クビキリ(2稿-3)
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傍に立っている男子生徒を見て、思わず息を呑んだ。
彼の白と黒が印象的だった。傷やにきび跡の一つもない白い肌、そして対照的な濡れ羽色をした柔らかそうな髪をしている。僕を見下ろす彼と視線がぶつかる。切れ長の二重瞼をしていて、冷たくも温かくもある印象を受けた。同情するように目を細め、安心を誘うような笑みを浮かべる。
中性的な顔立ちなのだが、精悍な男らしさがある。イケメンと言うには言葉が安い。男の僕でもはっとするくらい、整った顔立ちをしていた。
「大丈夫? じゃないよね。見てたから」
僕は「ああ」とか「うん」とか曖昧な言葉を返す。なんて言ったらいいのかわからなかった。クラスは違うけど、彼のことを女子が格好良いと噂しているのを聞いている。芸能人に話しかけられたような、そんな当惑を覚えた。
これが僕と森巣良もりすりょうとの出会いだった。
「なんだよ、お友達か?」
「いや、彼とは初対面ですけど」
「じゃあ、正義の味方気取りってわけか」
「自分が悪って認めるんですね」
カチンときたのか、今まで飄々としていた茶髪の表情がカチンと音を立てるように固まった。そのまま、左右に体を揺らしながらにじり寄っていく。
「何? バカにしてんの?」
「バカにはしてませんよ。バカみたいだなとは思いましたけどね。先輩方、後輩をいじめて楽しいですか? いや、楽しいんでしょうね」
森巣が淡々とそう言うと、細眉も加勢するように茶髪に並んだ。まずい、危ない、と僕も慌てて立ち上がる。それぞれが並び、二対二の構図になるが、この場を収める方法は思い浮かばない。
「死にてえのか?」
茶髪が森巣の胸ぐらを掴み上げた。森巣の方が身長がやや高く、動じた様子を見せていない。怯えた様子もない。胸ぐらを掴まれたことで、見下すように二人に視線を向けていた。「いえ、まだ死にたくはないですね」
「痛い思いをしたくないだろ?」
「先輩たち、俺のことを殴るんですか?」
「それはお前の態度次第だっつうの」
「三年って学年主任は鬼谷きたに先生ですよね。怖いって評判ですけど、本当ですか?」
「鬼谷が何か関係あんのかよ?」
「先輩が殴ったら、俺はその足で職員室に行きます。それで、校内で暴力行為があったと鬼谷先生に報告します。生徒手帳の三十四ページに書いてありますからね。『暴力行為はことのいかんと問わず禁ず』って」
「せんせぇ、せんぱいに殴られましたよおって泣きつくわけか」
茶髪がにやにやと、小馬鹿にするように演技じみた口調で言う。森巣はちらりと見て、「泣きはしませんけど、ただ、報告をします」と続けた。「生徒手帳十六ページの退学項目には『暴力行為を働いたと認められる者』ともあります。一発で退学ってことです」
「お前、生徒手帳暗記してんのか?」
「ルールは覚えておくと便利ですからね」
「生徒手帳に上級生に生意気なことを言わないっていうのは載ってないのかよ」
細眉と茶髪が嘲笑するように、顔を見合わせた。おりこうさんだな、とほくそ笑んでいるのが伝わってくる。模範的な生徒で、害がない、と判断しているのだろう。
そろその、その手を離してくれませんか、と僕が言いかけたとき、森巣が声を発した。
「で、一分以上経ちますけど、どうするんですか?」
「は? どうする、はこっちのセリフだっつうの。お前、どうすんだ? 謝んのか?」
「質問をしてるのは俺ですよ。質問してるのに、質問を返さないください」
瞬間、空気がぴりりと張り詰め、産毛が逆立つのを感じた。森巣が苛立った? と顔色を見る。森巣は笑顔を崩していないが、目だけは笑っていなかった。
「俺を殴って学校やめる覚悟はあるんですか? ないんですか?」
はっきりして下さいよ、と視線で先輩たちに訴えている。
胸倉を捕まれているのは森巣だ。彼は終始、表情を崩していない。細眉と茶髪の方はと言うと、森巣の口から出る「退学」という言葉に絡め取られているようだった。つまらないことだけど、殴れば退学になる、と二人が理解していくのが見て取れた。脅されているのはどっちだ? と混乱する。
だけど、追い詰められたら人は何をするかわからない。殴る以上のことを森巣がされるかもしれない。
「すいません!」
三人が僕を見る。誰かが謝らなければ引っ込みがつかない。ならば僕が、と頭を下げた。
「あの、もともと悪いのは僕だし、あの、その、もう」
大丈夫だよ、と森巣の顔色を窺う。意図が通じたのか、森巣が微笑んだ。
「おい、こいつら面倒くせえぞ。もう行こうぜ」
細眉がそう言うと、茶髪が面白くなさそうに舌打ちをしてから、突き飛ばすように森巣から手を離した。二人はそのまま、振り返ることなく、校門の外へと向かって行く。それを見ながら、ほっと胸をなぜ下ろした。そして、森巣に向き直る。
「ごめんね、助かったよ」
「助かったのはこっちだよ。あのまま殴られるところだった」
森巣がそう言って、白い歯を覗かせる。「怖い怖い」と口にしているけど、とてもそんな風には見えなかった。
上級生たちと入れ替わりに、男女四人が駆け寄って来た。活発そうな背の高い男子や、髪にゆるいパーマのかかった女子たちだ。みんな安堵の色を浮かべ、森巣の引力に導かれるように彼を取り囲んでいる。
「大丈夫だった?」「ちょっと、無茶しないでよ」「びっくりしたぞ」「何? 何があったの?」
と口々に森巣に声をかけ、森巣がにこにこ笑いながら「大丈夫大丈夫」と落ち着かせている。どうやら彼らとの下校中に、上級生に絡まれている僕を見かけ、輪の中から飛び出して来てくれたようだ。
森巣が友人たちをなだめ、ひと段落した後に、みんなが「で? 誰? 何?」という顔で僕を見る。森巣を解放しなければと思いつつ、僕は集めたチラシを一人ずつに手渡した。
「実は、同級生の犬を探してるんだ」
「瀬川の犬を探してるの?」
森巣がチラシを眺めながら尋ねてきた。
「森巣も瀬川さんを知ってるの?」
「ああ、去年同じクラスだったからね。委員長でクラスをまとめてくれた」
「僕のクラスでもだよ、委員長をやってる」
「委員長っぽいからなあ、瀬川は……あれ、俺、自己紹介したっけ?」
「有名だよ。少女漫画に出て来そうだってうちのクラスの女子も話してる」
「何その噂。交通事故にあって記憶がなくなったり、重い病気で死なない役だと良いな」
そう言って森巣が愉快そうに笑う。彼が少女漫画に出てくるなら、ヒロインをいじめから救う王子様みたいな役だろう。女の子たちが「でも、なんかわかるかも」とささやき合う。
「でも、なんで瀬川の犬を君が探してるの? 瀬川は?」
「瀬川さんなら今、町の掲示板に張れるか確認を取りに行ってるよ」
「じゃあ俺も見かけたら瀬川に連絡するよ」
「ああ、うん。そうしてもらえると助かる。殺される前に見つけたいんだ」
「殺される?」
森巣が怪訝な顔をした。ぽろりと口から零れてしまったけれど、これは本心だった。
「実は、クビキリの犯人を見たんだ。それで--」
そう話を始めた時に、校内のスピーカーから呼びかけが聞こえてきた。
『二年一組の平優一たいらゆういち、二年一組の平優一、校内に残っていたら第二職員室まで来るように』
担任の柳井先生の、どこか、困ったなぁという感じの声色が学校に響く。しばらく宙を眺めながら耳を傾けた後、僕と森巣は顔を見合わせた。
それで? と森巣の顔に書いてあるが、また僕は「ごめん」と謝る。
「呼ばれたから、行かなくちゃ」