クビキリ(2稿-5)
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高校を出てしばらく歩き、最寄り駅の方へは向かわずに住宅街の中にある小さなカフェにやってきた。
個人経営の落ち着いた店で、店内は焙煎されたコーヒーの良い香りが漂っている。木製のテーブルと椅子は、どこかの職人の手作りという感じがした。しっくいの壁にかかっている、草原で休んでいる馬の絵も、有名な画家のコピーではなく誰かが描いたものだとわかる。手作りとこだわりに溢れた温かみのある店で、気になるのは入り口がバリアフリーじゃないことくらいだ。
気取らなさはあるものの、お洒落な店に自分がいていいのかな、とそわそわする。だけど、今日も一人じゃないので心強かった。お店の雰囲気となんの違和感もない森巣がテーブルの向かいに座っている。ちらほらといる女性客の視線を集めていることにも気付いていないようで、メニュー表を手にして涼しい顔をしていた。
「学校の近くにこんなお店があるとは知らなかった。平はよく来るの?」
森巣がぐるりと店内を見回し、感心した様子で口にした。
「いや、僕は二回目。瀬川さんに連れて来てもらったんだ。僕はチェーンの喫茶店とかファミレスしか知らないよ」
「さすが女子は詳しいね。店にBGMがかかっていないのもいい」
「音楽は嫌い?」
「音楽は好きだよ。ただ俺は、自分が好きな音楽が好きなんだ。そうでもない音楽は、あんまり聞きたくない」
「じゃあ、カラオケとか苦手なタイプだ?」
「実は、ね。遊ぼう、行こうって誘われたら行くけど」
自分からは声をかけないな、と森巣が苦笑する。人気者の森巣との共通点を見つけ、ちょっと嬉しくなる。
「この店は、学校帰りにちょっと一息するのにも良さそうだ」
でも、やっぱり僕とは違う。
「僕は一人でカフェなんて緊張しちゃって無理だなあ」
「そう? ただ店に行くだけじゃないか。本屋とかコンビニに行くのと同じだよ」
同じかな、いや、違うだろう、と首をかしげる。どうして? と森巣が尋ねるように見てくるので考えてみる。「なんでだろう……本屋とかコンビニは視線を感じない。あいつ場違いだな、って思われていそうな気がして、居心地が悪いような」
「他人の目が気になる、と」
「ありていに言うと、そういうことだね」
他人が気になる。どう思われているのかや嫌われるのではないかと被害妄想をしてしまう。世の中は、優しい人ばかりではないから、と身構えてあれこれ考える癖の自覚はある。
「良いじゃないか、嫌われたって」
森巣があっさりと言ったので、思わず「え?」と口からこぼれる。人気者の森巣とは思えない発言にびっくりした。
「嫌われてもいいの?」
「全員に好かれようと思うから動けなくなるんだよ。別にいいじゃないか、嫌われたって」
食堂のメニューの好き嫌いを口にするような、滔々とした口調だった。
そういうことを言うと嫌われてしまうよ、誰かに聞かれているかもしれないよ、と思わず周りを確認してしまう。噂が森巣に襲いかかり、「本当にそんなことを言ったのか?」と追求される姿を想像する。我ながら、なんだかタレントの言動を案じるマネージャーのようだ。
「他人を採点して過ごしてるような奴がいるとしたら、そいつを嫌いになればいいんだ。どうせそんな奴は嫌な奴だよ。嫌われる自由もあるし、嫌う自由もある」
嫌う自由なんて、考えたこともなかった。
「嫌いな奴の為に我慢するより、好きに生きて怒らせてやった方がいい」
俺はそう思うね、と森巣は付け足して悪戯っぽく笑った。そういう森巣の目は真っ直ぐと未来の自分を見つめているように見えた。自信に満ち、怖いもの知らずという言葉がよく似合う。
そういうことを言えるのは森巣が人気者だからだろうか。いや、嫌われてもいいと、人気を失ってもいいと宣言している。そういう堂々としている態度が人を惹きつけるのかもしれない。
森巣の語る理想はわからなくもないけど、僕にはそんなこと無理だよ、と肩をすくめる。
「僕は、できれば誰からも嫌われたくないな。穏便に、平和に過ごせればって思っちゃうよ」
「ああ、別に平のことを否定してるわけじゃないよ。あくまで、俺は、の話。自分の意思で行動をするのが大事だと思う」
森巣が慌てた様子でフォローを入れる。その押し付けがましくなさも立派だなと思った。気分を害したわけじゃないよ、と僕は手を振る。
「森巣の勇気を僕も見習わないとな、と思ったよ」
口にして、ああ、自分に足りないのは勇気なのか、と思い至る。他人の目を気にしない勇気、行動する勇気、決断する勇気、批判を恐れない勇気、そういったものが僕にはない。
「僕は臆病だから、周りのことを気にしてばかりだ」
「平も別に臆病じゃないと思うけど。一人でチラシを配ったりできないだろ」
「困っている人を放っておく勇気もないだけだよ。あと妹の世話をしているからっていうのもある……ちょっとごめん」
そう言って、僕は席を立つ。森巣をちらちら見ていた女性二人組が会計を済ませ、お店から出ようとしていたので、「あの」と引き止める。
呼び止められ、首を傾げるショートカットの女性を見ながら、テーブルを指差す。
「すいません、あれ、違いますか?」
彼女たちのいたテーブルの上にはお皿とカップ、そしてスマートフォンが一つ置かれていた。ケースに付けられたストラップがテーブルから垂れ下がっている。
「あ!」
ショートカットの女性が店内に響き渡るような声をあげ、慌てた様子で移動してスマートフォンを手に取る。やはり、彼女のものだったようだ。目に入っていたので気になったのだが、声をかけて良かった。
「あんた、また?」と一緒にいた女性が呆れた様子でこぼしている。
「これで五回目だから、危なかった」
さすがにそれは多すぎでは? と思ったが、それは口にしない。ショートカットの女性は屈託のない様子で「少年、ありがとう!」と言ってスマーフォンをジーンズのお尻のポケットに突っ込んだ。そこだと落としませんか? と気になったが、友人の女性が「あんた、そんなとこに入れると落とすよ」と注意してくれたので、安堵した。
女性客二人組から離れ、席に戻ると「よく気づいたね!」と森巣が感心したような面持ちで待っていた。話の腰を折って悪かったと思ったが、気にしてはいない様子だった。
「よくあることだよ。ほら、僕は周りのことばかり気にしているから」
「それはもはや、特技じゃないかな?」
「そんな大したものでは」
「他に何か気づかない?」
試されるような視線を向けられ、「えぇっと」と漏らしながら店内を見回す。
壁に貼ってあるポスターに目が止まる。そこには、ホイップクリームによってキャラクターを模したものや、マジパンで絵が描かれたケーキの写真が貼られていた。
「キャラクターの著作権が気になる、くらい? こういうのって罪にならないのかな」
「なるよ。十年以下の懲役または一千万円以下の罰金だね」
「そうなんだ?」
結構やばいじゃないか、と不安がこみ上げてきた。店の入り口から警察が「著作権侵害だ」と乗り込んで来るのではないか、と思わずちらりと見てしまう。
「ま、町のパン屋とかケーキ屋がいちいち摘発されることはないと思うけどね」
「グレーゾーンだね。どっちの気持ちもわかる」
ような気がする、と付け足す。
著作者じゃないので、なんとも言えない。自分の作ったキャラクターで勝手にお金儲けをするなんて、と憤慨する気持ちもわかるような気もするし、思いと手間のこもったケーキをもらったらきっと嬉しいだろうな、とも思う。
「ごめん、話を脱線させちゃったね」
森巣がそう言って、白い歯をのぞかせる。そよ風のような、爽やかな笑みだった。彼を接待しなければ、と思っていた緊張がほぐれていく。
「平の見たものの話を聞かせてよ」
今日はこれから瀬川さんとここで待ち合わせをし、町の掲示板にチラシを貼りに行こうと約束をしていた。瀬川さんがやってくる前に、あの話をしておきたい。
クビキリの話だ。