「クビキリ」(2稿-2)
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十六歳、高校二年生の僕は犬を探している。探しているのは白い中型犬だ。家に帰り、犬が尻尾を振りながら駆け寄って来たら嬉しいだろう。家族が待っているというのは良いことだ。
だけど、僕は犬を、新しい家族を探しているというわけではない。
そもそも探しているのは他所の犬だ。
「すいません、すいません」
校門のそばに立ち、下校する生徒たちに声をかけながら紙を差し出して行く。
『名前はマリン。ミニチュアブルテリア。二歳、メス』
紙には、チラシには、文章と写真が印刷されている。ソファに座っている白い犬は、行儀良くお座りをし、なんだか笑っているように見える。
『似ている犬を見かけたら、2-1瀬川潔子せがわきよこまでご連絡ください』
探しているのは、クラスメイトの瀬川さんの犬だ。散歩中にいなくなってしまった瀬川さんの犬探しを僕は手伝っている。
僕は犬の情報の書かれたチラシを「すいません」と言いながら差し出ていく。こういう紙を渡すときにかける言葉は、「すいません」でいいのだろうか。でも、他に思い当たる妥当な言葉も思い浮かばない。すいませんの意味は、突然話しかけてすいません、足を止めさせてしまってすいません、すいませんが手伝ってくれると助かります、というところだろうか。
突然「すいません」と声をかけてくる奴が胡散臭い所為か、僕の態度がしどろもどろなせいか、声が小さいせいか、あるいは全てが当てはまるからか、下校する生徒は校門で待ち構える僕のことを物珍しげに一瞥して、少し距離を置いて通り過ぎて行く。
今は六月、出遅れた部活動の勧誘だとでも思われているのかもしれない。だからか自分には関係ないや、という感じでどこかそっけない。それどころか通行の邪魔者と思われている気配もある。他人に疎まれて、心が傷つかないといえば嘘になる。
校内の掲示板にチラシを貼り、余ったものをさっさと配ってしまおうと思ったのだが、なかなかに時間と根気とメンタルが試された。
それでも、困っている瀬川さんの為ならば、と一歩前へ足を動かす。
「あのちょっと、すいません」
「何これ?」「迷子の犬だって」「ふーん、可愛いじゃん」
「見かけたら、連絡をもらえると助かります」
なんとか、通りかかった一年生女子グループに渡すことができた。好意的な反応にっほっとする。帰って行く彼女たちの背中を見ながら、犬を見かけてくれますように、連絡をくれますようにと祈る。
持っている紙の束が一向に減らないが、それでも、勇気を出して前に出たおかげでチラシは一枚なくなった。一歩前に出れば、ゆっくりとだけど前進するのだと信じたい。
視界の隅に生徒が見えたので、勢いに任せて「すいません」と反射的に声をあげて紙を差し出す。
「ッ痛ぇ」
「すいません!」
これは、本当の謝罪のすいません、だった。
相手は男子生徒二人組だったのだが、彼らの前に紙を差し出してしまい、相手の体に手をぶつけてしまった。
慌てて頭を下げ、もう一度謝る。
「ごめんなさい、不注意でした!」
無言なので、おそるおそる顔を上げると、細い眉毛の男子が、口を尖らせ威嚇するような顔つきで僕を見下ろしていた。
「痛かったから慰謝料くれよ、慰謝料」
ブレザーについている襟章の学年カラーから三年生、上級生だとわかる。二人とも腰より低い位置でズボンを履いていて、だぼだぼと着崩している印象を受ける。僕の手がぶつかってしまった相手は、不機嫌そうに眉を歪めて僕を睨むように見ている。
もう一人は、トラブルを楽しむように僕らの様子を見ていた。頭髪を染めることは校則で禁止されているのだが、脱色をしているのか明るい茶色をしている。人を見かけで判断するのは良くないけど、二人とも柄が悪く、警戒する。
「ほら、慰謝料だよ、慰謝料」
覚えた子供を反復する子供のように、細眉の男子は「慰謝料」と繰り返して手のひらを向けてくる。
慰謝料と言われても、何を渡せばいいのかわからない。お金? と思ったけど、財布の入ったカバンは教室に置いたままだ。
「すいません、財布が今なくて」と僕は弁解する。
「ジャンプしてみろよ」と細眉が言う。
「古いっつうの」と茶髪が苦笑する。
僕が困惑していると、茶髪がにやにやと笑いながら、「下級生からかうのはやめてやれや」といさめてくれた。
「で、君は何してるわけ?」
「あの、犬を探してるんです」そう言ってチラシを差し出す。茶髪はそれを検分するように「見かけたら瀬川潔子にまで」と読み上げていく。
「じゃあ連帯責任ってことで、この潔子ちゃんに良いことしてもらおうぜ」
細眉がそう言って下品に唇の端を歪める。それを見て、茶髪が「よせっっつうの」とけらけら笑った。僕は部活に入っていないから上級生にからかわれることに慣れていない。なので、彼らがどこまで本気なのだろうか、とハラハラする。
「ほら、二年がびびっちゃってんじゃん」
萎縮している僕を見て、茶髪がニコニコ笑いながら、「手伝ってあげるよ、貸して」と言って、僕からチラシの束を全部持っていった。そこまでしてくれなくてもいいですよ、と口を開きかけたところで、茶髪が大きく両腕を広げた。
ばさばさっと音を立てながらチラシが宙を舞う。捕らわれていた鳥を解放するような仕草だったが、チラシは飛んで行くことなく、足元にどさばさと落下していった。
「はい、おしまーい。お疲れしたー」
茶髪がそう言って、快活な笑い声をあげた。
何が起きたのかわからず、ぼーっとしてしまう。が、状況を理解した時に、胸の内側から暗い色が溢れ出てきたような気持ちになっていく。落胆が乗しかかってきたようで、どっと体が重くなる。
茶髪の顔を見る。悪びれる様子もなく、白い歯を覗かせていた。
「ほら、ありがとうは? 慰謝料はいらないけど、お礼は欲しいんだけど」
本気で言っているわけではないのだとはわかる。僕のことを弄んでいるのだ。細眉が「えぐいえぐい」とこちらも楽しそうな声をあげていた。
「何? その顔。なんか文句あんの?」
文句があるかと問われたら、あるに決まっている。
どうしてこんなことをするんですか、と言いたかった。酷いじゃないかと言い返し、ばら撒いたチラシを拾わせて謝罪してもらいたい。
だけど、反抗する気になれない。戦うべきだけど、自分が何かを言ったらどうなるかわからないぞ、と止める声がする。次はもっと酷いことをされるかもしれないぞ、やめておけよ、と。
言い返してやりたいけど、僕にはそんな勇気はない。溜息を吐き出したいが、溜息を吐いたことに今度は因縁をつけられそうな気がして、ぐっと飲み込んだ。
その代わり、僕は屈み、散らばっているチラシを集めることにした。
「先輩たち酷いことするなあ」
僕の心の声だ。だけど、僕の声じゃない。
では誰の声か?
顔を上げると、そばに男子生徒が立っていた。
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