第34話「もうぼくは逃げない」
ジャック10
飛び込んできた教師たちは勿論、屋上にいる全員を関係者と疑った。
しかし、水芝先生が私たちを庇ってくれた。私たちは違う、と。
「で、鍵を閉めて、お前たちは何をやってたんだ?」
「騒ぎが起きたら、おそらく先生が集まってくる。事態が重ければ、体育教師が来る可能性が上がる。水柴先生が来るように、鍵を閉めて待っていたんですよ。ぼくたちは早く解放されたいんでね」
「嬉しくねえなぁ」
水柴先生が心底迷惑そうな顔をして、私たちを交互に見た。
「で、演奏してたのは、お前らだな?」
痩せた生徒と、風紀委員の彼は、素直に頷いた。
「話はこれから詳しく聞かせてもらう。たっぷりとな」
水柴先生がそう宣言したところで、女子生徒が飛び出して来た。天宮さんだとわかり、声をかけようとしたところで、風紀委員の彼が反応を示した。
「天宮先輩」
呼ばれた天宮さんは目を見開いている。
「どうしてここに?」
「狭間こそなにしてんの」
天宮さんが狼狽している姿を初めて見た。
「演奏を、していました」
「一体、なんのためにあなたを――」
「天宮さん、彼は事情を知らないんですよ。そもそも、ボディガードをクビにしたのはあなたじゃないか。だったら、彼がなにをやろうと自由だ」
鋭い言葉が、天宮さんの痛いところに刺さったのが見て取れた。感情的になっていたものの、天宮さんが冷静に言葉の意味を反芻し、刀を鞘に納める。
「針ヶ谷、もういいか? 二人を連れて行くぞ」
水柴先生に促され、踊場に出る。痩せた男子は処刑台に連れて行かれるというのに、不安や怯えをおくびにも出さない。むしろ、悔いはないとさっぱりした顔をしている。調子の良い生徒や来校者たちが、拍手をして彼らを送り出し、教員たちがしかめっ面でそれを睨んでいた。
天宮さんが、連れて行かれる男子二人を見送りながら、大きく落胆の息を吐き出した。
「で」と一言置いてから、天宮さんはギアを変えるように表情を険しいものに変えた。
「さっき、先生たちに連れて行かれた、あの細い人がジャックなんですか?」
「いや、それはないだろうね」
針ヶ谷さんはあっさりとした口調で言った。
「偽ジャックは狡猾な奴だ。彼らは利用されたのさ」
すると、天宮さんがほっとした様子で息をついた。
「どうかしましたか?」
「よかった、と思って。偽ジャックは自分の手で懲らしめてやりたいじゃないですか」
この人なかなか恐ろしいことを言う。段々天宮さんのイメージが変わっていく。
「天宮さんは狭間くんのことを怒っているみたいだけど、彼のおかげで、偽ジャックに一歩近づいたよ」
え、と自分の口からこぼれる。偽ジャックについては翻弄されているだけだと思っていたから、その一言は、胸を高鳴らせるものだった。
「針ヶ谷さん、どういうことだい?」
「佐野くん、細かい話は後だ。こちらからも、反撃だよ。ぼくは、罠をしかけていたんだ」
混乱する。もしかして何も知らされていないのは私だけなのかと思ったけど、天宮さんも同様に驚いている様子だった。
「偽ジャックが何故現れたのかを考えてみた。目的はギャンブルだけど、偽ジャックが登場できたのはジャックが既にいたからだと気付いた」
「模倣犯にはオリジナルが必要、ということですね」
「その通り。つまり、ジャックが現れたということを知っていないと、偽ジャックにはなれない。まず、ジャックを知っていてもおかしくないのは、最初の事件が起きたのを知っている放送部の数人。それに加えて、ぼくは生徒会長と文化祭実行委員長と風紀委員長に伝えて、秘密厳守で警戒をしてもらっていたんだ」
「彼らの内の誰かが、友達に話しているかもしれないよ」
「勿論その可能性もある。だけど、タイムラインを思い出してごらん。天宮さんへの最初の脅迫には何もなかったけど、二度目の脅迫では折り鶴が置かれていた。短い間に、偽ジャックは本物のジャックはものを残していくらしいという情報を仕入れたんだ」
ジャックが残した足跡をたどるように、針ヶ谷さんが説明していく。辿って行った先にジャックがおり、追い詰めていくような気配を感じた。
「佐野くん、昨日ぼくは負けたね」
「負けた、というかあれは」
「悔しいけど、ぼくはああいうのに弱い。大勢の人と戦うことはできない。だから、逃げるしかできなかった。本当に面目ない。でも、今日は違う」
二日目である今日は、リベンジなのだ。
「もうぼくは逃げない」
そう言い切る針ヶ谷さんを見て、強くなったねと、親心のような感慨を持つ。
「瀧は生徒会、文化祭実行委員、風紀委員の三役に秘密厳守で話をしたと言っていた。ここのどこかから、情報が偽ジャックに漏れている。そう思って、卒業生の元祖ハートのキングカップルと天宮さんの対談に関する情報を、それぞれに流していたんだ」
針ヶ谷さんの言う罠の輪郭が見えてきた。
「生徒会には、道路向こうのグラウンドで野球部の始球式をやると言い、風紀委員には体育館でやる劇の審査委員をやることになったと言い、文化祭実行委員には昼に放送をすると教えた」
私と天宮先輩の顔を見て、針ヶ谷さんが宣言をする。
「つまり、文化祭実行委員に偽ジャックがいる」
時間が迫って来たのでミスコン会場まで天宮先輩を送り届けてから、文化祭実行委員長の氷見さんに会いに、文化祭実行委員の教室へ向かう。
ミスコンの準備に追われた委員たちがおおわらわなのではないかと予想していたのだが、中にいたのは四名だけで、氷見さんは席に座ってプリントの束とにらめっこをしていた。
我々が来たことに気づくと、顔を上げて歓迎してくれた。爽やかな笑顔を浮かべてこちらにどうぞと手を振っている。
「話があるんだ」
「いいですけど、どうしたんですか?」
「単刀直入に言うけど、偽ジャックが文化祭実行委員会の中にいる」
氷見さんの表情が険しいものに変わり、部屋を見渡してから小さく頷いた。
「外に出よう」
氷見さんに連れられて、廊下へ出る。委員会の面々は突然現れて氷見さんを連れ出す私たちにちらちらと視線を送っている。私たちが何者なのかという興味と、忙しいのに氷見さんを連れ出すな、という苛立ちのようなものを感じる。
廊下に出て扉を閉めて私たちに向き直った。
「どういうことですか?」
「芸能人が来て、昼の放送をするって話をしただろう?」
「ああ、今朝教えてもらったね」
針ヶ谷さんは、その他にも偽の情報を流していたこと、昼の放送に関する情報は文化祭実行委員長である氷見さんにしか教えていないのだ、と説明した。
氷見さんは真摯な態度でその言葉に耳を傾けている。次第に状況を把握した様子で、表情が固まった。
「ぼくはその話を、内密にしてほしいと頼んでいたけど、誰かに話したかい?」
「一応、三役では共有しておこうと思って、副委員長の奈良さんと書記の森谷には話した。けど、あの二人に限って」
「氷見さん、お気持ちはわかりますけど、間違いないと思いますよ」
同情して声を掛けると、氷見さんは眉を下げて辛そうな顔をした。
「今、二人はいるのかい?」
「副委員長の奈良さんなら」
答えながら振り返り、扉の窓から教室をちらりと窺った。目が合ったのか右手で手招きをした。
「なんですか?」
お団子ヘアーの女子生徒が現れ、怪訝な顔で氷見さん、針ヶ谷さん、私の間で視線を行ったり来たりさせた。
「奈良さんですね。放送部の針ヶ谷と言います。お昼の校内放送、無事に大反響をいただくことが出来ました。宣伝を手伝ってくれたとお伺いしたのですが」
奈良さんは目をぱちくりとさせ、あれ? と表情を崩して氷見さんを窺った。
「すいません、わたし秘密なんだとばかり思ってて。何もしてないんですけど」
「嘘です。すいません、試したんだ。いくつか質問させてもらっていいかい?」
「え、はい。なんでしょうか」
「奈良さんは、昨日ミスコンに出ましたか?」
「そんな、わたしなんかが出られるわけがないじゃないですか」
「ハートのキングが中止になれば、好きな人がカップルにならずに済む、なんてことは?」
「氷見さん、この人たちなんなんですか?」
「文化祭ジャックの調査をしてくれているんだ。なあ、森谷がどこにいるか知らないかい?」
「森谷先輩がここにいる訳ないですよ。さっき寄ってみたんですけど、古本市にもいないみたいでした。文化祭が始まる前は、古本市は俺に任せろって言っていたのに、全然いないんですよ」
「そうか。ありがとう。邪魔してごめんね」
そんな話をしていたら、背後に気配を感じた。悪寒に近いかもしれない。
振り返ると、そこには身長が百八十は超えているがたいの良い生徒が私たちを見下ろしていた。
「お前ら、文化祭実行委員だよな? 落し物を拾ったから、届けに来た」
長身の男はブレザーのポケットから一枚のカードを取り出して、奈良さんに差し出した。
受け取った奈良さんが目を丸くする。
「どうしたんですか! これ!」
「言っただろ。拾ったんだ。だから届けに来た」
驚きが伝播し、私も覗いてみる。
そこにあったのは、古ぼけたトランプだった。
盗まれたはずのハートのキングが戻ってきた。信じられず、目を丸くしてしまう。
「これ、本物ですか?」
「剣じゃなくて花束を持ってるだろ? 本物だ。とにかく、俺は届けたぞ」
じゃあな、と大男が背を向ける。
「ちょっと待って」
針ヶ谷さんに呼び止められ、大男が振り返る。不機嫌そうに顔をしかめていた。
「どこでハートのキングを拾ったんだい?」
「廊下だ。そこの角に落ちてた」
あからさまに嘘くさい。じっと、二人の視線が交錯し、無言の読み合いをするような間が生まれたが、男は無言で踵を返して去って行く。
「とりあえずハートのキングは無事に開催できそうでよかったじゃないか」
針ヶ谷さんがそう言うと、氷見さんがほっとした様子で頷いた。
「そうだね。奈良さん、これ管理よろしく」
さっきの大男が、ハートのキングを盗んだ犯人で、それを返しに来たのではないかと疑念が生まれる。だとしても、それを堂々と返しにくる理由がわからない。罪の意識に苛まれるようなタイプには見えなかった。
「ところで、偽ジャック問題なんだけど、もう一人は?」
「森谷は古本市にいるものだと思ってたんだけど、参ったなぁ」
「すいません、森谷ってあの?」
私が訊ねると、氷見さんが頷いた。
針ヶ谷さんは不思議そうな顔をしたが、昨日は塞ぎ込んでしまっていたし、知らないのは無理もないだろう。今年のミスターだよ、と針谷さんに説明し、
「でも、その森谷はどこにいるかわからないんですよね」
すると、そばにいた女子生徒が「あの」と声をかけてきた。
「森谷先輩だったら、ハートのキングのエントリーしに来ましたよ」
「本当に!?」と氷見さんが、大声を上げる。ざわっとみんなが困惑するのを眺めながら、針ヶ谷さんが、おもしろくなってきたねぇと口元を歪める。
「じゃあ、ぼくらもミスコンとハートのキングの見物に行こうか」