。

 ふっと森巣の口元が緩んだので、笑わないでと言ったのに! と文句を言おうと思ったがすぐに飲み込む。森巣はわずかに身体を揺らし、リズムを取っていた。メロディに揺られ、音を楽しんでくれているようで、ほっと胸を撫ぜ下ろす。

 ちょうどそのとき、ぶぶぶとテーブルの上に置いてある僕のスマートフォンが震えた。手に取り、確認すると、メッセージアプリに家族から連絡が入っていた。帰りが遅くなることや夕飯を外で食べていることの連絡を失念していた。

『遅いけど、帰りは何時?大丈夫?』と母親。
『わからない、多分もう少しくらい』と僕。
『ハッキリしてない』『お兄ちゃんには主体性がないよね』と母親と妹。

 家族は僕のことをよくわかっている。僕に主体性がないのは、母親の教育のせいではなく、元来の性格なので、僕は『ごもっとも』と送り、『友達とアップルパイを食べているので、夕飯はいりません』と付け足す。

『誰?』『もしかしてデート?』『デートなの?』『そりゃデートでしょ』『ファイト!』

 可愛らしいキャラクターのスタンプが妹と母親から送られてくる。仮にデートだとして、『ファイト!』という応援はいかがなものか、と苦笑する。戦いではなく、安息が欲しい。

 友達とだよ、と返信を打っていたら、別のメッセージが飛んで来た。操作を中断し、そちらのメッセージを開く。送信者は森巣だった。本文を読み、こめかみと眉間がぴくりと痙攣する。

『落ち着いて読んでくれ。閉店時間が近いから、もうそろそろかもしれない』

 なぜスマートフォンでメッセージを? と思いつつ、『何が?』と返信する。

『強盗ヤギがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』

 顔を上げて森巣を見ると、相変わらずイヤフォンで僕の音楽を聴き、心地好さそうな表情を浮かべながら、親指だけを忙しなく動かしていた。
 スマートフォンが手の中で震え、新たなメッセージが届く。

『もし来たら、俺は注目を集める。平はそのとき、俺を見ないで周りの人間を観察していて欲しい。これは、絶対にだ』

 冗談には思えなかった。ふっと店内の気温が下がったように、怖気を覚える。急に、知らない場所に放り込まれたような心細さを覚え、ざわざわと胸騒ぎがし、心臓が早鐘を打ち始める。
 混乱した僕は、直接訊ねればいいのに、スマートフォンを操作し、一生懸命質問を作成する。

『お兄ちゃんファイト!』

 妹からメッセージが届くのと同時に、入り口のカウベルが鳴った。

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