百万円ゾンビ(2稿−13)
13
男はこの世の悲しみに打ちひしがれるように、がっくりと肩を落として固まっていた。かれこれ、十分以上ぴくりとも動かずに地面を見つめており、通行人は心配する声をかけることもなく、集まって期待の眼差しを向けている。それは彼が道化の格好をしているからだ。
若いカップルが立ち止まり、男の方が「前にも見たんだけど、すげーんだよ」と恋人の女に自慢げに話す。女は早く買い物に行きたかったが、周りで評判を口にしている者や録画しようとスマートフォンを構えている者を見て、見逃すと損なのではないかと男の腕に手を回して人の輪に加わった。
三時になり、ピエロがゆっくり顔を上げる。手足を不思議に曲げながら、マリオネットのような虚脱した動きで礼をする。
拍手が起こり、皆がこれから披露されるパフォーマンスに胸を弾ませた。
が、しばらくすると皆の表情が曇っていった。カップルの女は、これが見せたかったのかと不満そうに男を見て、男は困惑しながらもばつがわるそうに「人違いだったわ」と言って手を引いて立ち去った。
ピエロはパントマイムをしている。それは人間離れした動きというよりも、油のさされていない機械のようなぎこちない動きで、見ている者を不安にさせた。
首を傾げ、顔をしかめ、波が引くように人がいなくなっていく。それでもピエロは何かに取り憑かれたように身振り手振りを続けた。
目に見えぬ重い何かを持ち上げようと屈み、踏ん張り、ぐらつき、を繰り返している。
が、突然ピエロが我に帰ったように、ゆっくり身を起こした。
「どうして見てるの?」
今の自分がしていることは、見せられる芸ではないし、立ち止まって見る価値のないものだとピエロは自覚している。だがそんな芸を、高校のブレザーを着た少年が一人、棒立ちになってずっと見ていた。この辺りでよくパフォーマンスをしてきたが、彼を客の中に何度も見たことがる。顔立ちがはっとするくらい整っているのでピエロはよく覚えていた。
「話せるんですね」
「そりゃ、話せるよ」
「この人、本当は人形なんじゃないかっていつも思ってたんで」
「ありがとう。君はよく見に来てくれていたね」
「ええ。でも、今日は切れがなかった」
優しく抱きしめられてから、背中をナイフで刺されたようだった。ピエロが頬を引きつらせてから、苦笑する。
「何かあったんですか?」
「ちょっと悩み事がね」
「ちょっとって言う割に、酷く落ち込んでますね。涙が」
少年がそう言って、自分の頬に触れる。
「これはメイクだよ」
ピエロが左の頬に描かれた涙のマークを指差す。ティアーズオブクラウン、顔は笑っていても心では泣いている。
「いや、あなた泣いてますよ」
指摘され、ピエロが目の下を拭って確認すると、涙が溢れ、頬を伝っていた。指先は濡れ、溶けたメイクで汚れている。
その時、ピエロは涙でぐちゃぐちゃになっている自分の姿を想像し、その惨めな汚らしさに対して、何故か笑いが込み上げて来た。濁った涙は自分の汚いものが溢れ出してきたものだ。
自分はどうすればいいのか、とわらかずにいた。だが、自分の中の自分が顔を覗かせている。
黒い感情を持つ自分が本物だ、だったら、そう振る舞うべきではないか?
自分の大切な友達を深く傷つけた、秋山という男のことを考えてしまう。
秋山は今、この瞬間も生きている。友人と談笑しているだろうか、将来の為に学問に勤しんでいるだろうか、恋人とくつろいでいるだろうか、働いて社会と繋がっているだろうか。
何もかもが許せない。全てを奪ってやりたい。握りしめる手が痛み、頬が痙攣を起こす。
「人でも殺して来たのか?」
飛んで来た声にピエロが、はっとする。視線を移すと、少年は氷のような冷たい顔をしていた。
「いいや、これからだ」
ピエロは声を低い沈んだ声でそう答えた。制服姿の少年が、ひどく呑気なものに見えての八つ当たりだ。
「これから友達を傷つけた奴を、ぶっ殺しに行く」
そう口にすると、目の前に進むべき一本道が生まれて行くようだった。
「殺人ピエロとは、まるでB級のホラー映画だな」
「他人を利用して築き上げた自分の人生が、突然現れたピエロに奪われたら、びっくりするだろ」
「誰でもびっくりはする」
淡々と言葉を返され、話を真に受けていない態度にピエロはむっとした。
「君はこれがジョークだと思ってるのか?」
「あんたは喋らないパフォーマンスの方が向いてるな。ジョークだったら冴えてない」
少年がそう言って、薄く笑う。
「俺が思ってるのは、友達の所為にするのはやめろ、ということだ」
「復讐は悪いことだからやめろって?」
「復讐は秩序を乱す社会悪だ。だが、やめろとは全く思ってない。俺が言っているのは、自分がする悪事を友達のせいにするなということだ。お前は、お前の中にある感情を解消したいんじゃないのか? それを誰かの為にやるんだなんて綺麗事で誤魔化すのはやめろ。どうせ自己満足なんだ。やるなら、腹を括って自分の為にやれと言ってるんだ」
少年が話すことは、ぐらぐらと怒りで煮えていたピエロの頭を冷静にさせた。確かに少年の言う通りだ。復讐をして友達が喜ぶかはわからない。話題になれば、嫌な思いをするかもしれない。ピエロがやろうとしていることは、紛れもなく自分の戦いだった。
「あと、そうだな、余程のことがあったんだとは思うが、個人的には殺してビックリさせるだけでいいのか気になったな。俺なら、自分のしてきたことを激しく後悔させる。培ってきたものが崩れ落ちるのを見せ付け、他人に人生の手綱を握られることの恐怖を与え、自分の人生が終わったんだと理解させる。惨めに奥歯をガタガタ震わせながら生きるんだ、今後の人生で一秒も幸福な時間をないんだ、と敗北を味わわせる」
眉一つ動かさずに滔々と語る少年の言葉は、物騒な内容にも関わらず、心を安堵させる不思議な甘い響きがあった。
「どうするかはお前次第だが、詳しく話を聞かせてくれないか?」
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