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第40話「運命を支配したような気持ち」

        ジャック12

 この展開を誰が予想できたであろうか。針ケ谷さんの顔をちらりと窺うと、楽しそうに頬を緩めていた。純粋に、この展開にほっとしたのだろう。

 天宮さんと狭間くんが仲たがいしていたことを、気にしていたのだろう。他人が幸せそうにしているのを見て、嬉しそうにしている横顔に私は針ヶ谷さんは優しいなと思った。

 そして、思う。ああして正面から二人で向かい合えるということは、やはり幸せなことなのだろう。

「氷見、君が馬鹿にしているみんなはね、面白いんだよ。君の想像を簡単に超えるくらいにね」

 氷見は狼狽することなく、じっと外の光景を眺めていた。けど、奥歯を噛み締め、平静を装っているのが私にも伝わってきた。

「敗因は、人間を表面でしか見なかったことだ。人間は合理的じゃないし、複雑なんだ。だからぼくは人間を好きになれた。信じられた。それがぼくと君の違いだね」

 針ヶ谷さんの言葉を受け、氷見がじっと私たちを見る。一瞬、憤怒の感情が垣間見えた。だけど、切り替えが早いのか、すぐに冷めた表情になった。

「俺はこれで済ませるつもりはない。キッチリ報復はさせてもらう。写真をばらまいてやる。祝福ムードは一転するだろう。転落を見るのは、みんな大好きだからな」

 外で祝福の拍手の雨に打たれているが、笑みを変えて石を投げつける姿を想像するのは、たやすい。氷見のいうとおり、みんな転落を好きなのも事実だ。会ったこともない芸能人の不倫や浮気を、騒ぐくらいに、みんな暇で低俗だ。

氷見は、ドミノを一つ倒すだけだ。そういう気持ちは、勝手に伝染する。

「手出ししたら、ぼくたちが、氷見のしてきた真相をばらすよ?」
「お前たちと俺、みんなはどっちを信用すると思う?」

 氷見が鼻で笑う。

 その時だった。大きな音を立てて教室の扉が開いた。

「失礼、緊急ミーティングはここかな?」

 はっとし、振り返ると、教室に三人の生徒がやって来た。

 小柄であどけない表情の兎耳山さんが、「やーやー」と我々に手を振っている。彼女とは対照的な、体格が良いしかめ面をした百目木さんがゆったりと室内を眺めている。

 中央にいる大きな眼鏡を掛けた、小太りの生徒は見たことがない。度が強いメガネをかけていて、目玉が大きく見えた。

「何かご用ですか?」

 氷見が好青年の仮面をつけ、警戒心を滲ませながら、問いをぶつけた。

 中央にいる彼は、どちらかというとクラスの隅にいるタイプの人に見える。おどおどし、体育でペアを作れと言われたら、困るようなタイプだ。

 だけど、私は、本能的に察知していた。危険だと全身の毛が総毛立っている。

「あなたですね? 天宮静香さんを脅したのは」

 中央の男子は氷見を見据え、そして歩み寄ってきた。革靴が地面を蹴る音が、嫌に響く。

「なんのことですか」

氷見が困惑した表情を浮かべると、「おい!」と百目木の声が響いた。

「ジャクソンが質問してんだ。質問に質問で返すんじゃねえよ」

 薄々感づいてはいたが、この人が、ジャクソンなのか? ぱっと見、地味な普通の生徒じゃないか、そう驚かずにはいられない。

「百目木くん、人前でその名前を呼ばれると、すごく恥ずかしいですよ」
「すまん、若村《わかむら》。ところでお前、芳香剤の匂いがぷんぷんするぞ」

 それでジャクソンなのか、と合点がいったとき、兎耳山さんがちろっと舌を出した。命名は彼女なのかもしれない。

「文化祭って苦手なんですよ。親を任されたことは光栄でしたけど。それよりも佐野さん、電話ありがとうございます。しっかりと彼の告白を聞かせてもらいましたよ」

 若村がそう言って、丁寧に私にお辞儀をした。

「いえ、こちらこそ。ご協力感謝します」

 針ヶ谷さんが、私をちらりと見る。どういうことか? と顔に書いてあった。

「実はスマホをずっと通話状態にしていたんだ」

 詳しいことは後で説明するよ、と告げる。

「氷見さん、親が僕みたいな奴だとわかったから、そんな顔をしているんですか? 傷つきますよ」

 はっとしたが、若村の視線はずっと氷見に向いていた。

「いけてない、モテなさそう、ダサい、それだけで弱いと判断したんですか?」
「そんなこと、思ってないですよ。それより、誤解をしてると思いますけど」
「大丈夫です。みんなからどう思われていても。僕には百目木くんと兎耳山さんがいますし、二人のことを信じています。だから、その虫酸が走る好青年の演技は不要ですよ。もうバレていますからね。バレているのに、その演技をするのは馬鹿がすることですよ」

 氷見の神経を逆撫でしているのがわかる。ちらりと伺うと、針ヶ谷さんはその正体を見極めるように、じっと若村を見つめていた。

「お前ら、俺に何の用だ」
「自分が何をしたのかを覚えていないんですか?」
「しょうがないよ、わかってないんだから。ホラ、自分が一番賢いんだって思ってる顔をしてるもん」

 兎耳山が跳ねるように歩きながら、氷見の顔を覗き込んでいる。屈託ある、いやらしい笑顔を浮かべていた。

「天宮静香を脅迫しただろ?」

 百目木が、低くて通る声で言った。

「なんのことですか」

 百目鬼の迫力には気圧されているようで、氷見は眉を曇らせた。

「偽ジャックもお前なんだろ。楽しんでくれたみたいじゃねえか」

 氷見は黙って、百目木を睨んでいる。否定をしないということは、肯定ということになるがそれでも、相手の動向を見極めている。

「さあ、どうだろう。だとしたら、どうする?」

 開き直る氷見に、百目木はやれやれと首を横に振った。

 その瞬間、百目木が右の拳を素早く氷見の腹部にねじ込んだ。

 乾いた空気を吐き出し、お腹を押さえ、喘ぎ、悶えながら氷見が床に両膝をつく。

 若村が歩み寄り、氷見を見下ろした。

「ギャンブルで重要なのは、なんだと思いますか? 経験? 掛け引き? 読み合い? 準備? 騙し合い? 協力? 暗躍? 頭脳プレイ?」

 若村が、あなた方はどう思いますか? と訊ねるような視線を、僕と針ヶ谷さんに向けてくる。なんだろうか? と考え始めや矢先、兎耳山が「三、二、一」と手拍子を打ってきた。

「フェアネス」

 針ケ谷さんの答えを受けた若村が、目を見開いて、ゆっくりと拍手を打った。

「フェアネスと答えるあたり、さすがですね。正しい推理可能な情報がないと、探偵は推理できませんもんね。僕も針ヶ谷さんと同様に、ギャンブルに必要なのは、大きな何かの流れや、公平さだと思っています」

「随分良心的なことを言うじゃないか。賭けを取り仕切ってるなら、相応しくない発言に思うけどね」

「もちろんわかっていますよ。実際のギャンブルは、公平ではないものが多いですから。どのギャンブルにも、タネと仕掛、表と裏があって、親が勝つようにできているみたいです。だけど、それじゃあ、ねえ。あまりにつまらないじゃないですか」

「では、人は何故ギャンブルにハマるんだと思いますか?」

 と若村は更に訊ねてきた。これには、針ケ谷さんがすぐに返答をする。

「脳の中が興奮状態になって、ドーパミンが放出されるから」
「針ケ谷さんは人が何故人を好きになるのかも、DNAがとか言うつもりですか?」

 針ケ谷さんなら、そう答えるだろうな、と笑いそうになったのをぐっとこらえる。

「僕が思うに、それは運命を支配したような気持ちになるからです」

 その発言に、私と針ケ谷さんはきょとんとしてしまう。

「誰も知らないであろう出来事、運命を予想し、そしてそれを的中させる。確率が低ければ低いほど、それを的中させたとき、恍惚とする。その、自分が運命を支配したような錯覚を求めて、人はギャンブルをする。だからこそ、価値が上がるんだと思うんです」

「君は運命論者なのかい?」
「まさか。運命通りだったら、僕は友達がいない、ぼっちですよ。必要なのは勇気です」

 そっと氷見が立ち上がり、駆け出した。そこに兎耳山が足を掛けて転ばせると、百目木が舌打ちをして、氷見の脇腹に蹴りを入れた。氷見が再び呻き、短い悲鳴をあげてのたうつ。

「氷見を、どうするつもりなんだい?」
「これから緊急ミーティングを開くよ」

 緊急ミーティング、と聞き、氷見が体をびくっと震わせた。

「大丈夫だよ。殴ったり蹴ったりとか、そういうことはもうしないから。多分。まあ、跡が残るようなことは、ね」

 兎耳山がしゃがみ、氷見の顔を覗き込む。

「ただ、恥をかいてもらおうかな。傷と同じで、恥も一生消えないからね。いつでも、お前を地獄に落とせるぞっていうような恥。プライドが高そうだから、恥辱にまみれてもらおうかな」

 三人とも、嗜虐性のある表情を浮かべてはいなかった。ただ、やるべきことをする、という冷淡な顔をしている。

 針ケ谷さんをちらりと見ると、苦笑しながら首を横に振った。氷見を助ける依頼なんて誰からも受けていない。

 若村が窓のそばに移動し、外を見ている。校庭ではハートのキングのイベントも終わり、そろそろ後夜祭の準備が始まる頃だろう。

「しかし、僕たちは揃いも揃って」

 と振り返り、教室にいる面々を見渡した。

「人と遊ぶのが下手ですね」

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