百万円ゾンビ(2稿−14)
14
駅前広場のベンチに戻り、ぼーっと人の往来を眺める。知らない人たちで溢れている。この町には、たくさんの人がいる。大人も子供も、良い奴も悪い奴もいる。ぶつかり合いも起こるけど、僕はできれば、誰も傷つかない町であって欲しいと祈る。
「よお」と森巣が手をあげてやって来た。
「やあ」と僕は返事をする。
休日の森巣は白いシャツに細身の黒ジーンズというシンプルな格好だった。着飾っていないのに様になっている。僕が同じ格好をしても、きっと彼のように大人っぽい印象にはならないだろう。学校にいるときのような猫かぶりをやめ、つんとすました顔をしていた。
「一人か」
小此木さんかピエロか、誰と一緒にいると思っているのわからないけど、「帰ったよ」と伝える。ピエロは病院へ、小此木さんは予備校へ行った。森巣は、ふうんと周囲を見回し、「そうか」とだけ呟いた。
「色々聞きたいことがあるんだけど」
「ピエロと話さなかったのか?」
「概要は聞いたよ。でも、君にしかわからないこともあるだろ」
「何が知りたい?」
「いつからこの計画を?」
色々知りたいことはある。軽めの送球からキャッチボールを始めるように、疑問をぶつける。
「一ヶ月くらい前だな。俺はピエロから話を聞いて、秋山たちが使ってるバーを調べ、そこから出て来た奴を尾行した。秋山も含めて大学生が多いから、脅すのは簡単だったな。活動的な奴はつけいる隙も多い。学校や親、就職活動先、どこにでも爆弾を落とせる。で、そいつから、女を風俗に沈めるマニュアル、提携してる店、カモリスト、仲間たちのプロフィールと写真、SNSでのやり取りを提供させた。これで大体二週間くらいだ」
「学校に通いながらよくそこまでできたね」
「暇なときに勉強してたからな。何日か休んだが、俺にとっては別に大したことはない。他に質問は?」
「私服の警察官はどうやって呼んだの?」
「あれは、振り込め詐欺の電話があったと予め相談しておいたんだ。カモリストの中にいた女の一人に協力を仰いだら、快く引き受けてくれた。自分を騙そうとしたんだから地獄に落ちるしかない、と息巻いていたな」
僕に話しかけて来た金髪女性のことだろう。彼女は「電話をかけた」と言っていた。それで詐欺行為の中止を伝え、私服の警察官たちはそばで人を襲っている人間を捕まえたのだろう。
「ずいぶん根回しをしていたんだね」
「立案者の俺が、失敗させるわけにはいかないからな」
「でも、もし僕がいなかったら失敗してた」
「いや、失敗しないように、平に弾き語りを頼んだ」
どういうことか? と眉間に皺が寄り、すぐにはっとする。
「もしかして、僕に弾き語りをしないか言って来たのって」
「ああ、万が一ピエロが来れなくなったら金を受け取る相手がいなくなるだろ。念には念を入れたんだ。時間が経って秋山たちに探られたら面倒だし、遠足みたいに、来れないなら来週ってわけにはいかないからな」
「僕は予備だったわけだ」
「事前に話したら、素直に協力するかわからなかっただろ?
「それは」と口にし、言い淀む。危ないからやめようと反対したかもしれないし、ピエロの人の事情を聞いて同情し、協力したかもしれない。協力したとしても、緊張して、弾き語りどころではなかった気がする。
だけど、それは重要ではない。
「な? だから言わなかったんだ。我ながら、正しい判断だったな」
森巣が右頬を吊り上げて得意そうに笑っている。全て彼の計画通りで、トラブルはあったものの、成功したわけだ。
「実は調べてわかったんだが、秋山たちが使っているぼったくりバーは、強盗ヤギの発案者の滑川のものだった。滑川は、どうやら偽装強盗や風俗斡旋だけじゃなく、振込詐欺や脱法ドラッグの売物もしている、この数年で台頭してきた犯罪集団のボスらしい。暴力団じゃないから暴力団対策法の対象にならないし、秋山たちが逮捕されても滑川は逮捕されない。指揮命令系統が不透明だから、ボスを処罰できないようになっている。トカゲの尻尾切りだ。さっさと頭を踏み潰してやりたいね」
森巣が何か忌々しそうな顔をして淀みなく話しているが、内容は聞き流していた。
滑川が何をしていようが、そんなことは今、重要なことではない。
僕にとって重要なのは、これからする質問の答えだ。
「どうして弾き語りを聴きに来なかったんだい?」
質問をぶつけると、森巣はきょとんとしていた。何故そんなことが聞かれるのか、と不思議でたまらない様子だ。
「滑川の居場所を探っていた。悪行の数々は出てくるが、用心深い奴でな。写真も出て来ないし、それに––」
瞬間、冷静になろうと努めていた頭に火が着く。
「どうやら、僕らの間には、友情はないみたいだな。君が僕を友達だと思っていないなら、僕も君のことを友達だとは思わない。これ以上、付き合ってられない。さよならだ」
「おいおい、急にどうした?」
この期に及んでも怪訝な顔をしているのを見て、頭の血管が切れそうになる。
「君は頭が良いんだろ? 自分で考えろ馬鹿!」
こんなに大きな声を出したのは初めてだし、怒鳴ったのも初めてだ。僕の声に驚いたのか、僕を怒らせたことに驚いたのか、森巣の瞳がゆらりと揺れた、ように見えた。困惑しながら口をぱくぱくさせて、何かを言おうと口を開きかけている。
僕は睨みつける視線を外し、ギターケースを手に持ち、森巣に背を向け、駅に向かって歩き始めた。
森巣がいなくても、弾き語りくらいできる。
でも、僕は僕の演奏を森巣に聴いてもらいたかった。
目だなんだと利用されるのではなく、隣に立つことを認めてもらいたかった。
それに、頼みごとがあるなら、普通に言ってくれればいいじゃないか。憤りが止まらず、悲しみと怒りがぶつかり合う不協和音が頭の中で響くようだ。
迷いを振り払うようにずんずんと進み、気がつくと駅のホームに立っていた。
音楽プレイヤーを取り出し、イヤフォンを耳に嵌める。この気持ちを吹き飛ばしてくれる曲を探した。慰めてくれる曲を探した。励ましてくれる曲を探した。
だけど、ふさわしい曲がどれか思い浮かばない。
顔を上げると、いつの間にか到着していた電車は僕をおいて走り出していた。
(3話目おわり)
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