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天国エレベーター(初稿−8)

       8

 明日の今頃、僕は何をしているだろうか。いや、森巣は何をしているだろうか。

 町に巣喰う悪の親玉、親玉を狙う別の悪党の諍いに、高校生である森巣と僕は巻き込まれている。しかも、森巣を巻き込んでしまったのは僕だ。失敗すれば、僕のように骨を折られる、だけでは済まないだろう。

 森巣が戦うのは彼の意思だ、だから僕は好きにしろと言った。

「どうしてそういうことを言うんだ」

 夕飯を食べ終え、ベッドに転がったままそう口にしてみる。隣の磯貝さんに「うるさいぞ」と文句を言われるかと思ったけど、誰の何の反応もなかった。それが却って寂しさを強める。

 信じてくれ、助けてくれ、頼む、そう言ってくれたら、迷わないで済むのに。

 サイドボードに置かれた時計を見ると、九時を少し過ぎたところだった。消灯は十時だから、まだ時間がある。

 そう言えば、森巣は明日、不審者を病院のどこに誘き出すつもりなのだろうか。人目につかず、それでいて戦いが起きても誰の迷惑にもならない場所はあるのか。

 展望室に患者がいるのはあまり見ないけど、職員の人が休憩しているのは見かける。
 となるとやはりあそこか、と僕はベッドから体を起こして、図書室へ向かった。病院の中で忘れ去られたような、あの場所なら。

 一応下見をしておこうかな、と病室を抜けてエレベーターに乗り、三回の隅にある図書室へ向かう。扉をスライドさせると電気が着いており、おや? と思いながら室内を見回す。

 そこにはテーブルに向かっている、花坂さんがいた。こちらに背を向け、スマートフォンを右手に持って耳に当てていた。電話中のようだ。ここは通話してもいいのだろうか、と少し気になったが、花坂さんと海老原少年以外見たことないし、私語厳禁かもしれないのにトランプや飲食もしているな、と勝手に納得する。

 盗み見ているようで悪い気がしたので、小声で「こんばんは」と声をかける。

 花坂さんは僕に気付くと「やあ」という感じにペンを持っている左手を挙げ、すぐにスマートフォンを入院着のポケットにしまい、代わりに補声器を取り出して喉に当てた。

「こんばんは。夜に会うのは珍しいですね」
「ですね。夜もよく来るんですか?」

 各階にある喫茶スペースも悪くはないけど、花坂さんは静かな場所で思索に耽るのが似合っているように思えた。

「実は、忘れ物を取りに来ました」少し申し訳なさそうに、花坂さんがテーブルの上のコンビニ袋に目を向け、中から僕が持参していた地元銘菓を取り出した。

「トランプの景品、折角くれたのに、すいません」
「あー」と思い出しながら頷く。海老原少年が眠ってしまったので車椅子のまま運び出し、菓子をどうしたか記憶になかった。
「平くんはどうしたんですか?」
「ちょっと散歩に」

 そう言いながら、僕は「相談に乗ってもらえませんか?」と花坂さんの向かいの席に移動し、腰掛けた。

「当事者意識がないのは無責任だって言ってましたよね。『裸の王様』の話で」
「知識や分別だけでは世の中が良くならない、というお話でしたかね」
「ええ。でも、わざわざ少年がリスクを負う必要はあると思いますか? 周りの大人がなんとかするべきだと思うんですけど」

 童話の真顔で持ち出されても困るよな、そう思ったけど、花坂さんは茶化すことなく、思案するような間を置いてから口を開いた。

「それこそが、あの童話のテーマなのかもしれませんね。大人は空気やルールを大事にするから、あてにならない、という」
「そこまでして大人は何を守りたいんでしょうか」
「社会にあるルールや暗黙の了解は、みんなが平和な生活を送る為です」
「はい」
「ですが、残念なことにルールを守ることイコール幸せになれる、ではありません。例えば、魔女狩り。昔はそれがルールにあったので、密告や処刑が当たり前でした。が、今は当然行われません。ルールは時代と共に変わる、そう思いませんか?」
「魔女狩りまでいくと大げさだと思うんですけど」

 説明を聞きながら、ルールを守るべきなのか、逸脱してもいいのか、混乱して来た。

「盗みは悪いことだと思いますか?」
「はい、思います」
「子供が飢えをしのぐために万引きをしていた、それをあなたは通報しますか? その結果、児童相談所が動いて子供の生活は改善されるかもしれません」
「通報、すると思います」
「それが、海老原君だったらどうしますか? もしあなたが通報したら、彼には万引きをしたという経歴が残ります」

「それは」とだけ言って、口籠りながら、「例え話ですよね?」と確かめる。

「もちろん、例え話ですよ。親からの暴力で足の骨を折られ、そのことを口止めされている。もし、盗みをしたとバレたら親に何をされるかわかりませんし、彼の人生の幸福なときに『あいつは窃盗で警察に捕まったことがある』とバレて、酷い扱いを受けるかもしれません」

 トランプの勝負に一喜一憂する、あどけない少年の姿が思い浮かび、できることならどかすくすく成長してほしい、と願ってしまう。だから、嫌なことなんて起きてもらいたくなかった。

 そうなると僕の考えは裏返る。

「通報、しないです」

 花坂さんは、僕がこう答えることをわかっていたかのように、小さく頷いた。

「それは、ルール上では悪いことです。が、ルールを守っても自分が幸せにはならない。この世で最も大切なことは、自分にとっての幸福と満足する結果になるかどうか、自分で選ぶことじゃないでしょうか」
「でも、みんながルールを守るのをやめたら、世の中が滅茶苦茶になりませんか?」
「ええ、なので、ルールを破ったら、責任を問われる自覚をしておくべきですね」

 責任を問われる自覚、と胸の中で復唱する。僕は、強盗の被害にあったと嘘を吐いている八木橋さんを見逃し、悪徳大学生を脅迫した男性を見逃し、そして悪人と戦う森巣を見逃している。

 僕は、自分がどうしたいの、自分の考えがない、中身のない存在に思えた。

「偉そうに話してしまってすいません、悪い癖が出てしまいました」

 花坂さんがそう言い、頭を下げる。いえいえ、と首と手を振って悪いのは変なことを言い出した僕です、と伝える。

 僕の満足は何か?
 周りの人たちが平和に暮らすことだ。その中に、森巣は含まれている。
 僕は森巣に一人で危険な目に遭って欲しくない。
 警察に通報しよう。

「それじゃあ、先に」帰りますね、そう言いかけた時、テーブルの上にあるものを見つけて固まった。

「どうしましたか?」

 テーブルの上には、地元銘菓の入ったコンビニ袋とメモ帳とボールペンが置かれている。
 目を閉じて、考える。進むか、戻るか。
 なんでもありません、おやすみなさい、そう言うべきなのに、口が勝手に動く。

「花坂さん、あなた、本当は何者ですか?」

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