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百万円ゾンビ(2稿−5)

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 小此木さんがしゃっしゃと鉛筆を走らせる。爽快な音と共に、テーブルの上のノートに写実的なタッチで男の顔が描かれていく。

「わたし、その人の似顔絵を描くよ」と小此木さんが言い出したとき、「どうしてまた」と首を傾げた。意味があるのだろうかと困惑していると、小此木さんが「来ると思うんだよね」と予言めいたことを口にした。

「気が変わったから、やっぱり百万円返せってこともありうる」
「そうなったら素直に返しますよ」
「でもそれが誰かから盗んだお金とかだったらどうするの? 犯人に返しちゃうの?」
「それは」と逡巡し、「返したくはないですけども」と答える。
「でしょう?」と小此木さんが得意げな顔をする。
「でも僕は顔を覚えてるから困りませんよ」
「わたしが困るの。見てないんだもん」

 僕から何か新情報を提供できれば良かったのだが、記憶を掘り起こして見ても、話したこと以上のものはなかった。ので、文句を言わずに小此木さんのやり方に付き合うことにした。

 記憶の中では男の顔を鮮明に思い出せるけど、それを言葉にするのに苦戦した。顔の骨格、細い眉や鼻の大きさや高さ、唇の厚さなど顔のパーツを伝え、印象が違ければニュアンスの違いを説明していく。

「描けたけど、どうかな」

 小此木さんにノートを差し出される。写真のようだと言えば大げさだけれども、「似てますよ!」と感嘆の声をあげるほどのもだった。百万円をくれた男にプレゼントしてあげたいくらいだ。「これ俺じゃん!」と喜んでくれるのではないかとさえと思えた。

「すごいですね、これ。警察に渡したら捜査の役にも立ちますよ」

 そう言って隣を見ると、小此木さんが頬を引きつらせて固まっていた。
 どうしたんですか? と言いかけるが、先に小此木さんが声を発した。

「ゾンビ」
「トンビ?」

 そう言って、怪訝に思いながら窓の外に視線を移し、ぎょっとする。
 眼下の広場に、不審な男がいた。

 上半身裸で、何かに吊り上げられているように両腕を伸ばし、よたよたとした足取りで移動している。

 半裸男に気づいた人々は、遠巻きに動向を観察していた。親子連れは慌ててその場を離れ、女子高生たちは身を寄せ合って笑い、外国人がスマートフォンを向けて撮影している。

 なんだかゾンビ映画のワンシーンを見ているようだった。映画の冒頭、何故かゾンビが突如として街中に現れ、油断した人々が一人、また一人と襲われる。陳腐だけど、わかりやすく、よくある光景を想像してしまう。

「季節外れのゾンビかな季節外れだけど」
「ゾンビに季節があるんですか?」
「ハロウィンとか」

「あー」と頷き、広場に視線を巡らせる。ハロウィンの仮装をするノリであれば、他にも仲間がいるのではないかと思ったが、見当たらない。

 暑くて変な人が出てくるにも早いし、ハロウィンにも早い。あの人は一体何がしたいのだろうか。公共の場所を何だと思っているのだ、と眉をひそめる。

「あ」と僕と小此木さんの声が同時に出たのは、その直後だった。
 ヘッドフォンをした男が、スマートフォンを操作しながらゾンビがいる方へ真っ直ぐ歩いていく。ゾンビの接近に気付いた様子がない。

 危ない、という気持ちと、まさか、という気持ちがせめぎあった。まさか、本当に襲わないよね? と。

 だけど、襲った。

 ゾンビは旧友との久々の再会に感極まったように、通りかかったヘッドフォン男に抱きついた。旧友であれば、「久しぶりじゃないか」と盛り上がるかもしれないが、見ず知らずの半裸の男性に抱きつかれたらそうはいかない。

 ヘッドフォン男は悲鳴をあげてゾンビを振り払うと、地面を転がるゾンビを見ながら、気味悪そうにその場を離れていった。

 窓の外から視線を外し、小此木さんを見る。意味がわからない、消化できない、と顔をしかめていた。

「襲われた人、行っちゃっいましたけど、大丈夫ですかね」
「何が?」
「噛まれて感染しちゃったとか」

 冗談を言って平静を装いたかったが、口にすると子供じみて恥ずかしくなる。

「あ!」

 小此木さんが目を剥いて驚きの声をあげる。
 ゾンビが立ち上がり、両手を伸ばして次なる獲物を探すようにのそのそと歩き出していた。まだやるつもりなのか? 笑えないし悪ふざけも大概にしてほしい、と憤りを覚える。

「ほら、平くん見てよ」
「見てますよ。まだやるんですね」
「じゃなくて、ほら」

 そう言って、スケッチブックを窓に掲げた。まさかと思って目を凝らし、今日何度目かの「あ」が僕の口からも飛び出る。

「ほら、似顔絵が役立ったでしょ」

 今までこちらに背を向けていたのでわからなかったが、ゾンビの顔を見ると小此木さんの描いた似顔絵とそっくりだった。

 百万円を渡して来た男だ。

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如月新一
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