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クビキリ(2稿-9)

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 店を出て、瀬川さんに先導してもらいながら現場へ向かう。本当は辛い記憶が蘇るかもしれないから、案内してもらうのは気が引けた。でも、瀬川さんの犬を、マリンちゃんを探す手がかりになるのには知りたい情報だ。瀬川さんがもし、辛そうにしたら、何かサポートをしようと誓い、歩く。

 道は急勾配が多く、今は下りだからいいけど、例えば自転車でここを上るのは辛いだろう。でも、ここは高級な住宅地だ。周りの家はどれも大きくて、門や庭もある。このあたりに住む人は電動アシスト付きの高い自転車に乗るから、坂なんて関係ないのかもしれない。

 やっぱり瀬川さんの家もお金持ちなのだろうなぁ、とぼんやり思う。

 でも、お金があるから幸せというわけではない。飼っている犬がいなくなった、辛く寂しい日々はお金ですぐには解決できない。

 君は今、どこにいるんだ? そう思いながらチラシにプリントされた写真を見る。 
 ミニチュアブルテリア、のっぺりとした愛嬌のある顔立ちをしている犬だ。真っ白で短い体毛は滑らかそうで、左目周辺の染みのような黒い毛がチャーミングだった。

「なるほど、青いからマリンなんだね」
「そうなの!」

 瀬川さんが嬉しそうに「よく気付いたね!」と声をあげる。

「青い?」と森巣が尋ねてくるので、「ほらここ」と言って犬の右目を指差す。左目は黒いが、右目だけ淡くブルーがかっている。どこか神秘的で、宝石でも嵌めているみたいだな、と思った。

「本当だ」と森巣も感心するように言った。
「本物は写真よりもわかりやすいんだよ。なんか癒される色」
「二歳って書いてあるけど、子犬の頃から飼ってるの?」
「うん。小学生の妹がトイレと散歩は自分がするからって誕生日にごねて。お父さんとお母さんは、難しい顔をしたんだけど、『お姉ちゃん、一緒にお願いして』って頼まれて。それでわたしも説得したの。一緒にお世話をするからって」

 弱いのよ、妹にとはにかむように笑う瀬川さんはお姉さんの顔をしていた。

「妹の頼みかあ、僕も妹の為だったらなんでもするなあ」
「平の妹っていくつ?」
「三つ違いの中二。可愛いんだけど、人見知りでね。二人にも紹介したいよ。あっでも、森巣はダメかな」
「おいおい、なんでさ?」

 妹に彼氏ができたら嫌だから、とは言えない。

「妹に彼氏ができたら嫌だから?」

 瀬川さんに指摘され、図星です、と渋々うなずく。森巣が「大丈夫だよ、心配性のお兄ちゃんから取ったりしないよ」と愉快そうに笑った。「そういえば、瀬川の妹、誕生日だったの?」

「え? なんで?」
「さっきのお店で三田村さんとケーキの話してたからさ」
「ああ、うん。実は、犬が拐われた日、妹の誕生日だったの。せっかく作ってもらったんだけど誰も食べてないんだよね。三田村さんに申し訳ないことしちゃったな」
「そんな、瀬川さんがそんな風に思うことないよ。悪いのは犯人なんだから!」

 そうだね、と瀬川さんが力なく頷く。自分を責めることないよと伝えても、責任感を抱えてしまうのだろう。

「その事件があった日は瀬川が散歩当番だったの?」
「というか実は、ほぼ毎日わたしが散歩してるの。妹は家では可愛がるんだけど」
「妹ちゃん、散歩が面倒臭くなっちゃったんだね」
「うちの家厳しいから、わたしも約束したんだから、ちゃんと行きなさいって」
「連帯保証人の苦しみかぁ」と森巣が苦笑する。

 学校ではクラスで委員長の仕事もして、同級生の勉強の相談を受け、帰宅してからは家族の為に犬の散歩もちゃんとする。「すごいなぁ、真面目だなぁ」と、思わず口からこぼれる。

「そんなことないよ。学校の用事とかがあれば家族に代わってもらうし」

 既に、散歩を自分の役割だと思い、代わってもらうという思考になっているのか、とお人好しとしてのシンパシーを覚えた。

「瀬川は、何時頃に散歩してるの?」
「家に帰って、少し勉強をして、夕方の五時頃かな……今更なんだけど、二人とも手伝ってもらってごめんね。時間とかやることとかあるんじゃないの?」

 瀬川さんが、重要なことを思い出したかのようなはっとした顔つきになって立ち止まり、尋ねてくる。森巣とお互いにどうなの? と確かめ合うように顔を見合わせる。特に、別に、という感じで森巣は両手を少しあげる。

「僕は、自分が今やるべきことは瀬川さんの手伝いをすることだと思うんだ」
「嬉しいけど、大変だったらいいんだよ?」
「いや、僕はいつも見ているだけだったからさ。ホームルームとかで積極的に発言をできるわけじゃないし、委員長の瀬川さんみたいにクラスをまとめることもできないし。でも、だけだったからこそ、なのかな」
「だからこそ?」
「いつもがんばってる瀬川さんが困っているなら、今度は僕が助けになれたらなって。僕は部活も週一だから時間もあるし」

 恩返しと言えば大袈裟だけど、役に立てるのは嬉しい機会だった。僕が話している間、瀬川さんは謙遜するように首を横に振っていたけど、最後は「ありがとう」と礼儀正しく頭を下げた。大袈裟に話し過ぎてしまったかな、そこまでしなくても、と少し心苦しくなる。

「ところで平って何部なの?」
「音楽部。ギターを弾いてるんだ」
「へー! ギター? なんか意外だな」

 確かに、ギターと聞くと強気なイメージがするだろう。僕っぽくないよな、とは自分でも思う。

「好きなんだ。ギターの音が。子供の頃からやってる唯一の趣味だよ。曲を作ったりするのが楽しいんだ」
「作曲もするの!? すごいじゃないか」

 いや、そんな大したことじゃないから、買いかぶりを塞きとめるように手を向ける。ギターをいじり、ピックで弦を弾き、散歩するように音と歩く、それが心地良い。あと、からかわれそうだから言わないけど、妹がギターを弾くと「いいじゃーん」と喜ぶのだ。

「ねえ、平くんと森巣くんはどういう組み合わせなの?」

 森巣が僕のことを知らないので、瀬川さんは「おや」と思ったのだろう。親しいわけじゃないの? と。
 どういう関係なのか? と問われると、さっき会った、くらいのものだ。
 だけど、森巣は即答した。

「友達だよ」

 取り繕っただけなのかもしれないが、「友達」と言ってもらえたことが嬉しかった。じーんと胸に言葉が響くようだ。瀬川さんからも信頼を受けているようだし、森巣は人たらしだなあ、と照れを抑えながらしみじみ思う。

 と、そんな話をしながら歩いていたら、瀬川さんの口数が減り、歩く速度が落ち、表情が沈んでいくのがわかった。緊張感が伝わってきて、僕もそろそろなのか、とごくりと生唾を飲む。
 何か声でもかけようかと思った矢先に、瀬川さんが立ち止まった。

「ここなの」

 一車線の道路で、両端には白線が引かれている。両サイドには、高い塀や植え込みのある一軒家が並んでいた。
 瀬川さんが、

「マリンとここを歩いてたら」

 と一歩ずつ歩き出す。
 事件当日のリプレイを見ているようで、胸騒ぎがする。

「そしたら、突然後ろから誰かに突き飛ばされて、私は倒れたの。犯人は、わたしが離したリードとマリンを抱えて、あっちに走って行って、わたしも慌てて追いかけたの」

 瀬川さんの歩調が早くなり、それに合わせて、心臓の鼓動も早くなる。僕と森巣は無言で、瀬川さんの後をついて歩く。
 十メートルほど進み、曲がり角で瀬川さんが立ち止まった。

「それで、この先に犯人は逃げたんだけど……」

 森巣と共に角を曲がる。森巣が立ち止まり、驚いた様子で息を呑んだのがわかる。
 両側には家が一軒ずつ、だがその先に待ち受けていたのは壁だった。
 三メートル以上の高さはあるだろうコンクリートの壁がそびえ、その奥に家が建っている。

「曲がったら、誰もいなかったの」

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