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「クビキリ」(初稿2)

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 高校を出てしばらく歩き、最寄り駅の方へは向かわずに住宅街の中にある『ルフラン』という小さなカフェにやってきた。

 個人経営の落ち着いた店で、店内は焙煎されたコーヒーの良い香りで溢れている。木製のテーブルと椅子は、どこかの職人の手作りという感じがした。しっくいの壁にかかっている、草原で休んでいる馬の絵も、有名な画家のコピーではなく誰かが描いたものだとわかる。手作りとこだわりに溢れた温かみのある店だ。

 気取らなさはあるものの、おしゃれなお店に自分がいていいものか、と緊張する。が、今日も一人じゃないので心強い。お店の雰囲気となんの違和感もない森巣がテーブルの向かいに座っている。心強くもあるが、ちらほらといる女性客が森巣に視線を送っってきてから、ついでに僕も見てくるので少し恥ずかしくもあった。

「学校の近くにこんなお店があるとは知らなかった。平はよく来るの?」

 森巣がぐるりと店内を見回し、感心した様子で口にした。

「いや、僕は二回目。前は瀬川さんに連れて来てもらったんだ。僕はチェーンの喫茶店とかファミレスしか知らないよ」
「さすが女子は詳しいね。BGMがかかっていないのもいい。学校帰りにちょっと一息するのにも良さそうだ。今度また来てみよう」

 学校帰りにちょっと一息カフェに寄ってから帰る。そういう優雅な感じはちょっと憧れる。

「森巣はカフェが似合うね。僕は一人でカフェなんて緊張しちゃって無理だなあ」
「どうして緊張するのさ?」
「なんでだろう……あいつ場違いだな、って思われていそうな気がして」
「他人の目が気になる、と」
「そういうことだね」
「良いじゃないか、嫌われたって」

 森巣があっさりと口にしたので、思わず「え?」とこぼれる。人気者の森巣とは思えない言葉だった。

「全員に好かれようと思うから動けなくなるんだ。嫌われる自由もあるし、嫌う自由もある。他人を採点して過ごしてるような奴がいるとしたら、そいつを嫌いになればいい。どうせそいつ、嫌な奴だよ」

 森巣が悪戯っぽく笑う。確かに、そういう人と仲良くなれる気がしない。

「嫌いな奴の思い通りに我慢するより、好きに生きて怒らせてやろう」

 同級生なのに、立派な考えを持って生きているなあと感心してしまう。それに比べて僕は、他人の顔色を伺ってばかりだ。

「僕に足りないのは勇気って感じだね」

 自分で口にしながら、勇気とは高校生が口にするには幼い言葉だな、と思った。

「大切なのは勇気」

 森巣が標語を読み上げるように口にし、「いいじゃないか」と頷いた。

「平がカフェに行けるか、の話がオーバーなものになったね。自分の住む町の素敵な場所を見つけるとなんか嬉しいじゃないか。カフェ巡りはそういう楽しみもあるよ」

 その考え方は素敵だ。僕も僕の住む町をもっと好きになりたい。

「ここはケーキも売ってるのかぁ」森巣がそう言って、壁に貼ってあるポスターを眺める。そこには、ホイップクリームによってキャラクターを模したものや、マジパンで絵が描かれたケーキの写真が貼られていた。キャラクターの権利問題が気になったけど、思いと手間のこもったケーキをもらったらきっと嬉しいはずだ。

「瀬川さんが、ここのケーキはどれも美味しいって言っていたよ。オススメはガトーショコラだって」
「悩ましいなあ、でも今はやめておくよ」
「どうして?」
「これからの話の内容が内容だし、ね」
「ああ、それもそうだね、ごめん」

 気にしなくていいよ、と森巣がにこっと笑い、白い歯をのぞかせる。そよ風のような、爽やかな笑みだった。彼を接待しなければ、と思っていた緊張がほぐれていく。

 今日の放課後、瀬川さんとここで待ち合わせをし、今後について話し合おうという決めていた。それに、森巣が加わってくれることになったのだ。

「俺、瀬川とは一年の時はクラスが同じだったんだ。だから、手伝うよ、犬探し」

 学校で、チラシを見ながら森巣はそう言った。
 森巣からクビキリの話を聞かせてよ、と言われたとき、野次馬根性かなと少しでも疑った自分を恥じた。

 爽やかな上に、優しい、なんて良い人なんだろか。森巣はチラシを印刷室でコピーし、一人ででも探そうとしてくれていたのだ。やっぱり困っている乙女の為に力を貸してくれる王子様みたいな奴だったわけだ。
 というやりとりがあり、今はこうして二人で瀬川さんを待っている。
 だが、その前に、だ。

「それじゃあ、瀬川さんが来るまでに話しておくよ。瀬川さんに話を聞かせて怖がらせたくないし」
「クビキリ、についてだね」

 頷く。既に瀬川さんは不安を感じていると思うけど、自分の犬がおぞましい事件の被害に遭うかもしれない、という危機感を煽りたくなかった。
 僕はホットのブレンドコーヒーを口にしてから、話を始める。酸味と苦味が、口の中に広がる。

「この二ヶ月、桜木町の周辺で動物の死骸が見つかってるんだ。首が切られた、頭だけね。学校のみんなとかネットでは、クビキリって呼ばれている」

 一体目、四月の下旬に横浜の山下公園のベンチに置かれた犬の頭が見つかった。早朝ジョギングをしていた人が発見をしたらしい。
 ネットで記事を読んだという同級生からその話を聞き、ジョギング中に動物の死骸を、それも殺された動物の死骸を見つけた人はどんな気持ちにになっただろう、と想像し、やりきれない気持ちになった。ジョギングをやめるかもしれないし、山下公園に二度と行きたくないと思うかもしれない。

「なんにせよ、もうこんな事件が起こらなければいいね」

 やりきれないよ、と同級生にそう漏らしたのだが、僕の願いは犯人に届くことはなかった。その後も駐車場、住宅街の公園、小学校でクビキリが置かれるようになった。

 町の夕闇の色が濃くなっていくような、そんな不気味さを覚える。僕の住む町には、人間の皮を被った怪物がいる。そして、耳をすませば「助けて」というか細い声が聞こえて来るようだった。

「というわけで、犯人は犬とか猫とか、小動物ばかり狙って、事件を起こしているんだよ」

 概要の説明をすませ、森巣の様子を窺う。
 森巣は黙って僕の話を聞くと、ゆっくりテーブルの上のアイスコーヒーに手を伸ばした。

 ガムシロッップとミルクを入れる。細い指がストローをかき混ぜると、液体がどろっとと溶け合い、黒と白がだんだん混ざっていった。

「弱い者いじめは許せないな」

 冷たい温度の声に思わず、ぞくりとする。一瞬、別人になったように思えた。

「で、平はその、クビキリと犯人を見たんだっけ?」
「そう、そうなんだよ!」

 こんな酷いことをする犯人の気持ちなんてわからない。それに、殺された動物の悲しみや発見者の気持ちも計り知れないなぁと思いながら過ごしていた。

 なので、まさか自分が思い知ることになるとは思ってもみなかった。

 二週間前の土曜日の夜、僕は野毛にある図書館に向かった。本を一冊借りていて、それの返却期限が今日までだったと気がついたからだ。十時を過ぎているし、夜の外出を母さんと妹からは咎められた。でも、図書館は近所だし、返すときに「期限を守ってください」と注意されるのが嫌だったので、「ポストに入れるだけだから」と言って家を出た。

 十分ほど自転車をこぎ、図書館に向かう。駅前の辺りで飲み会帰りと思しき大人たちが楽しげな声をあげているのを見たが、丘の上にある図書館へ向かうにつれ、人気はなくなっていった。勝手知ったる道だから、夜道に不安はない。図書館に到着すると、僕は駐輪場に自転車を止めて、返却ポストへ向かった。

 ただ返して、ただ帰る、それだけのはずだった。
 返却ポストに向かうと、ポストの前に人がいるのが見えた。
 図書館の閉館時間は十七時だ。館内の電気も消えている。職員さんではないだろうし、僕のように返却ポストを利用しに来たのだろうか。

 そう思いながら近づくと、人影は振り返って僕の方を向き、固まった。相手が固まったので、僕も思わず立ち止まる。
 先客を見て、自分の表情が強張るのがわかった。
 先客は、黒いパーカーのフードをすっぽりと被り、マスクをし、サングラスをかけていた。絵に描いたような怪しげな格好だ。

「お兄ちゃん、明日にしなよ。危ないよ」

 出かける前に言われた妹の言葉を思い出し、背筋が凍る。
 世の中では事件が起こっていて、事件に巻き込まれる人は、自分が巻き込まれるわけがないと思っている人ばかりだ。世の中は理不尽で、弱い者には容赦がない、僕だってそれくらいわかっているはずだった。

 が、事件に巻き込まれる人の多くがそうであるように、自分は大丈夫だろうと思っていた。油断していたのだ。

 先客が体を動かしたので、反射的に身構える。接近され、暴力を振るわれるのではないかと思った。
 だが、僕の不安とは逆に、先客は俊敏な動きで背を向け離れて行った。

「逃げるような動き」というフレーズが思い浮かぶ。

 何から? 僕から? 何故? そんなことを考えながら、僕は返却ポストに向かった。

 そこで再び立ち止まり、ポストの前にあるモノを見た。
 電灯と月明かりに照らされたそれは、違和感の塊だった。
 まるで地面から白猫の頭が生えているようだった。
 クビキリだ、とわかった瞬間、僕は尻もちをついていた。お尻がじんじんと痛み、呼吸が荒くなり、心臓がドクンドクンと早鐘を打ち、心をかき乱す。

 白猫と視線が交錯する。黄色と青の瞳が、僕を見つめている。
 おぞましい光景なのに、怖ろしいが故に視線を外すことができなかった。
 どのくらいの時間そうしていたかわからない。帰りの遅い僕を心配した妹からの着信でポケットのスマートフォンが震え、僕は我に返った。

「で、その後警察に通報した、と」

 森巣がいつの間にかメモ帳を開き、ペンを走らせていた。交番での聴取を思い出しながら、姿勢を正して頷く。

「森巣は、僕が見たのは犯人だったと思う?」
「そうだね、可能性としては高いと思う」
「あっちが第一発見者で、僕を見て犯人だと思って逃げたんじゃないかな? という気もするんだけど」

 ここ数日考えていたことを尋ねてみると、森巣は僕の顔をじっと見てから困ったように笑って首を横に振った。「それはないと思うよ」

「僕が見た人の格好が怪しいから?」
「それもあるけど、俺が仮に第一発見者で動揺していたとする。それでも、平は人の良さそうな顔をしているから、暗闇の中で平を見ても逃げないと思う」
「そう……かな?」

 顔の話をされたので、自分の顔を触ってみるが、触れてみても逃げ出さない顔か確かめることはできない。怖い顔はしていないと思うけれど。

「ま、人は見かけによらないけどね。少なくとも、本を一冊持って現れた平を犯人だとは思わないかな。それともビックリされるような格好をしてた?」
「Tシャツにジーンズだったよ。ぎょっとされる服じゃなかったと思う」
「それにしても災難というか、平もとんでもない所に居合わせたね。無事でよかった」
「本当に、そうだよね。犯人が襲って来なくてよかったよ」
「犯人の特徴は他に覚えてないの? マスクとサングラス以外に。男だった? 女だった?」

 尋ねられ、ええっと、と思い出す。

「ガッシリとした体格ってわけじゃないけど、男だったと思う。髪の長さはフード被ってたからわからないけど、女の人ほど線は細くなかったし」
「身長は?」
「離れていたけど、百七十前後くらいじゃないかな。僕らと同じくらいだよ。あ、あと、パーカーの背中に、XXXXって白い文字で書かれてた。ブランド名かな?」
「XXXX、聞いたことないな」

 僕が語り、森巣が相槌を打ちつつペンを走らせる。僕の話をずいぶん熱心に聞いてくれるなあ、となんだか嬉しく思うが、僕が危険なことに関わらせているような気もして不安になった。

「平はクビキリと犯人を見ているから、瀬川の犬もそうなるんじゃないかと不安に思っているわけだ。でも、瀬川の犬は散歩中に迷子になっただけなんだろ? 心配ではあるけど、そこまで深刻にならなくてもいいと思うよ」

 森巣が僕を案じるように優しい言葉をかけてくれる。励ましの言葉は嬉しいし、その言葉で心が軽くなれば良かったのだが、僕の不安が晴れることなかった。
 だけ、じゃないからだ。

「実は、迷子じゃないんだ。散歩中に無理やり拐われたんだよ」
「それは……まずいね」

 眉を歪め、森巣が渋い顔をする。

「それに、瀬川さんに犯人はXXXXって書かれたパーカーを着てなかったか訊いてみたんだ。そうしたら––」
「着ていた、と」

 そうなんだ、と答えると、さすがに森巣の口からフォローの言葉は続かなかった。眉を歪め、悩ましげな表情をして腕を組む。
 なんだか相談という行為で、僕の困っている体験をおすそ分けしてしまっているようで申し訳なってきた。
 どうしよう、これ以上森巣に話をするべきか。瀬川さんの役に立ちたいけど、森巣に同じ苦しみを味わわせたくもない。
 そう逡巡しながら、コーヒーに手を伸ばす。すっかり冷めていて、苦い気持ちが更に濃くなる。

「それで?」と森巣が顔を上げた。
「それで?」と僕は尋ね返す。
「なんだか言いにくそうにしているけど、まだあるんだろ?」
「なんでわかったの?」
「平は顔に出やすいんだよ」
「……実は、森巣に手伝ってもらえたら嬉しいなと思うことがあって」
「クビキリの犯人を、瀬川の犬を探すってことじゃなくて?」
「それはそうなんだけど、実は、犬の拐われ方が不思議というか、どうやって拐ったのか僕じゃよくわからないんだ」

 どういうことか? と森巣が首をかしげる。
 どう説明したものかと考えていたら、入店を知らせるカウベルが鳴った。視線を向けると、瀬川さんがやってきたところだった。
 瀬川さんが僕を見て手をあげ、向かいの席の森巣を見て目を丸くした。

「続きは瀬川さんの口から」

つづく

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如月新一
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