第11話「えっちピクチャアの隠し場所」
キング4
「よくも勝手にミスターコンなんかにエントリーしてくれたな」
「公ちゃんが手を貸してくれないからね」
悪びれた様子がない。いくら嫌われても、自分が文化祭のループから脱出するためなら手段を選んでられないのかもしれない。
ため息を吐き出し、小南に向き直る。
「ハートのキングが盗まれたのは知ってるよな?」
「うん」
「それを取り返さないといけなくなった、その経緯を見ていたよな?」
「うん」
「手を貸してくれないかな?」
うん、と言って欲しいのだが、小南は悪戯っぽく「どうしようかな」と小首をかしげた。
「もちろん、無料でとは言わない。小南が文化祭から出られるように手伝う。ギブ&テイクだ」
小南が腕をほどき、小さな口を開く。
「協力してくれるなら、それでもいいよ」
簡単に受け入れてくれたな、と胸をなでおろし、質問をぶつける。小南にとって、俺の行動は予想の範囲内なのかもしれない。
「単刀直入に聞くが、ハートのキングを誰が盗んだのか知らないのか?」
「秘密」
店のシャッターを下ろすような勢いと、強い意思を感じた。
「公ちゃんは、これでわたしの協力が欲しくなったわけでしょ? わたしの知識と経験は、迂闊に教えられないよ。六回目のループの時に公ちゃんは、協力してやるって胸を張っていたくせに、教えてあげたら手のひらを返したんだよね」
「酷い奴だな」
でも自分がそんなことをしないと断言できない。問題の深刻さと自分の日頃の態度を省みて、妥当な判断だなと文句を飲み込んだ。
「わかった。だけど、俺がどうにかできるとは思わないでくれよ。そんな責任は持てないからな」
「それは、もちろん。でも、一人だと限界があるからね」
「俺が増えても、たいした補強にはならんぞ」
「一騎当千」
「荷が重い」
文化祭を繰り返す、もとい、同じ二日を繰り返す原因を調べることなんて出来るのだろうか。
まずは先行例を調べるべきだろう。先行例があれば、解決方法がわかる可能性が高い。が、残念なことに、俺はこんな話の先行例を知らない。
俺は顎をしゃくり、「行くぞ」と小南を促した。
「鈴木、ちょっと出かけてくる」
「ひってらっしゃい」とあくび交じりの返事が返ってきた。呑気で羨ましいやら苛立たしいやら。
古本市を出て、階段へ向かい、五階へ向かう。
廊下に張られているビラを見ながら、確認をする。科学部は実験を、地学部はプラネタリウムを、生物部は標本の展示を行なっているようだ。階段をせっせと上がって、誰が見にくるのだろうか、と思ったが廊下は閑散としていた。
一番奥の科学実験室に入る。
中には白衣を着た男子生徒が数名、黒板の前で立話をしていた。人がやって来たことに驚いたのか、三人が固まる。一人と目が合うと、しかめ面をしながら、のそのそとこちらにやって来た。白衣はゆったりとした服のイメージだが、太っているからか窮屈に見える。
科学部の太田原一平《おおたわらいっぺい》とは一年のときからクラスが同じだった。体育の時、パートナーを作れと言われたときに目が合ったから彼と組み、以来たまに話をする。そういう仲だ。
「突然来るからびっくりしちゃったじゃないか」
「科学部に来るのに、予約がいるのか?」
太田原がちらちらと、小南を見る。文化祭だからドレスコードがある訳ではないが、メイド服姿の小南を連れて来たことに、驚いているのだろう。
太田原に、肩に手を回されて引っ張られる。小南と距離を置いてから、威勢よく喋り始めた。
「森谷が文化祭で出歩いているだけでも珍しいのに、可愛い彼女を見せびらかしに来たってわけか? 一体どんな嫌がらせだよ。このコウモリ野郎!」
「誰がコウモリだ。それに、小南は彼女じゃない。幼馴染だ」
「おれには幼馴染みもいないね。女の子にメイド服着せて見せびらかしに来るような、嗜虐的な趣味があるとは思わなかったよ」
「こっちも、お前の妄想癖がそこまでたくましいなんて思わなかったよ。静かに話をする場所を探していてだな」
「不純なことをするなら他所でやってくれよ。地学部のプラネタリウムは綺麗らしいぞ」
「最後まで話を聞け。俺はお前に会いに来たんだ」
「女嫌いなのかなと思ってたけど、そういうことなのか?」
「仮にそうだとしても、相手を選ぶよ」
傷つくなぁと太田原が下唇を突き出し、ふっと息を吐き出した。
「で、おれに何の用なんだよ」
「聞きたいことがあるんだ。お前、科学部の癖に不思議な話とか好きだろ?」
「癖にっていうのはよくないな。不思議だからこそ検証したいというか、無視するのも大人気ないから興味があるだけだ」
早口になり、鼻孔を広げる太田原に、言いにくい質問をぶつける。
「同じ日をループする、なんて話を聞いたことがないか?」
「そういう話はよくSFであるよなあ」
「フィクションじゃなくて、現実で起こった、という話を知らないか?」
「聞いたことはあるけど、眉唾話だぞ」
「あるのか?」
思わず、声が大きくなってしまった。太田原が、「なんだよ」と表情を硬くする。
「実は、ここにいる小南が文化祭を二日間繰り返してるんだ。出る方法を探している」
太田原が怪訝な顔をし、黒板の前に集まっている白衣を着た生徒たちを一瞥する。小さく集まり、談笑しているが、時折ちらちらとこちらを窺ってきている。緊張と興味が見え隠れしていた。
「ベランダに行こう」と太田原に促され、実験室から出る。ベランダには既に椅子が並び、プルタブの空いた缶ジュースが置かれていた。科学部の面々が文化祭に背を向けてさぼっていたのだなと、やる気のなさが窺える。
「で、ええっと」
「初めまして、太田原一平さん。小南明日香です」
「あぁ、初めまして。森谷と同じクラスの太田原です」
小南が微笑むと、太田原はだらしなく目を細め、口元をもぞもぞとさせた。
だが「初めまして。じゃないんだな?」と小南を見る。
「まあ、ね」と、小南が太田原を見つめる。初めて会うのに、フルネームで知っているなんてことはないだろうし、太田原が女子と会話をしたことがあるのなら、そのことを一生忘れることなんてないだろう。
「さっきも言ったが、実は、ここにいる小南が文化祭の二日間をループしてる」
何周だっけ? と視線で訊ねる。
「十三回目」
「だそうだ。それで、先行事例をお前なら知ってるじゃないかと思って聞きにきたんだ」
太田原は弱ったなぁ、という感じに顔を歪めて、小南に視線を移し、口を開いた。
「そんな、風邪を引いているんだ、みたいに紹介されても」
「他に言いようがないんだ」
「ちょっと待ってくれ。そんなこと、信じられる訳がない。あれか、お前は幼馴染を見せびらかすだけでは気が済まなくて、からかいに来てるのか? 人間嫌いなのはいいとして、攻撃してくるのはたちが悪いぜ」
むっとした顔で、大袈裟に首を横に振る太田原を見ながら、簡単に信じろというのは無理な話だよなと俺も同情する。
「別にお前が信じなくてもいい。ただ、情報をくれ」
事実、太田原にとっては見ず知らずの小南が文化祭をループしてようが、関係がない。不満そうな顔をした太田原と視線がぶつかる。その時、脇腹を小突かれ、姿勢が崩れた。
「太田原さん、ごめんなさい。公ちゃんには思いやりがないから」
「それは勿論知ってますよ。ついでに言うと、デリカシーだってありません」
そうですねと小南が微笑み、太田原が下手くそな笑顔を作る。
「小南さん、内容が内容なので、はいそうですか、と信じることはできないんですけど、何か証拠とかってありますか?」
「新しくないフォルダ2」
小南がそう言うと、太田原の表情が固まった。ぎょっとした顔つきで静かになった。
「太田原くんに会ったのは、これが初めてじゃないの。それで、そのときにこれを言えば、信じるって教わったんだけど」
太田原が泡を食った様子で右手を顎にやり、視線を泳がせる。
「なあ、太田原、『新しくないフォルダ2』ってなんのことだよ」
太田原は言うか言うまいか躊躇するような間を置くと、観念した様子で口を開いた。
「俺の集めたえっちピクチャアの隠し場所だ。これは、誰にも言ったことがない」と真剣な表情で、どうしようもないことを言った。
何かを逡巡するような間を置いてから、「ちょっと待ってて」と言って実験室の中に入り、すぐに戻って来た。
太田原は、短冊状の紙を手にしている。
「時間の流れは一定で、不可逆だ。赤から青に向かっていると考えてくれ」
紙の両はしが、それぞれ赤と青のマーカーで塗りつぶされていた。太田原がその紙を捻り、セロテープで両端の赤と青を止める。表の面をなぞっていくと、いつの間にか裏に移動し、そしていつの間にかスタート地点と同じ場所にいる。
「メビウスの輪か」
太田原が頷き、「小南さんは捻じっちゃったんだろうなぁ」と、重ねてきた。表情を崩して、「ってこの話も、もしかして聞きました?」と小南に訊ねた。
小南が苦笑しながら、右手で何かをつまむように「ちょっとだけ」と表す。
「俺は初めてなんだから、教えてくれ」
「信じられないけど、信じられないことが起きているから、どういうことかを考えなければいけないなあ。おれはこの手の話には仮説があるんだけど、なあ森谷、今日は何日だ?」
「十一月一日だ」
「そうだ。けど、それは何でだ?」
「カレンダーを見ろよ」
「そうじゃない。森谷が十一月一日にいるのは、森谷の意識が十一月一日にいるからさ」
言っていることの意味がわからず、眉間に皺が寄る。
「時間の流れと同様に、意識も移動をしている。だから、俺たちは十一月一日にいるんじゃないか? そう考えたことがある」
「言わんとすることはわかった。それで、先行事例を教えてくれよ」
太田原はごほんと咳払いを一つした。
「ショパンコンクールって知ってるか? ポーランドで五年に一回開かれる、ピアニストの憧れる世界的なコンクールなんだ」
「太田原がクラシックが好きだなんて知らなかったよ」
「おれはクラシックが好きなわけじゃない。興味深い話があるから、知っているだけだよ。一九九〇年の大会で優勝したフランスのソフィア・ベルッチという女性がファイナルでピアノ協奏曲一番を披露し、それが歴代最高得点で優勝したんだよ。あまりに完璧だったもんだから、インタビュアーが感想を訊いたんだ。そうしたら、彼女はこう答えたんだ」
「信じてもらえないかもしれませんけど、完璧な演奏をするまで時間を繰り返したからよ」
小南がそう言うと、自分が言いたかったのに、とでも言いたげに太田原が表情を歪め、大きく頷いた。
「それくらい練習をしたっていう意味なんじゃないのか?」
「と、思っていたんだけど、その後のインタビューで、夢かもしれないけど何度も何度も舞台で弾いたからリラックスして弾けたって語ってるんだ。ドーピングを疑われたくらいだ」
アーティストなのだから奇抜な言動をするのかもしれない。だけど、太田原が語るピアニストの話は、小南の体験に似ていた。
「他にも、ノルマンディ上陸作戦で生き残った兵士の中に、生き残るまで上陸を繰り返したっていう体験を話した人もいる。世界中に、たまにこういう話はあるんだ。ここはどこで自分が誰か、それを判断し、把握しているのは主観だ。観測できない以上、捻じれが生じるという可能性は否定できない」
「どちらにせよ、眉唾話だな」
「そもそも、そういう話を聞きに来たんじゃなかったのか?」
確かにその通りだ。
自分が今、どこにいるのか、それを証明できるのは観測している自分以外にありえない。自分は他人になれないし、他人は自分になれない。納得はできないが、現象として起こったと言われ、否定することはできてもループが起こっていないと証明することはできない。
「小南さんは、一体何をすればいいんだろうか」