天国エレベーター(初稿−1)
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森巣良とは何者なのか?
良い奴なのか、悪い奴なのか、頼りになるのか信じてはいけないのか、友達なのかただの同級生なのか、白なのか黒なのか。魅力的だけど意図が掴めないジャンル不明の音楽に出会ったようで、考えてもわからずに困惑する。
僕は彼と出会って事件に巻き込まれ、調査をし、いくつかの真実を暴いた。行動を共にすることに慣れ始めて忘れかけていたが、僕の生活は犯罪だとか事件だとかそういうきな臭いのとは縁のないものだった。
「良ちゃんが学校に一週間来てないし、連絡がつかないんだけど、平くん何か知らない?」
と共通の友人である小此木さんから訊ねられた。
森巣はもともと秘密の多い奴だし、喧嘩中だったのでそっけなく「知りませんよ」とすげなく返してしまった。
「危ない橋を渡ってるかもよ」
「危ない橋を涼しいで渡る奴じゃないですか」
何があっても動じず、余裕を失わない、そんな姿しか想像できない。
そんなやり取りを今日の昼にし、僕は一人で放課後に地元の図書館に行ってのんびり勉強をしてから、帰路に着いている。森巣と交流がなくなり、どうやら最近危険な目に逢ってばかりいたのは彼のせいだったのだな、と安らぎを感じていたのだが、間違いだった。
図書館を離れて住宅地を家に向かって歩いていたら、向こう側から男の人がやって来た。リュックサックを前に回し、中をごそごそやりながら歩く彼は大学生が教科書を入れ忘れてないか確認しているようにも見える。
履いているブーツからジャンパーまで真っ黒で、大きなサングラスまでかけているのに、マッシュルームカットの髪だけ光沢を放つ金色なのが気になり、目を引いた。流行ってるファッションでもないよなあ、と思いながらぼんやり見てしまう。
「あ」と思わず僕の口から溢れる。
キノコ男が前につんのめるように姿勢を崩すと、リュックサックから何かが転がり落ち、それを彼は蹴ってしまった。目の前に滑って来たそれを、屈んで拾ってあげようかと思ったけど、ぎょっとし、固まった。
アスファルトの上に、黒いリボルバー式の拳銃が落ちている。
「やば」と今度はキノコ男が声をあげた。
今のは一体、と窺うように視線を上げると、口を横に引いて渋い顔をしていた。
「見た?」
「いえ何も」反射的にそう答えたけど、「よかったよかった」と言って退散してくれることはなさそうだった。
「まじーな。また怒られるんじゃんか。怒られるの嫌なのによ」
蛾が羽ばたいて鱗粉を撒き散らすように、彼が頭を掻き面倒臭そう」に僕と拳銃を交互に見ることで、物騒な気配が一気にこの場に漂った。
「ミーティングしよう、緊急ミーティング」
キノコ男は部活の後輩を呼ぶように宣言し、角に立って僕に手招きをしてくる。集合命令を無視して全力で走れば、この住宅地を離れて車が通る広い道まで逃げ切れるのではないか? そこまで行けば流石に手を出してこないのではないか? そんなことを考える余裕がなく、固まってしまう。
「逃げたり騒いだりするなよ? 制服と顔も覚えたからさ。見つけるのは正直余裕だよ。穏便に済ませようぜ、穏便に。そっちの方が少年も助かるだろ?」
助かります! と同意したわけではないけど、命令された条件反射なのか、僕はおそるおそるキノコ男に続いて路地を曲がる。
細い路地の先で、彼は左手に持ったスマートフォンを操作ながら、連続的に舌を鳴らしていた。
「ゲームしてるわけじゃねえぞ。お前をどうするか相談してんだよ、ちょっと待ってな」
「仲間がいるんですか」
「一人は寂しいからな」
軽口を言うくらいだから切迫していないのではないか、僕も待ってるだけでは手持ち無沙汰だし、というわけではないけど、ふと疑問が浮かんだ。
キノコ男の持っている拳銃は本物だろうか?
偽物であれば逃げて交番に駆け込める。男が指名手配されれば、目撃者である僕を狙う意味や暇はないだろう。
森巣とつるんでいたから度胸がついたぞ、森巣ありがとう! と思ったりなんてしないけど、試しに、そっと後ずさりをしてみる。
「おいおい、何帰ってるんだよ」
キノコ男が拳銃をこちらに向けてきた。
「コンビニのコピー機に教科書を置きっ放しにしてるの思い出しちゃって」
「店員が気付くだろ」
「中、読まれたくないんですよ。詩を書いてたんで」
「高校生のポエムなんて珍しくねえよ。店員も読み慣れてるって」
「読み慣れてはないと思いますけど」
「お前、いい加減動くんじゃねえよ」
痺れを切らしたキノコ男が大股で歩いて来て、少し苛立った様子で僕の眼前に銃を向けた。背筋が凍り、表情が強張り、お腹に力が入る。
意識を前の拳銃に、集中して目を凝らす。
もしかして、と思ったけど、もしかしてだった。
「実は、二ヶ月くらい前にも拳銃を向けられたことがあるんですよ」
「あ?」
「正確にはモデルガンだったんですけど、その時に見分け方を教わったんです。銃口にインサートっていう板が入ってるって」
「あー」と溜め息混じりに唸りながら、拳銃が下ろされる。「コンビニの話は嘘だったのかよ」
「すいません」
「でも、銃だけだと思ったのは」
そう言って、モデルガンをリュックに仕舞うと、代わりに中から黒い筒を取り出した。
「間違いだったな」
金属が稼働する、冷たく暴力的な鉄の音を立てながら、筒が二段階伸びた。
「これは本物の警棒だ。殴られると、痛い」
殴られるという、想像は容易で恐ろしかった。生々しく痛みを想像できて、息を飲む。痛いだけでは済まないだろうし、もし頭を殴られたら––
最初から大人しくしておけばよかった、と焦りやら反省やらがぐちゃぐちゃになって胸の中で動き回り、ぶわっと冷や汗が湧く。
その時、この場にそぐわない陽気な音が鳴った。
キノコ男がスマートフォンを確認し、ポケットにしまう。
「はいはい、了解了解」
「……なんて言ってましたか?」
「死体は回収するから、お前は殺せってさ」
警棒が高く掲げられ、僕に向かって振り下ろされた。