強盗ヤギ(初稿−12)
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カフェ『ル・セレクト』の前に到着する。放課後、いてもたってもいられず、店にやって来てしまった。学校にいる間も、電車に乗っている間も、元町の華やかな商店街を歩いている間も、「見つけたぞ! 食い逃げ犯だ!」と声をあげられ、肩を掴まれるのではないかと、小心者の僕は落ち着かなかった。
「まあ、そうだよね」
店の前の立て看板は「CLOSED」となっている。昨日、強盗事件があったんだから、当たり前か。でも、店の前に立ち入り禁止のテープが貼られていたりするのではないかとか、テレビで見たような綿をぽんぽんと叩く警察の鑑識係の人がいるのではないかとも気になっていたけど、そういうわけではないのか、と少し意外だった。
どうしようかと思案する。封筒にお金を入れてそっと置いておくか。それとも日を改るべきか、それにしても、いつ営業は再開されるのだろうか。
あの気の弱そうなオーナーが何かを取りに来たりしていないかなあ、と希望的観測を抱きつつ、扉へ一歩ずつ進む。
すると、扉が開き、中から男が現れた。
「あっ」と思わず声が飛び出る。
スーツ姿のその男は昨夜の客の一人だった。昨日はグレーのスーツを着ていたが、今日は黒を着ている。痩身で、頬がこけ、目つきと顔色の悪い、入り口の近くにいた客だ。僕を認識し、じっと目を細める。目つきがさらに険しくなり、物騒な気配が彼の体から漂って来るようで、怯む。
顔色の悪い男も僕が誰だかわかったようで、「ああ」と呟いた。
しばらく見つめ合うように固まっていると、というか視線に居竦まるように立ち止まっていると、険しい顔つきに変わり「待ち伏せか?」と声をかけられた。
「待ち伏せ?」
「違うのか? 見張りか?」
「違いますよ」とわけもわからず、ぶんぶん首を振る。顔色の悪い男は、品定めをするように僕を改めて見ると、「まあ、お前はそんな感じしないな」と口にした。
「じゃあ、お前は何をしに来たんだ?」
「昨日のお金を払いに。忘れていたので」
僕が答えると、顔色の悪い男は「お前はそんな感じだな」と薄く笑った。
「なあ、あいつはどういう奴なんだ?」
「あいつ?」
「お前のお友達だ。なんなんだあいつは?」
「……よくわかりません。でも、絵の具って色々種類があるじゃないですか。赤色とか青色とかってわかりやすいものだけじゃなくて、たくさん色がある。森巣はただ、呼び方のわからない色をしているんだと思います」
率直な僕の感想を伝えると、男は言葉を反芻するように小さく何度かうなずいた。
「あまり要領を得る答えにはなっていないな」
「ですよね」と僕は素直にうなずく。
「中にいる複雑な色のお友達に、普段はガキの相手はしない、だから子供料金もないと伝えておいてくれ」
そう言い残すと、顔色の悪い男は音も立てずにすっと僕の隣を通り過ぎ、駅の方へと歩いて行った。昨夜は疲れたサラリーマンだと思っていたけれど、彼は一体何者なのだろうか。気になったけど、追いかけて訊ねる勇気がない。
それよりも、中のお友達、という言葉の方が気になった。店のドアノブに手をかけて引く。
いるのか? と思いつつ、ゆっくり顔だけを中に入れる。
すぐに入口近くのテーブル席に座っている森巣を見つけ、表情が強張る。
カウベルが鳴り、森巣も僕がやって来たことに気づく。目を見張り、ひどく意外そうな顔をしていた。お店は営業中ではなかったよな、と思いながら視線を彷徨わせると、カウンターの向こうにはオーナーがいて、オーナーもやはり現れた僕に驚いているようで体をびくっと震わせた。
「平、どうしたんだ?」
森巣に訊ねられ、「君こそ」と言いながら、店の中に入る。
「僕は昨日、お金を払わなかったなって思い出したから」
もしかして、森巣もそれでここに来たのかと思ったのだが、森巣はすぐに「あー」と呑気な声をあげた。「忘れてたな。危ない危ない」
今でもアウトだと思うけれど、と思いつつ、オーナーさんに、「昨夜はすいませんでした。お金も払わず帰ってしまって。気も動転していて」と頭を下げる。
「いいですよ、こちらこそ、折角お越しいただいたのにすいません」
オーナーが謝ることではないでしょうに、と思いつつ、財布を取り出す。
「払います」「いいですよ」「払います」「大丈夫です」という応酬を続けていたら、森巣に「まあ、こっちに来いよ」と促され、森巣の向かいの席に移動する。が、途中で足が止まった。
「何これ」
壁にナイフが、テーブルにフォークが突き刺さっている。それを見て、森巣が「ああ」と短く呻いて、ばつの悪そうな顔で鼻をかき、そそくさと抜き取った。
「まさか、君がやったのか?」
「ナイフは俺じゃない」
そう言って、テーブルの上にナイフとフォークを並べる。一体ここで何があったのか? さっき店から出てきた顔色の悪い男と関係しているのか? と混乱する。
「森巣はここで何をしてるわけ?」
「ずる休み」
「さっき、昨日店にいた男の客と会ったよ。何してたの」
「俺が店に来たら、あの客とオーナーが話をしていたんだけど、途中から交ぜてもらったんだ。俺が歌わなかったら、あの男が強盗ヤギを倒すつもりだったらしい」
「正義の味方ってこと?」
「悪の反対は正義ってわけでもないみたいだ」
世の中は複雑だな、と森巣はテーブルの上のコーヒーを口に運んだ。僕にはさっぱりわからない。
ちらりと後ろを見て、オーナーが離れているのを確認してから、声を落としつつ、話を始める。
「小此木さんに聞いたよ。森巣は暗号に隠されたヒントを、次にこのお店が襲われることを知っていたそうじゃないか」
「ああ、うん、知っていたな。ここは有力候補の一つだった」
「どうして僕に黙っていたのさ」
「そりゃあ、お前」森巣が一拍起き、「嫌がるだろうから」と悪びれる様子もなく続けた。小此木さん、僕は森巣を信じていいのかやっぱりわかりません。
「危ない目にあったらどうするつもりだったんだよ」
「平を守るくらい動ける自信はあった」
「銃を持った相手だ」
「銃でもナイフでも関係ないね」
「僕はあるんだよ!」
頭の中にある文句を手当たり次第掴んでは森巣に向かって投げる。だが、ひょいひょいとかわさているようで、手応えがない。
「そうだ、平、何か暗号がわかったそうじゃないか。話してみろよ」
森巣はテーブルに手を置き、足を組んだ。暗号? と記憶を探り、そういえばそうだったと思い出す。僕は暗号で新たなルールに気がついた。森巣は音楽を聞かないと言っていたから、これは彼では気づけなかったことだろう。
話をはぐらかされているのはわかっているが、誰かこの発見を伝えたかったので、話題に乗ってしまう。
「新しい暗号は『ジミが魚に会いに行く』だった。僕はジミ、と聞いてピンと来たんだ。ジミ、と言えばギターの神様、ジミ・ヘンドリックスだ。そこで、暗号に出てくる他の人物名と共通点があることに気がついた」
「共通点?」
「元ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ドアーズのジム・モリソン、グレイトフル・デッドのロン・ピッグペン・マッカーナン、ブルース歌手のロバート・ジョンソン、そしてジミ・ヘンドリックス、全員ミュージシャンだ。共通点はそれだけじゃない。全員、二十七歳でこの世を去っている。天才的ミュージシャンが二十七歳に死ぬ、偶然にしては多い。だから、彼らは悪魔と有名になる代わりに二十七歳で死ぬ契約を交わしたんじゃないかっていう伝説もある」
「それで?」
「昔、馬鹿げているけど、ロックンロールは悪魔崇拝と結びつけられていたって言うし、ヤギは悪魔の象徴だろ? 強盗ヤギは銀行とかじゃなくて、個人経営の店を襲ってるから、金銭目的っていうよりも何かしらの儀式のつもりでやってるんじゃないかな。地図で襲われた店を繋いでみたら、何かの記号になっているとか」
これで、強盗ヤギの正体に大きく近づけるのではないか? 僕はそう思っていた。森巣はすぐに反応を示さず、「なるほど」も「そうだったのか!」の一言もなく、ただまじまじと僕の顔を見ていた。
と思いきや、森巣は、ぷっと吹き出し、快活な笑い声を店内に響かせ始めた。他のお客はいないけど、静かにっ! とつい周囲を確認してしまう。オーナーが、何事か目をぱちくりさせてこちらを見ていた。なんでもありません、と頭を下げる。
「平、お前は想像力がたくましいなあ」
「僕が間違えたってことはわかったけど、どう大間違いをしたのか説明してほしい」
「屍体に蹴りを入れるけどいいのか?」
「傷口に塩くらいの言い方で頼むよ」
森巣は、ふっと息を整えてから、「いいか?」と口を開いた。