無人島へ持っていく三つの物

「夕ご飯ですよー」
「ゆうごはんですよー」

 二歳になる娘が、透子《とうこ》さんの真似をしている。この前まで、意味不明に泣き喚くことしかできなかったのにな、と感慨深い。透子さんがいつも口にしている言葉だから、覚えてしまったのだろう。

 ソファから顔を起こすと、愛娘の今日子《きょうこ》がとてとて台所からやってきた。やたらめったらゴムで縛られた髪の毛は、消波ブロックのテトラポッドを彷彿とさせる。テトラポッドが迎えに来るなんて未来を暗示しているな、と思いながら「はいはい」と今日子を抱き上げて、僕は食卓に向かう。

 食卓の上には、湯気を上げながらカルボナーラやら、グラタンやら、ハンバーグやら、から揚げやら、麻婆豆腐やらが所せましと並んでいた。僕の住んでいる国は日本で、こんなに和洋折衷、豪華絢爛な食事を普段からしているわけではない。透子さんが栄養バランスを考えた一汁三菜を心がけてくれているので、よほど特別な日でない限りありえない。つまり、今日は、よほど特別な日というわけだ。

「幸雄《ゆきお》くんさ、最後の晩餐ってやつだね」
「ばんさんってやつだね」

 透子さんは、いつもと変わらぬ口調でからっとそう言うと、小皿に料理をよそい始めた。温かいカルボナーラのチーズの湯気と香りが鼻をくすぐってきたものだから、僕はむせるふりをしてそっぽを向き、あふれ出そうな涙をぬぐった。

「最後じゃないってば」と声を絞り出す。
「一年だっけ?」

 意地悪を言うように透子さんはそう訊ねると、小さくカットしたハンバーグをフォークで突き刺し、今日子の口に運んだ。今日子が小さい怪物のように口をもぐもぐと動かしている。口の周りについたケチャップを拭き取ってやると、えへへと今日子は笑った。

「パパは家族を置いて、無人島に行くんですよー」
 今日子はまだそのあたりのことがわかっていないらしく、きょとんとしている。
「おいおい」

 僕が泣き出しそうな顔をすると、透子さんは眼鏡の奥の目を細め、白い歯を見せた。元気づけてくれているのか、素で嫌味を言っているのか判断しかねる。僕は頭を悩ませながら、麻婆豆腐にレンゲを伸ばした。皿の中はまるで真っ赤な海で、豆腐がたくさん浮かんでいる島のように見え、僕は今から行く所を反射的に思い浮かべてしまう。

 排他的経済水域。国際海洋法条約に基づいて決められた経済活動をできる水域のことだ。これは、自分の国の沿岸から二百海里、つまり約三百七十キロメートルの範囲を指す。この範囲内では水産資源や鉱物資源の開発や、漁を行うことができるので、国にとっては大事な経済活動を行う場ということになる。

 だが、問題がある。教科書に載っている沖ノ鳥島など、テトラポッドやコンクリートで守られており、かろうじて海面から岩肌をのぞかせているだけの島がある。それに対して「あれは島ではないだろう」と近隣のアジア諸国が騒いでいるのだ。「人が住める場所ではないだろう」と。

 僕自身も、まぁ無理があるよなと思っている。だが、レアメタルなどの海底資源が近年は注目を浴びており、日本は簡単にその場を失うわけにはいかない。なので、「人が住めればいいんですね?」と売り言葉に買い言葉のように、排他的経済水域を支える無人島の島々に基地を建造した。そこに、交代制で人が、みんなの税金をいただいている公務員が、住んでいくという訳だ。

 そして、その白羽の矢が立った一人が、高校では登山部、大学では探検部、そして現、地方公務員である僕だ。海上自衛隊あたりが行くのではないか、と僕はぼんやり予想していたのだが、それではものものしいから、と無人島のある都道府県の公務員が行くことになった。大人げない話なのだが、「無人島に住むくらいなら地方公務員でできることですが、何か? そんなに大変なことじゃないですよ?」と日本は近隣諸国に対し、涼しい顔をしたいのだろう。

 まだ幼い娘がいるし、と僕は抵抗を試みたものの、それが公務である以上、拒否できなかった。沖ノ鳥島のそばにある小さな島に、僕は明日送られる。

 透子さんに、家庭の味を一年間忘れないようにと、普段よく食べる料理をたくさんお願いした。しかし、食卓の上の料理は賑やかな分、時間が経つにつれてなくなってくると、とても寂しくなる。本当に、最後の晩餐のようだ。口の中で、豆腐やら麺やら肉やらを咀嚼しながら二人の顔を、心のフィルムに焼き付けるように見ていた。

「幸雄くんはさ、無人島に三つものを持っていくとしたら何にする?」

 一しきり料理を食べ終えた頃に、透子さんがそう訊ねてきた。

「必要なものは国が用意したみたいだよ」

「そうじゃなくって、あるじゃない。こういう心理テストみたいなやつ。わたしはこういうのって、机上の空論っぽくいから嫌いだったんだけど、今の幸雄くんからなら、真実味のある回答が出るんじゃないかなと思って」


 透子さんなりに、気を紛らわせようとしてくれているのだろうか? と訝しみながら、僕は腕を組む。生きる為に必要なものがいるはずだ。水や食料なんかは必要なはずだけど、それもいずれは無くなってしまうだろう。だとすると、発煙筒や発信機などの救援物資などが必要なのではないだろうか。しかし、僕が行く所は無人島だけど、誰にも気づかれないわけではない。むしろ注目を集めるはずだ。

 透子さんの突き刺さるような視線に気づき、はっとする。

「愛する妻と娘」と、あと一つ何か付け加えて答えようと考えあぐねいていたら、透子さんが「ナイフとか、拳銃とかがないと、最後は辛いらしいよ」とぼそっと言ってきた。

 やはり怒っているのだなと、肩をすくめる。
 その夜はいつものように、三人で川の字になるよう布団を並べた。いつも通りの夜だ。明日の夜、自分がここにいない、ということが想像できない。

 真っ暗な部屋の中で、二人の呼吸が聞こえる。
 子供の頃から、次の日にイベントがあると眠れない体質だけど、すっと意識が遠のいていった。


 目覚まし時計が鳴り、目を覚ます。今日子は短く唸ったが、またすやすやと寝息をたてた。もぞもぞと、身体を起こし、リビングへ向かう。「おはようございます」と言いながら瞼をこする。

「おはよう。朝ごはん出すから、座って待ってて」

 キッチンから、透子さんの声がする。いつもの朝と変わらない、穏やかな声で安心感を抱く。明日から一年間、このやり取りができないのかと思うと、胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えた。

 朝食は何が出てくるのかな、と期待をしていたら、卵焼きに味噌汁に白米といういつもの朝食が出てきた。少し肩透かしをくらった気分で透子さんを見る。

「いつもと同じにしてみました」

 その声にはいつもと違う、どこか空元気のようなものを感じ、透子さんを見つめる。すると、氷がゆっくりと溶け出すように、彼女の表情が変化していった。瞳を滲ませ、唇を震わせている。

「いつも通りお仕事に行くんでしょ? で、ちゃんといつも通り無事に帰ってきてくれるんでしょ? だから、お見送りの朝食はいつもと同じにしたの」

 じんわりと、胸の中に熱い何かが込み上げてくる。泣きそうなのを誤魔化すために俯いて、「ありがとう」と言って卵焼きに箸を伸ばす。

「怒ってるのかと思ってたよ」
「怒ってはいる」

 けど、しょうがないじゃない、と透子さんが笑みを浮かべる。
 食事も済み、出勤の支度を終え、玄関で革靴を履いていると、透子さんが今日子を抱きかかえてやって来た。

 それじゃあ、と二人を見ていたら、今日子がにこっと笑って口を開いた。

「はんかちと、おさいふと、けいたいをもった?」

 咄嗟に昨夜の質問を思い出す。無人島に三つ物を持っていくとしたら何にするか? というあれだ。僕は苦笑しながら靴箱の上に用意してあるその三つを手に取る。透子さんと目が合うと、同じことを考えていたらしく、可笑しそうにクスクスと笑っていた。

「行ってきます」僕はいつものように、扉を開ける。
                    

(了)

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作家です。著作『放課後の帰宅部探偵 学校のジンクスと六色の謎』 読んでる間は楽しくて、読み終わったら何かが残る、面白い小説が好きです。 http://papermoon.gloomy.jp/index.html
コメント (1)
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