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第16話「負ければ恥」

      クイーン5

 怒り心頭、怒髪天を突く、逆鱗に触れる、どの言葉でも足りない思いが頭の中で煮立っている。

「どこのどいつか知らねえけど、ぶっ殺してやる」

 朝倉先輩にそうタンカを切る。教室を出ようと踵を返す。

 どこかにいる犯人を見つけ出してやる。悪かったと後悔させて、額を地面に擦り付けさせて天宮先輩に詫びを入れさせてやる。

「おい、狭間!」

 朝倉先輩に腕を掴まれたが、ふり払った。先輩の手が追撃のように伸び、僕の袖を取ろうと伸びる。それを躱し、先輩の右手首を掴み、捻じりあげようと力を入れる。

 が、そこで視界がぐらりと揺れた。

 頬が熱くなる。次第に、じんじんとした痛みが伝わってきてから、叩かれたのだと知る。

 我に返り、視線を移すと、じっと真剣な顔で僕を見つめる天宮先輩が立っていた。

「打ったことは謝る。本当にごめんなさい。でも、冷静になりなさい」

 奥歯を噛み締めながら、視線を泳がせ、自分が暴走していたのだと段々理解していく。情けなさと羞恥心に襲われたが、抵抗する気力もない。

「ごめんなさい」

 僕は何をしているのだろうか。何も変わっていないじゃないか。

「狭間、お前がするべきことは闇雲に犯人を捜すことか? 俺はお前にボディガードを任せた、そうだよな?」

 バケツ一杯の水を頭から被せられたような、そんな気分になった。ずぶ濡れで情けなくて、恥ずかしい。

 ちらりと伺うと、天宮先輩の両足は、しっかりと教室の床に伸びていた。震えてもいない。毅然としていることに感動する。かっとなるだけの僕とは違う。

「残念だけど、次の二時公演は中止にしましょう」

 周囲から落胆の滲んだ声があがる。天宮先輩が右手のひらを向け、制止すると、みんな素直に静かになった。

「その間に、演劇部に行って代わりの衣装がないかを訊いてくるわ」

 脅しには屈さない、と言っていたのは変わらないようだ。提案ではなく決定、という口調だった。そのことに誰も文句を言う気配はない。

 荒れていた海が一気に凪いだ、そんな印象を受けた。動揺はあったようだが、船長の一声で従う船員たちのように、みんなが各々の作業に戻っていく。

「じゃあ狭間くん、演劇部に行きましょう」

 

 という話をしてから三十分以上経過した。

 僕は演劇部の演目を見終わり、拍手を送っている。

 ドレスの交渉にやってきたら、ちょうど十四時からの公演が始まるタイミングで、公演前の忙しい時間にお願いするのも悪いから、ということと折角だし、ということで劇を観ていくことにした。

 初めは自分の暴走が情けなくて、全然劇を観る気持ちにはなれず、席について反省をしていた。演劇をぼーっと観ていたのだが、次第に引き込まれていき、いつの間にか迫力に押されて食い入るように観てしまった。

 学生演劇だからと心のどこかでなめていたけど、想像以上に面白かったということだ。天宮先輩たちの劇も面白かったのだが、演技や美術という面においては格が違った。役者たちの演技の間も絶妙であったし、舞台上の役者たちからは余裕を感じた。

「田淵さん」

 劇が終わり、アンケートを記入したお客さんたちがはけてから、天宮先輩は通りかかった生徒を呼び止めた。ぼさぼさ頭の女子生徒がにこにこ笑っている。

「天宮さんじゃないですか!」
「面白かった。うちのクラスも劇をやってるんだけど、やっぱり敵わないなあ」
「いやぁ、そんな。光栄ですよー」

 ありがとうございます、と田淵さんが照れくさそうに頭を掻いた。

「でもでも、天宮さんのところも、評判がいいみたいじゃないですか。うちが唯一演劇賞のライバルになると思うの三年六組ですよ。あたし、前日公演を観ましたけど、ドレスもすごく綺麗だったし」
「そう、それでね田淵さん。ちょっと相談したいことがあるの」

 天宮先輩が、何者かによってドレスを台無しにされてしまったと説明をすると、田淵さんの顔がみるみる険しくなっていった。許せないと憤慨し、袖をまくっていきり立っている。

「わかりました。そういうことでしたら協力しますよ。後でドレスを届けに行きます。敵に塩を送ってでも、本気で戦いたいんですよ」

 田淵さんがにやりと笑う。

 これで、衣装の問題に関してはクリアだ。だが、根本的な問題は解決されていない。

天宮先輩が誰からどうして、嫌がら背を受けているのか?

 天宮先輩に直接危害を加えることが目的だったら、例えば衣装に刃物を仕込むであるとか、そういう方法を取るだろう。劇に出るな、という要求は何故だろうか。それに、天宮先輩は覚えがないと言っていたけど「資格がない」という文言も気になる。

 ドレスを破るということは、脅しではないという警告だ。

 天宮先輩が出ないということは、どういうことか。それは、劇が成功しないということだ。それが目的なのか? 劇に出させないことが?

 劇が成功しないことで生じるメリットは何だ? 誰が得をするんだ?

 演劇賞を取ることが目的だとすれば、この演劇部の中に犯人がいる可能性だってある。だが、演劇部はドレスを用意すると言っている。

「どうしたの? 恐い顔して」

 天宮先輩が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。顔が近くて驚き、間抜けな悲鳴をあげてしまった。

「教室に戻りましょう」

 改めてお礼を言おうと振り返ると、田淵さんの背後には見知らぬ男女が立っていた。

 メイド服を着た真面目そうな女子と、二枚目の男子生徒だった。鼻筋も通っており、はっとするくらい端正な顔立ちをしている。役者というよりはモデル寄りの整った感じだ。なんだか悪そうな笑顔を顔に貼り付けているのが、なんだか気になる。

「何してるの?」
「はい、今行きます」

 演劇部の教室から出て、文化部の部室棟へ向かう。

「そう言えば、演劇部なのに教室でやるんですね」
「他のクラスから『演劇部は体育館を使えるんだから、演劇賞を獲るのは当たり前だろ』って言われて、田淵さんたちはそれに受けて立ったそうよ」
「さっき考えていたんですけど、犯人の目的は天宮先輩への攻撃じゃなくて、劇の失敗じゃないかと思うんですよ」
「続けて」

 先輩は歩きながら視線をこちらに向けた。

「犯人の目的は『天宮先輩を劇に出さないこと』です。これはどういうことかと言うと、主演女優の交代、すなわち劇のクオリティを下げること、ひいては劇の失敗なんじゃないかと」

 天宮先輩は真剣な顔つきで話を聞いている。

 文化祭の演劇・音楽・飲食物・娯楽の分野にはそれぞれ賞がある。文化祭のパンフレットの後ろの方に投票権があって、来校者に投票をしてもらって決めている。

「文化祭の企画賞、最優秀企画賞を取りたいっていう人もいるのかもしれないなと思うんですよね。クラスの思い出のためなのか、勝敗にこだわっているのか、誰かを勝たせてあげたいのか、動機はわかりませんけど」

 天宮先輩のクラスがいち早く目をつけられた理由はわかる。それはとても皮肉なことだが、やはりこの人にその原因がある。

「天宮先輩に責任があるわけではありませんし、言葉を選ぶのが難しいんですけど、ミスコン候補の天宮先輩のシンデレラは脅威になると思う人がいるのは不思議ではない。僕はそう思いました」

 男女共に綺麗どころのいる演劇部でさえ、天宮先輩ほど容姿に恵まれた人はいなかった。それに、天宮先輩は、演技も上手く、人を惹きつける何かを感じさせる。

「でも、演劇賞が欲しいからって、そこまでするのかな? 演劇賞って言っても、もらえるものは図書カードだよ?」

 もちろん、他の目的だろう。

「名誉、じゃないですか?」
「わたしを陥れてでも?」
「あなたに勝ちたい、と思っている人かもしれません」

 天宮先輩が、悩ましそうに腕を組み、押し黙る。僕は説明を重ねた。

「演劇部が一番怪しいですね。ずっと演劇に力を入れてきた彼らが、文化祭限定の普通のクラス劇に負ければ恥だと思うでしょう。野球選手が、草野球で負けるみたいなもんじゃないですか?」
「どうなんだろう。それなら、わたしにドレスを快く貸してくれるのって変じゃない?」
「田淵さん以外かもしれませんし、もしかしたら、他にも何かあるのかもしれないですよ」
「他にもって?」
「何か勝敗にこだわるような」

 今、自分が核心に触れるなにかを口にした気がする。

 朝倉先輩の話していたことを思い出す。

「天宮先輩、ちょっと色々と調べてこようと思います。これから先輩は教室に送り届けますが、その後はじっとしていてもらえませんか?」
「見捨てるってこと?」
「いや、そういうわけでは」
「冗談。本当にからかいがあるね」

 そう言って、天宮先輩が目を細めた。

 しばらくの間、朝倉先輩に天宮先輩を任せて調査をすることにした。僕の頭の中で、ある疑惑が生まれていた。そんなことが裏で起こっているのか? 考えすぎじゃないか? と打ち消したいが、確かめないわけないわけにはいかない。

 あいつに会いに行こう。

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如月新一
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