君がいない世界で僕は壊れる『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』
映画感想シネマパラダイスの5本目は
『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』だァー!!
「拝啓、自販機カスタマーサポートへ。
昨日、御社の自販機で嫌なことがあった。正確に伝えたいから、丁寧に書こうと思う。
僕は朝の七時に起きて、朝食を取り、身支度を整え、八時に薬をもらいに病院に向かった。風邪じゃない。持病で月一で通っている。病院に行き、処方箋をもらい、薬局に寄って帰ってくる。それだけのはずだった。これは、病院からの帰り道での出来事だ。
酷く寒かったから、僕は病院を出てしばらく歩いたところにある、御社の自動販売機であたたかいコーンポタージュを購入した。が、機械が故障しているのか、二本出て来た。ラッキーなことみたいに思われるかもしれないけど、僕が飲みたいのは一本で十分だ。もう一本はいらない。カバンに入れたら重くなるし、二本目を飲みたいと思ったころには、冷めてしまっているだろう。なんだか、くだらないことに運をつかってしまったみたいだ。意外とすぐに冷えるから、カイロの代わりにもならない。だんだん自分の手の中で冷えていく缶を、僕はどうすればよかったんだろうか。
こんなときに、会えなくなったあの人が隣にいてくれたらと思う。
如月新一」
とまあ、今回手紙風の書き出しにしたのは、主人公のディヴィスが、自販機カスタマーサービスに手紙を送りまくるからなのさ。それが何なのかは追って説明しよう。
大切な人がいなくなった世界のことを想像したことがあるかい? 辛い経験をした人もいるだろう。人はそれを乗り越えることはできるのか? それがこの映画で描かれていることさ。
この映画は、ディヴィスと妻のジュリアが自動車に乗ってるシーンから始まる。ディヴィスとジュリアは「ディヴィス付箋見た? いい加減、冷蔵庫の水漏れを直してよ」「わかってるよ」「また口だけでしょ」「わかってるってば」みたいな話してる。
よく見る夫婦のやり取りだよな。
だけどそこに、対向車が突っ込んでくるんだ。
結果、妻のカレンが死に、ディヴィスだけがほぼ無傷で生き残ってしまう。
ディヴィスは妻が死んだことにショックを受け……ない!
妻が死んだと聞かされたのに、病院の自販機でチョコ買おうとして、そのチョコが上手く落下してないことに困惑したり、次の日普通の顔をして出勤したりしている。心配して飲みに誘ってくれた義父に対して、平然と「このお店が高いのは、雰囲気代ですよ」みたいな会話を返す。
おいおい、ディヴィス、ジュリアのことを愛してなかったのと思っちまう?
「僕は妻のことを愛してなかったのかもしれない」
妻の死に対して、ピンと来ていないディヴィスはそう悩むのさ。悩みながら、自販機のカスタマーサポートに正確に伝えたいから、と「僕は朝五時半に起きる」みたいな私生活や、チョコが落下しなかったこと、自分の妻が死んだことをつらつらと書き連ねる手紙を書く。
そんな手紙をもらっちまった、サポートセンターのカレンは同情し、ついディヴィスと家族ぐるみで交流を持つようになってしまう。
妻が死んだら新しい女か? いやいや、そんな話じゃないから安心してほしい。
ディヴィスは電車に乗ってる男に、妻が死んだと話したり、突然電車を停車させたりする。心配する義父から「心の修理も車の修理も同じなんだ、一度総点検してみろ」「壊れたものは、一旦全て分解してみるしかない」とアドバイスを受ける。
それを聞いたディヴィスは何をするか?
ありとあらゆるものを分解しまくる。
会社のパソコン、会社のトイレ、自宅の冷蔵庫。ぜーんぶ分解する。
なんで分解するのか? それは、おそらく不条理に対して、格闘しているのさ。分解したら、なにかわかるかもしれない、と気持ちの整理をしているように見える。
観てればわかると思うけど、人の悲しみを「悲しい!」と表現しないのがこの映画のすごいところなのさ。
「結婚生活をぶっ壊す」
そう言って、ハンマーを使い、テレビやテーブルや壁や窓やら、自分の家をぶっ壊していく。これは、完全な自己破壊だ。カレンの息子と陽気な音楽をかけながらノリノリでやっているけど、観てるこっちは痛々しくてたまらないわけよ。
周りからしたら、ディヴィスは心の病気なんじゃないかとか、気が触れちまったような感じに見える。実際、そうなのかもしれないが、言葉では説明できない感情だよな。
ディヴィス、お前は気づいてないかもしれないけど、あんたはぶっ壊れちまってるぜ。なんでかって? そりゃ、妻が死んだからだ。それを受け入れてられてないからだよ、とわかる。でも、言葉で何を言っても伝わらないだろうなあ。ディヴィス自身が気づかないといけないことなのさ。
あと、この映画の印象的なシーンは、人混みの中にいるディヴィスだ。なぜか、人混みの中にいるのに、彼が孤独に見える。おそらく、人の配置や動き、衣装の色合いなんかも意識しているんだと思う。大勢の人の中にいても彼は一人ぼっちなんだなってわかる画面ってのはすごいぜ。
それでだ、ディヴィスはカレン家族との交流を通して、どうにか孤独をこじらせずにすんだ。そしてジュリアの墓参りをした後、車の中でジュリアが書いた付箋を見つける。その付箋には、こう書いてある。
「If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, you'll think of me」
「雨の日は会えない、晴れの日は思い出す」
よくわからないから、意訳をしよう。
悲しいときそばにいないけど、楽しいときはあなたのそばにいるわ。
そういう意味なんじゃないか?
ジュリアの死因は事故だから、これは遺書じゃない。ふとしたとき、ジュリアはディヴィスに対してそう伝えたいと思って、メモしたんだろうな。
付箋を読み、ジュリアとの楽しかった日々がフラッシュバックする。ディヴィスはやっっっっと、心から涙を流すことができる。よかったな、ジュリアはずっとそばにいるってよ、と思える。
個人的な感想なんだけど、恋人を亡くした系話の、立ち直るために新しい恋をするっていうのが俺は好きじゃないんだ。好きな人のことを、好きなままでいてもいいじゃないか。生きていようが死んでいようが、関係ないだろ。相手がいなくなっても、好きが消えるわけじゃないんだぜ。
そして映画のラストで、ディヴィスは走り出す。それは、妻の死と踏ん切りをつけてじゃない。妻の死を受け入れて、抱えたまま、走り続けるのさ。
晴れの日は、妻のことを思い出せる。
人は大切な人を失ったとき、ぶっ壊れちまうことがあるだろう。
だけど、再生もできるんだぜ。
『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』以上ッ!
ではではまたまた
【ジャン=マルク・ヴァレ監督の他おすすめ作品】
『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)
【怪演を見せてくれた、ディヴィス役ジェイク・ギレンホールのおすすめ出演作品】
『遠い空の向こうに』(1999)
『ドニー・ダーコ』(2001)
『ムーンライト・マイル』(2002)
『ゾディアック』(2007)
『ナイトクローラー』(2014)
【大切な人の喪失と克服を丁寧に描いた映画】
『その夜の侍』(2012)
『海街diary』(2015)
『若おかみは小学生』(2018)
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