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第22話「今まで猫被ってました?」

 冷たく鋭い、氷柱のような声だった。誰の声か? 天宮先輩以外にいない。

「先輩?」
「なに?」
「いや、えっと」
「いいから、まず脱出するかを考えて。まずはそれからだよ」

 口調と態度ががらりと変わっている。ロッカーの中で誰か、別人と入れ替わったのではないか。

「集中して。要するに、犯人は私と狭間が夜の学校に二人で残っているのを見つけさせようって考えてるんでしょ? そうなると、タレコミが入る可能性もある。してやられた」

 ちっ、という舌打ちが耳に入る。

「逃げましょう。僕は電車ですけど、天宮先輩は?」
「私もよ」
「タクシーで帰ればどうでしょう? 支払いは家の人にしてもらって」
「だめ! そんなの絶対に無理! 今まで何をしていたのか、説明できないから。きっと失望される」

 思い出したように、天宮先輩はスマートフォンを操作し始めた。ちらりと覗くと、親にメッセージを送っているようだった。

「じゃあ、漫画喫茶とかファミレスで時間を潰すというのは」
「制服で? 通報されるわ」

 強い口調で否定された。この時間から転がり込める友人の家もなし。自宅に帰れる距離でもない。

 考えを巡らせ、ぱっと一つの場所が思い浮かんだ。

「文化部の部室棟に行きましょう。あそこなら、一々部室の中まで巡回で確認されないと思いますし、朝になれば人が来てそっと出ることができます」

「忍び込める部室があるの?」
「僕、天文部なんですよ」

 天宮先輩が「狭間」と僕の名前を呼び、凛々しい顔立ちで「行くよ」と続けた。

 この場所にずっといては、警備員に見つかってしまうかもしれない。

 二人で、そっと外に出る。月光だけに照らされた廊下は、文化祭中の華やかさと対照的に、誰もいない寂しさで不思議な青に染まっていた。

「校内には警備のセンサーがあると思うから、忍び込んでるのはすぐにバレると思う。案内はスピード重視でお願い」

 頷き、そっと移動を開始する。廊下の窓から確認した感じだと、校内に懐中電灯らしき光線はない。耳を澄ます。足音も聞こえない。

「行きましょう」

 ここは三階であるから、まずは下に降りなければならない。非常階段から出れば校舎裏に出ることができ、文化部棟へは近道になるが、非常階段だと何かあったときに身を隠す場所がない。

 階段へ移動し、一階へ向かう。もし、見つかれば天宮先輩の名誉が傷ついてしまう。それは、なんとしても避けなければならない。耳をそば立て、何も見落とさないよう、神経を研ぎ澄ます。踊場へ着き、二階の廊下に顔を僅かに出して確認する。人の気配はない。

 つま先立ちで移動をし、音を立てないよう注意を払いながら、一階へと移動した。廊下に人の気配はない。渡り廊下へと抜ける出口があるので、そちらに再び注意を払う。

 直後、背中に衝撃を受けた。口を塞がれ、そのまま、校舎の外へと押し出される。

 振り返る。

 ジャック、ではなく天宮先輩だった。

 天宮先輩が自分の口に人差し指を当てていた。そのまま、指で反対側の出口を指し示す。真っ直ぐ伸びる光が、ゆっくりと校舎の地面を移動している。警備員が反対側から来ているらしい。危なかった。身体の内側で氷が転がっているみたいな緊張感を覚えた。

「今のうちに」

 三年校舎の裏側へと移動する。学校全体を囲っているフェンスにそってしばらく移動すると、文化部棟の裏側へとやって来ることができた。でも、入り口も非常口も中からは鍵がかかっているはずだ。

 非常階段を登ろうとしている先輩を呼び止め、並んでいる窓の一つを指さす。説明するよりも見せた方が早いだろうと手を伸ばした。

 窓に手をかけ、スライドさせる。

 すーっと窓が開き、文化部棟への緊急出入り口が生まれる。

 周囲を警戒しつつ、飛び越えて中に入った。振り返り、手を伸ばす。天宮先輩は少し驚いたような顔をしたが、素早く僕の手を握り、中に足を踏み入れた。

 窓を閉め、しゃがみこむ。

 ふーっと大きく息を吐き出して、冷や汗を拭った。

「ここは?」
「文化部の会議室ですね」

 中央にテーブルがあり、その周りにパイプ椅子が隙間なく並んでいる。壁には本棚があり、いくつものファイルや会報や文集などの資料が納められていた。デスクトップのPCなどの貴重品もあるが、窓の鍵が一箇所壊れており、鍵が開いていないときはここからこっそり入る生徒もいる。

「部室へ移動しましょう」

 会議室を出て、階段を上り、三階へと向かう。一つのフロアに三つの部室があり、三階は入り口側から将棋部、映画研究部、天文部と並んでいる。腰についているカラビナを外し、部室の鍵を使って中に入る。本来、部室の鍵は全て守衛室管理となっているが、複製して使っている生徒も少なくない。

 六畳ほどの部屋に、本棚とデスクトップPC、あと天体望遠鏡が置かれ、壁には撮影した星空の写真が貼られている。

「ここが、狭間の巣なわけね」
「アナグマみたいに言わなくても」

 苦笑いしていると、天宮先輩が腕を組み、眉を吊り上げていた。

「感謝しているけど、あんた、大事なことは早く言いなさい」
「劇の前に集中を乱すのはよくないかと思って、すいません」

 天宮先輩が僕をじーっと見ている。

「椅子は?」
「ないんですよね。そこの畳スペースでくつろいでもらえたら」

 卒業生がもらってきたらしい畳が二畳窓際に置いてある。先輩はそちらに移動し、革靴を脱いで畳の上の座布団に座った。大きく腕をのばし、リラックスするように伸びをした。

 それを見ながら、部室に天宮先輩がいることになんだかむずむずとした居心地の悪さを覚えた。と言うよりも、夜の学校に二人きりになっていることに、今更緊張感を覚えてしまう。

 そんな僕の様子に気づいてか、天宮先輩が「何もじもじしてんの」と声をかけてきた。

「変な気を起こしたら怒るかららね」
「そんなことしませんよ」

 声が裏返りそうになるのを堪える。代わりに何か話をして場を持たせなければと話題を探す。天宮先輩に訊ねたいことが、一つだけあった。

「あの天宮先輩、確認したいんですけど」
「何よ」
「今まで猫被ってました?」

 天宮先輩は眉間に皺を寄せて何やら逡巡するような間を置くと、口を開いた。

「そんなことより隙間、何か飲み物ないの?」
「隙間って何ですか。狭間ですよ」

 彼女の名前は天宮静香、ミスコンの最有力候補であり、学校一の美人で成績優秀で面倒見もよく人望もある。

「王様の耳はロバの耳だ、と告発したい気分です」
「人の身体的特徴をあげつらうのって、最低」
「人の名前をわざと間違えるのもどうかと」

 そうだ、と思い出して僕もスマートフォンを操作する。やはり、親から何かあったのではないかと案じる連絡が数件入っていた。電池が切れていた、友人の家に泊まることになった、という内容のメッセージを親に送る。

 やるべきことは、いったん終わっただろうか。

 であれば、考えるべきことは明日のことだ。

「今日も大変でしたけど、明日は今日以上の脅迫が来る可能性もあります。さっきも言いましたけど、ギャンブルが絡んでいるんです。となると、手段を選ばずに脅してくる可能性もあります」
「何を言ってるの?」
「具体的なプランはまだ。何せ、僕もこの情報を知ったばかりで」
「そうじゃなくて」

 天宮先輩が、不思議そうな顔で僕を見ている。また、僕は何か失言をしただろうか。頭の中で巻き戻しをして、自分が何を喋ったかを振り返る。

「飲み物でも欲しいんですか? ちょっとそれもなくて」
「ストップ!」

 頭痛を堪えるように、目を閉じて頭に手をやり、天宮先輩が沈黙した。この人は時々こうやって固まる癖があるようだ。

「ちょっといい? 明日も私のボディガードをするつもりなわけ?」
「えっ、はい、そうですけど」
「なんで?」

 目を見開き、珍しいものでも見るように、天宮先輩の視線が僕を捉えている。

「頼んできたのは天宮先輩じゃないですか。いや、朝倉先輩でしたけど」
「そうじゃなくて、私は猫被って君を騙していたわけよ。君を、っていうか先生とか、学校のみんなを」
「あぁ、そうですね」
「そうですねじゃないでしょう?」
「そうですけど、イマイチ会話が噛み合ってないですよ」「全然噛み合ってないわよ!」

 この人は突然どうしたのだろうか

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如月新一
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