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天国エレベーター(初稿−6)

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 私物をまとめた袋がない。どこにやってしまったかな、とうろうろしてみるが、見当たらない。

 清掃の人が間違えて持って行った? いや、まさか、中には少女漫画と地元銘菓が入っているからゴミだと思われるはずがない。それに、ベッドのそばにあるゴミ箱には鼻をかんで捨てたティッシュが入っているのが見えるから、清掃はなかったはずだ。

 隣のベッドのカーテンが今日も開いている。つるんと禿げ上がった頭の磯貝さんと目が合う。彼は不機嫌そうに眉に皺を寄せた。「なんだよ」

「あの、ここにあった、僕の大きな紙袋知りませんか?」
「紙袋?」
「ええ、戻って来たらなくなってて」
「なんだよ、おれが盗んだって言うのか?」

「いや、中身は漫画とかお菓子ですし」と口にしながら、盗まれたということを考えていなかったので、まさかと思いつつ気になった。足元に不吉なものが這い寄って来たような気配がする。

「誰かが来て、盗んだり、とかしてないですよね?」
「おれは別にお前のベッドを見張ってるほど暇じゃない」
「ですよね、すいません」
「あ、でも、変な奴は来なかったな。お前がいなくなった後、カーテンを開けてのんびりしてたんだよ。ずっとカーテンをしてると、なんだか狭っ苦しいだろ?」

 カーテンをしていないとプライバシーが守られていない気がするので僕は嫌だけど、「確かに、そうですね」と同意して見せる。

「理学療法士がお前に会いに来たけど、留守だって教えてやっといたぞ。あんまりうろちょろして、病院の奴らに迷惑をかけるなよな」
「すいません、ありがとうとございます」

 リハビリなどの話が出る前だけど、挨拶をしに来てくれたのかもしれない。事前に来ると聞いていたら出歩かなかったのに、無駄足を踏ませてしまって申し訳なく思う。そして、人にいつも迷惑をかけている人に咎められるのは、複雑な気持ちだった。

 が、だとすると、誰が盗んだのだろうか。
 お菓子は構わないけど、静海から借りている漫画は返してあげたい。相談したら、森巣が「袋はどこそこにあるんじゃないか」とあっさり推理してくれるのではないか、という期待と、今何しているかな、と気になって、

『事件が起きたんだけど、ちょっと相談に乗ってくれないかな』

 とショートメッセージを送っていた。
 メッセージが送信済み表示になってから、「あ」と声が漏れる。
 まさか滑川絡みではないよな、と急に不安が込み上げてきた。キノコ男が滑川のついでに僕をなんとかしようと思ってやって来たのではないか。

 慌てて『さっきのはなんでもない』と打ち込んでいるときに、『食堂に来てくれ』と森巣からメッセージが飛んで来た。

 返信の速さに驚きつつ慌てて病室を出ると、廊下で出会い頭に看護師さんに呼び止められた。
「平くん、ちょっといい?」

 森巣は食堂の、昨日と同じ場所に座っていた。一人でコーヒーでも飲みながら待ってくれているのかと持ったのだが、森巣の向かいの席には髪を後ろで結った女医さんが座っている。何かを話している様子だったが、僕が来たことに気づくと森巣が手を挙げ、そして女医さんも僕を一瞥して席を立ち上がった。

 森巣のそばに向かいながら、女医さんとすれ違う。細いチタンフレームの眼鏡が似合っているけど、表情が硬く、冷たい近寄りがたい雰囲気のある綺麗な人だった。

「今の人は? お医者さんをナンパしてたわけじゃないよね」
「まさか。ナンパはするもんじゃなくてされるもんだからな」

 人が入院している病院で何をしているのか、と顔をしかめる。昨日も森巣がいる間、看護師さんが代わる代わる様子を見に来ていたな、と思い出す。

 改めて森巣の顔を見る。僕や同級生とは顔の造形が違う。神様が、「本気で作るか」と意気込んだのではないかと思えるくらい、森巣の顔は整っており、そしてなんだか人を魅きつける儚さと危うさのある顔をしていた。が、目の下に今日はクマが目立って見える。

「そんなにうっとり見つめるなよ」
「うっとりなんてしてない」と言いながらも、確かにうっとりという表現が近いくらい見つめてしまったなと反省し、耳が熱くなる。
「で、何があったんだ?」
「ああ、実は、それはなんでもないよ」
「いじけるなよ。さっきの女はそういうんじゃないぞ」
「いじけてないし、本当になんでもなかったんだ」

 廊下で看護師さんに呼び止められ、何事かと身構えたら、ナースステーションに呼ばれて見覚えのある袋を差し出された。盗まれたと思っていた僕の袋だった。中を確認すると、少女漫画と銘菓の箱が入っていたので間違いない。どこでこれを? と訊ねてみたら「落し物で届いてたよ。この漫画、読んでたよね?」とのことだった。

「これ、お詫び。好きだろ、甘いもの」

 袋に入っていた菓子を差し出すと、森巣はじっと見つめていた。

「甘いもの好きだろ? 地元銘菓って食べる機会がないけど、結構美味しかったよ」
「もらっておく」

 森巣が菓子をブレザーのポケットにしまった。今食べないのねと眺めていると、「呼び出したんだから、勿体ぶらないで話せよ」と促された。大袈裟な話題にしてしまったことに、申し訳なく思いながら、責任感を覚えて説明をする。

「なんてことはない話だけど、図書室に行って戻って来たら、漫画とお菓子を入れた袋がなくなってたんだ。隣のベッドに磯貝さんって人がいて、いつもカーテンを開けてるんだけど、僕のベッドに来たのは理学療法士さんくらいで、不審者は来てないらしい」
「もうリハビリあるのか? 早いな」

「で、ここに来る為に病室を出たら、看護師さんから呼び止められて落とし物として戻ってきたんだ。同じ階の喫茶スペースにあったらしい。ね? 地味な話だろ? 森巣を滑川がいる病院にわざわざ呼び出すことなかっったよね。どうせ犯人は磯貝さんだろうし」
「磯貝って、隣のベッドの患者か。どうしてそう思うんだ」

「森巣は、春に犬探しをしたことのこと覚えてる?」
「ああ、あれからもう三ヶ月経つのか、懐かしいな」

「そんなのんびりした反応しないでよ。あのとき犯人が犬を盗んで逃げたって嘘を吐かれていただろ? いない犯人の話を聞いて、僕はそれを信じて調べていた」
「あったな、そんなことも。懐かしい」
「だからしみじみしないでよ。で、これはそれと同じなんだよ。森巣の言う通り、僕にリハビリは早い。磯貝さんは、理学療法士さんが来たって嘘を吐いたんじゃないかな?」

「どうして」
「知らないよ、僕は磯貝さんじゃないし」

 盗むにしてもやり方があるし、目的がわからず、納得がいかない。

 そう言えば、僕の弾き語りを聴いて百万円払い、その後ゾンビの真似事をして警察に逮捕された大学生がいた。あのときのゾンビ大学生には匹敵しないものの、磯貝さんの行動は不可解だ。

 もしやこれも、あのときと似た様な理由なのではないか、と考えが急浮上してくる。

 ゾンビ大学生は脅迫を受けたからの奇行だったが、磯貝さんも誰かに脅されて、ということはないだろうか。

「磯貝さん、何か弱みを握られていて盗みをさせられたって考えられないかな?」
「ゾンビの大学生みたいにか?」森巣も同じことを考えていたようだ。
「そういうこと」
「考え過ぎだろ」
「大事なのは結果だって森巣はよく言っていただろ。結果から考えるとどうなるだろう」
「盗んで少女漫画を読みたかったのか?」
「四十冊を読破する時間はなかったよ」
「菓子を盗み食いしたかったんじゃないか?」
「確かに、お菓子の数は数えてないから食べたのかもしれないけど、わざわざ紙袋ごと盗む必要はないよね……結果、だめだ。何も変わってない」

 何度もスイッチを押すことで明かりが着かないか試しているみたいなだった。切れてる電球は何度試しても灯らない。意味なかったね、と肩をすくめて森巣を見る。

 が、森巣の顔を見ていたら、ぱっと一瞬だけ光が見えた。だけどそれは、真相を照らし出す鮮やかなものではなく、闇が濃くなるのを思い知らせるようなものだった。

「森巣、まずいことになった」
「骨を折られて入院して、盗難の被害にあって、まだ平はまずいことになるのか?」

 森巣が余裕を感じさせる笑みを浮かべるが、危ないのは僕じゃない。
 君だ。

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