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クビキリ(2稿-15)

      15

 インターフォンのモニターを見て、殺人鬼が僕を探しにやって来たような戦慄を覚えた。

 そこには、柔和な表情の森巣が写っている。何故、森巣がここにいるのか。もしかして、瀬川さんに『森巣の知り合いのことをまだ信じない方がいい』と言ったことに怒り、僕を探していたのだろうか?

 隠れても無駄だ、僕がここにいることはお見通しだとでも言うように、再びピンポーンと音が鳴る。

 柳井先生が通話ボタンを押し、「はい、柳井です」と返事をする。

「あの、突然押しかけてしまい、すいません。湊一高二年六組の森巣です」

 柳井先生が僕を見て、「呼んだのか?」と訊ねてきた。首を横に振る。

「森巣か、どうしたんだ? 突然こんな時間に」

 壁の時計を見ると、もう夜の七時を回っていた。

「実は、先生にご相談したいことがあるんです。ちょっとお時間頂けませんか?」

 柳井先生がモニターから視線を外す。森巣の突然の訪問に意表を突かれたのか、柳井先生も動揺しているようだ。しばし逡巡するような間を置いてから、

「今開ける」

 と玄関へ向かった。
 自分の心臓がバクンバクンと動き回っているのがわかる。もうすぐ森巣がやって来る。リビングの扉を睨みながら、落ち着け、落ち着けと周囲を見回す。机の上の文具コーナーにカッターナイフやハサミがある。いざとなればこれを構えて、牽制はできるだろうか。

 でも、僕にそんなことができるのか?
 立ち向かう勇気があるのか?
 そう思った瞬間、扉が開き、森巣が現れた。

「あれ? 平じゃないか。どうして?」

 森巣が僕を見て、目を見開く。僕はその反応に白々しいと思いつつ、やあ、と手をあげてみせる。

「森巣こそ、どうしたんだい? それもまだ言えない?」
「いや、瀬川さんに教えてもらったんだよ。近所みたいだし、先生の住所を知ってるかなと思って」
「どうして柳井先生の住所を?」
「それはまだ言えない」

 はぐらかされ、むっとする。キッチンから柳井先生の「森巣もお茶でいいか?」という声が飛んできた。

「すいませーん、おかまいなく」

 森巣が返事をしながら、僕の隣の席に腰掛ける。ぴりりとした緊張感が皮膚を走った。

「それで、平はどうしてここに?」
「さっきあの袋小路に戻ったら、柳井先生に会ったんだ。えーっと、それで、ちょっと相談したいことがあったから、お邪魔したんだよ」
「相談したいこと?」
「進路のこととか」

 進路相談ねえ、と森巣がつぶやく。そんなことをしている場合か? と思っている様子もないし、どんなこと? と気にしている素振りもない。言葉が霧散し、沈黙が生まれる。ごくりと唾を飲めば、それが森巣にバレ、緊張していると悟られてしまう気がした。

 森巣が僕を追ってきた。逃げなければ、と廊下に通じるドアを見る。
 だけど、それでいいのか? と頭の中で声が聞こえた。

 今、この場をしのいでも、どうせ明日学校で会う。問題を先送りにいてもいいことはない。それともずっと逃げ続けるのか?
 森巣は僕のことを侮っている。僕はもう事件の真相に気づいているし、幸いここは柳井先生の家だから、一人じゃない。

 どうする? 

「勇気が足りないんだよ」

 柳井先生はそう言った。自分自身の欲望に忠実になるんだ、とも教わった。クビキリのあった小学校の先生との会話を思い出す。教えたいことと伝えたいこと。柳井先生が僕に教えてくれたことを、僕はちゃんとキャッチできているだろうか?

 僕の欲望はなんだ? どんな行動をしたいんだ?
 僕は困っている瀬川さんと、瀬川さんの犬を助けたい。
 体のどこか、細胞の一つ一つに呼びかけるように、念じる。湧け、僕の勇気。
 ぎゅっと結んでいた唇を開く。

「ちょっと森巣の意見を聞かせてもらいたいんだけど、いいかな?」
「もちろん、俺でよければ」

 涼しい笑顔を見せる森巣に、挑んでやる。
 ごくりと唾を飲み込み、口火を切ろうとしたとき、

「ほい、森巣の分」

 と柳井先生がティーカップを持って戻ってきた。カモミールティーの優しい香りが湯気となってふわりと漂う。「ありがとうございます」と森巣が受け取り、香りを楽しむように顔の前でカップを掲げた。

「家に生徒が二人も。俺も人望のある教師になったもんだなあ。でもすまん、ちょっとトイレに行ってくるから待っててくれ」

 そう言って柳井先生がリビングを出て行く。先生、森巣を問いただすから一緒にいて下さい、そう思ったけど言葉にはできない。

「それで?」

 森巣がじっと僕を見て尋ねてくる。

「いや、ちょっと待って」
「まあ、いいけど」

 口調から、「一人じゃ何もできないの?」と試されているような気がした。
 気を落ち着かせようと、カモミールティーを一口飲む。お茶のリラックス効果のおかげか、さっきまで跳ね回っていた心臓が、少し落ち着いている気がする。柳井先生がいなくたって、僕一人だって、森巣と話はできる。

 覚悟はできた。対決だ。

「森巣、あの袋小路で犯人がどっちに逃げ込んだのかわかったよ」
「本当に?」
「うん、左の家には犬がいたんだ。ちょっと覗いただけで吠えられたから、逃げ込むなんて無理だろうね。つまり、犯人は右の家に逃げ込んだことになる」
「なるほど。だけど、犬の鳴き声が聞こえなかったことはどうなるの?」
「犯人は一人じゃなかったんだよ。犬を待ち受けている人がいたのさ。つまり、あの家の住人も共犯者なんだ」
「なるほど、放り投げられた犬を捕まえて、口輪をするなりして、黙らせた、と」
「その通り。で、そのことを森巣は知っていたんじゃないの?」

 やっと森巣は自分に疑惑の矛先が向いていたことに気付いたようだった。目を瞬かせ、きょとんとした顔をする。
 いよいよ核心だ、と僕は畳み掛ける。

「森巣、君が犯人の一人、クビキリ犯なんじゃないのか?」

 さあ、どうなんだ? とじっと観察する。
 森巣の眉がぴくりと動き、表情が強張った。それは指摘されて焦っているというよりも、怒りが沸き起こり、顔の筋肉が波打ったかのように見えた。

 殺気立ったものを感じた。空気が張り詰めた。瞬間、森巣の発する雰囲気に飲まれ、息もできないようなプレッシャーを覚える。

 呼吸を忘れ、森巣から視線を外せずに固まる。
 森巣の表情がゆっくりと戻り、うっすらと笑みを浮かべた。ふっと部屋の中の空気が緩むのを感じる。

「やっぱり君が」そう言おうとしたところで、森巣が、先に口を開いた。
「どうして、そう思ったんだい?」

 体温や感情の読めない、平坦な声色だった。だけど、動揺しているのか、森巣の右手の人差し指が、こつこつとテーブルを叩き始めている。

「犯人は二人いる。そして、マリンちゃんに賞金がかけられていることを知った。さっき、瀬川さんから連絡がきたよ。森巣はマリンちゃんの無事を知っているから、賞金を更に釣り上げたんじゃないのか?」
「あれは、知り合いに動いてもらう為だよ」
「それだけじゃない。第三のクビキリが見つかった小学校で先生から話を聞いたんだ。飼育小屋の兎、森巣が第一発見者らしいじゃないか。君はクビキリを知らないと僕に嘘を吐いていた」

 森巣が第一発見者になった理由は、大切な動物が殺され、それを見つけた人の顔を一番近くで見るためではないだろうか。猟奇的な事件の犯人は、自己顕示欲の強い人が多いと聞く。だから、動物の死骸だけではなく、自分も目立ちたいと思ったのかもしれない。

 こつこつと動く、森巣の右手が止まった。
 目と目が合う。
 怒りで表情が険しくなるのでないか、と身構える。

 が、森巣は目を細め、困ったように笑い、両手を合わせて「ごめーん!」と茶目っ気のある声をあげた。

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