11月9日は「119番の日」(365日小説)
僕であったものが燃えていく。
ほっとするけど、胸騒ぎもするし、ワクワクもする。
めらめらと燃える、とよく表現されるけど、揺れている炎を見ていると、本当にめらめらという表現がよく似合っていた。
深夜、閑静な住宅街にある近所のゴミ捨て場、ゴミでぱんぱんに膨らんだゴミ袋は、最初は火を嫌がるように縮んだけど、ぽっと火が着いてからは何かの生き物みたいに大きくなっていき、めらめらと燃え上がった。
火種になったのは、通っている塾の模試の結果がプリントアウトされた紙だ。
全科目、全国10位以内、偏差値は70前後、志望校判定はA判定。
成績の良い小学6年生。それが僕だ。
だけど、それがなんなんだ? 良い結果を出すために生きているのか? 良い学校に行き、良い会社に行けとお父さんに言われている。コースアウトしてはいけないと言れている。僕は言われた通り走っている。
だけど、楽しくない。昨日と今日が同じだ。ワクワクすることが何もない。
そのことに気がついてしまった、そんなときだった。
道でジッポーライターを拾ったのは一ヶ月前のことになる。『インディ・ジョーンズ』の映画で、洞窟の中で灯り替わりにライターを使っているのが印象的で、僕にとっては勇者の剣、くらい格好いいものに見えた。
今日のことを、妄想する毎日が続いた。深夜にこっそり家を抜け出して、下らないと思っていることに火をつけることを。
それで、新しい自分になれる気がした。お父さんやお母さんは、僕が放火をする悪い子になるなんて考えてもみなかっただろう。
ゴミがゴミに燃えうつり、燃え方がゆらゆら、から、めらめらになっていくのを、見守っている。
「おぉ、燃えてんねぇ」
背後から声がして、振り返ると、不思議な女が立っていた。
髪は短い緑色で、高身長なモデル体系をし、着ている革のライダースジャケットにダメージの入ったジーンズが格好良いけど、靴はビーチサンダルを履いている。
カラーコンタクトでも入れているのか、黄色い瞳が大きくて、見つめていると飲み込まれそうになる。夜にふさわしくないほど肌が白い。頭の中で、彼女がどんな人なのか想像できない。
僕は、何か出会ってはいけないものに出会ってしまったような気がした。ごくりと生唾を飲む。
「やるじゃんボーイ」
「あの、僕が来たときには、燃えていたんですよ」
「つまんないこと言うなって」
「嘘じゃないです」
「なんで、こんな時間に外にいるのさ。丑三つ時、良い子は眠る時間だぜ」
「……それは」
「それに、あたし見てたしね」
女は「ひゃっひゃっひゃっひゃ」と笑い、唇の端を上げて、尖った八重歯をのぞかせる。
「そばで見てたんだって、気づかなかったかなあ?」
嘘だ、そんな馬鹿な、と内心で焦る。僕はちゃんと周りに人がいないことを確認してから、火をつけたはずだ。
「燃えるゴミって言うけどさ、ゴミって全部燃える気がしない?」
「缶とか瓶は?」
「すごい高温だと燃えるっしょ」
女はそう言うと、火が次のゴミ袋へ次のゴミ袋へと燃え広がっていくのを、楽しそうに覗き込んだ。「ここんとこ、ぐっと冷え込むようになったよねえ」
「あなた、なんなんですか?」
「自己紹介は自分からするもんだよボーイ」
「……志摩京介」
「小学生?」
「六年」
「あっっそう」
僕が誰なのか興味なさそうな言い方だった。
「放火犯ですって言やぁいいのに」
「ぼ、僕は自分のことを言いましたよ」
次はあなたの番でしょ、と視線を向ける。
「そうだねぇじゃあ、あたしの名前はボニー。相棒のクライドと銀行強盗にあけくれてたけど、1934年5月23日に警官隊に待ち伏せをされて、マシンガンを150発以上ぶち込まれた。はずなのに何故か生き残っちまったボニー。死なないもんだから、悪いことをしながら過ごしてる。こんなんどうよ」
こんなんどうよ、と言われても、どういう反応をしていいかわからない。
「ニュース見てない? 最近だとコンビニ襲ったり、路駐してる外車ぶっ壊したり、ヤクザの事務所に火炎瓶投げたりして、がんばってんだけど」
それらのニュースなら知っていた。「新聞を読むように」とお父さんに言われているから読んでいるし、近所で事件が起きている、ということに興味がった。
むしろ、それらの事件を知っていたから、僕もなにかやってみたい、と思った自分がいた。好奇心が刺激されていた。怖いことだけど、興味を持った。
全ての事件が繋がっているなんて考えてもいなかった。いや、ボニーのホラ話かもしれない。生い立ちはさておき、彼女の口ぶりからは、それが本当だと思わせるすごみがあった。
10袋くらいあったゴミの内半分ほどが燃えている。不思議な時間が流れていた。騒ぎになる前に、人が集まる前に逃げ出したいと思うけど、ボニーと話をしている間は誰にも邪魔されないような気もした。
「どうして、そんなことをするんですか?」
「楽しいからに決まってんじゃん。あたしの人生だから、あたしが楽しいと思うことをしてんのよ」
「他の人の気持ちとかは考えないんですか?」
「カンケーねーし。捕まるか撃ち殺されるまでやるだけよ」
ボニーが愉快そうに「ひゃっひゃっひゃっひゃ」と笑う。
「キョースケには道が二つあるよ。一つはこのままバックレる。もう一つは、119に電話する」
「どっちがいい?」
「あんたの道だよ、あんたが決めな」
交差点の前に、ボニーが立っている。どっちに進むの? とにやにやしている。
ばくんばくんと心臓が騒ぐ。
それと同時に、冷静になっていく自分がいた。
悪いことをすれば、自分が変われるんじゃないかと思っていた。だけど、ボニーを見て、自分はそんな風にはなれないのだ、と思い知った。僕はただ迷子になってる小学六年生だ。
「……電話します」
ボニーは僕のことを忘れないでいようとするみたいに、時間をかけてじーっと僕の顔を見た。
「ざーんねん」
ボニーはそう言うと、僕に背中を向けた。
「また会える?」
とっさに自分の口から言葉が飛び出ていた。
「会いたい?」
「……会いたい」
ボニーが体を捻り、革ジャンのポケットからタバコの箱を取り出すと、燃えているゴミの中に放り込んだ。
「もったいないけど、これで共犯。キョースケがこっちを見てるとき、あたしもキョースケを見てるよ」
そんなよくわからないことを言うと、ボニーは歩き出して夜の中に溶けるように消え、僕はスマートフォンを取り出して119にダイヤルをかけた。
炎が怪物みたいに全てのゴミ袋を飲み込み、奇妙な動きを続けている。僕はそれを眺めながら、自分はずっと一人でこの場にいたような気もするし、不思議な女に出会ったような気もした。
悪さをすれば自分が変わるなんて、安易だった。
僕は僕の人生をちゃんと探さないといけない。
近づいてくるサイレンの音を聞きながら、やっとわかった。
(つづく)
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