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第21話「あとで説教な」

       クイーン7

 文化祭でギャンブルが行われていた。

 天宮先輩に伝えるべきかと迷ったけど、文化祭初日の最終公演を控えていたので、やめておいた。演劇部から借りたドレスは多少見劣りはするものの、立派なものだった。観客の視線は天宮先輩に釘付けになり、ユーモア溢れる劇に笑い、最後は涙していた。

 一日目の文化祭は四時に終了した。

 無事に乗り切った、という喜びや達成感を味わうことはできなかった。むしろ、無力感や歯がゆさや不甲斐なさが全身に伸し掛かってくるようだ。天宮先輩のドレスを破いた犯人も見つけることができていない。

 教室内の雰囲気は達成感とドレスを破かれてしまったことに対する憤りが、ぐちゃぐちゃになっている。

 そこに、コンコンとノックの音がして、男女二人がやって来た。氷見さんと、副委員長の奈良さんだ。

「巡回に来ました。あれから、何か困ったことは起きてない?」

 クラスのみんなが首を横に振り、氷見さんがほっとした様子で息を吐いた。

 通りかかった奈良さんに「文化祭実行委員はどうですか?」と訊ねる。

「あまり言いたくないんですけど、たくさん事件が起きています。合計で十五件」

「ジャック絡みですか?」
「ええ。でも、ドレスが切り裂かれたっていうのが一番悪質ですね」

 右手に痛みを覚え、自分が知らずぎゅっと拳を作っていたことに気づく。怒りはよくない感情だ、冷静になれ。意識手に手をグーパーさせる。

「みなさん、ちょっといいですか?」

 振り返ると、そこには神妙な顔をした氷見さんが立っていた。青い便箋と紙を手にしている。ぞわっとしたものが、胸の中で動き回る。悪い予感しかしない。

「教卓の下に落ちていたんだけど」

そう言いながら、こちらに紙と小さな折り鶴を差し出して来た。

 

『もう一度警告をする。天宮静香は劇に出るな。お前にその資格はない。』

 

 教室の生徒たちが息を飲んだのがわかった。

 文字がぐにゃぐにゃ揺れている。ドレスを切り裂いた奴の新たな脅迫文だった。

 天宮先輩は劇に出ない方が安全だ。だけど、シンデレラの劇でシンデレラ役の彼女が降板すれば、劇として成立しないし、今からシンデレラ役を別の人がやるのは無理だろう。

「なあ天宮、劇は中止にした方がいいんじゃないか? 何かあったら」

 朝倉先輩が声をかけると、天宮先輩はクラスの全員を見回してから、口を開いた。

「わたしは、最後の文化祭をみんなと成功させたい。だから、挑戦させて」

 みなを牽引する、リーダーの風格がある一言だった。胸の中のざわつきはある。それでも、彼女を信じたいとみんな思ったのではないか。

 天宮先輩には俯く顔を上げさせる、人を鼓舞する力があった。

 

「ごめんね、付き合わせてしまって」

 天宮先輩にどんな考えがあるのかはわかったが、暑苦しくて息苦しい。

「本当に来るんですかね?」
「来ると思う」

 くぐもった返事が聞きながら、目の前の隙間から覗く。

 電気の消えた教室はすでに薄暗く、教室の扉から差し込んでくるわずかな光だけが、誰もいない室内を照らしている。

 僕は今、三年二組の教室に設置されている、掃除用具のロッカーの中に隠れて監視している。

「わたしが犯人だったら、みんなが帰った後にまた来る」

 天宮先輩にそう言われ、待ち伏せをしようと提案されたからだ。

 腕時計のスイッチを入れる。うっすらと青く光り、デジタル表記でもうすぐ十八時になると表示された。制服に匂いがつきそうだなあ、と顔をしかめる。

 僕は喉を潤すために、ペットボトルのお茶をごくりと飲んだ。レモンティーの爽やかな甘みが、気持ちをごまかしてくれる。

「狭間くんのご家族は文化祭に来ないの?」

 美夏ちゃんのことを思い出しているのだろう。

「僕は兄弟がいないので。それに、天宮先輩みたいに劇に出るとかそういうのならともかく、僕はほぼ巡回する文化祭ですから。天宮先輩のご家族はいらっしゃらないんですか?」

「どうかな。ねえ、狭間くん、狭間くんがもし私の親だったら、文化祭にくる?」

 もし、親だったらなんて質問に笑いそうになったけど、真剣な口調だったので、真面目に答えようと、思案する。

「僕が親なら、娘が嫌がらないようにこっそり見に来ますかね」
「想像できる」
「高校生の娘は、嫌がると思いますけど、嫌われたくないですね」

 僕らはそれぞれロッカーに入っているので、相手の顔色がわからない。ただ、会話は途切れてしまい、少し不安になった。

「私、音大に通ってる姉がいてね、チェロのコンクールとか演奏会に家族で行くの。でも、わたしもピアノをやっていたけど、上手くなれなくてやめちゃったんだよね」

 声色には不安が滲んでいた。

 返事を待つが、続きがない。何か言わなければと思ったけど気の効いた言葉が思い浮かばない。ばつの悪さを誤魔化すように、ごくりごくりとレモンティーを飲み干す。苦味もない、爽やかな酸味と――
 あとはまどろみが瞼を重くする。


 はっと我に返ったとき、額には汗が滲んでいた。

 目を瞬かせ、荒い呼吸をする。息苦しい。

 自分が今、どこにいるのかわからなくて、視線を泳がせる。埃っぽい匂いがして、ロッカーの中に隠れていたのだ、と思い出す。

 立ったまま眠ってしまったのか? かぶりをふる。頭が重く、気持ちが悪い。

 どのくらい時間が経ったのだろうか、「天宮先輩」と呼びかけるも返事がなかった。腕時計のライトをつけて確認すると、夜の十二時になろうとしていた。

「やばい」

 ロッカーを出る。教室はしんとしていて、誰もいない。隣のロッカーをかばっと開けると、とそこには眠れる美女がいて、ほっと胸を撫ぜ下ろした。

 無防備な寝顔にしばし見惚れてしまったが、声をかけ、肩を揺する。

 すると、小さく声をもらしながら、ゆっくりと天宮先輩が目を開けた。ぼうっとした寝ぼけた様子だったけど、はっとした様子で表情が変わった。

「私、寝てたの?」
「僕もです」
「犯人は?」

 言われて、振り返る。特に教室が荒らされた様子もないし、ドレスに近づいて確認してみたが、悪戯された様子もない。

「よかった。なんで、こんな時に。急になんだか眠くなっちゃって」

 言葉が止まり、天宮先輩がじっと僕を見る。

「狭間くん、あのレモンティーは狭間くんが用意してくれたんだよね?」
「え、あれは天宮先輩が買ってくれたものじゃないんですか?」

 僕らがロッカーに隠れる前に、自動販売機で買ったと思わしきレモンティーが机に二本置かれていて、てっきり天宮先輩が僕のために用意してくれたのかと思っていた。

「あ」

 頭の中で思考がかけまわり、一つの答えにたどり着こうとしていた。

 僕の変化に気づいた天宮先輩が不安そうな顔になる。

「天宮先輩、すいません。犯人の狙いはこれなのかもしれません」
「どういうこと?」

「実は、一人で動いている間に、文化祭でギャンブルが行われていることを知りました」
「ギャンブル?」
「はい。ミスコンとミスターコン、あとハートのキングで賭けをしている人がいるようで」

 相手の反応を待っていると、誰もいない夜の教室は静寂に支配され、なんだか時間が止まってしまったように感じた。

 ばつの悪さを覚えながら、言葉を探していると、切れのある口調で「続けて」と声が聞こえた。

「犯人の目的は天宮先輩なんだと思います。おそらく、ミスコンの有力候補である天宮先輩を失墜させて儲けようと企んでいるのではないかと。もう夜です。もし、先生や警備員の人に僕らが見つかれば――その、不純異性交遊をしていたと思われてしまうかもしれません」

「狭間くん」
「はい」
「あとで説教な」

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如月新一
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