強盗ヤギ(初稿ー3)
3
移動中、森巣に話しかけることができなかった。頭の中で言葉を探すが、緊張して何を言っていいのかわからない。元気だった? と訊ねても、「元気だったよ」と返されるだろう。その後に、なんと続ければいいのか思い浮かばない。
森巣はすれ違う生徒たちから、挨拶をされ気さくな様子で返事をしていたが、僕に対しては無言だった。ずいずいと歩調を緩めずに歩いていく。怒らせるようなことをしたかな? と気になったが、会ってすらいないのだから思い当たることはない。森巣の内心がわからず、結局僕は黙ってついて歩くことに専念した。
二年生の校舎を出て、隣に建つ文化部の部室棟に入る。階段を上がり、四階にある美術室に到着すると、森巣は立ち止まった。首を回し、ゴキリゴキリと音が鳴る。
「悪いな、連れ出して。周りに愛想よくするってのは疲れるんだよ」
ぶっきらぼうな口調でそう行って、森巣が振り返る。
目つきがすっかり鋭くなり、奥歯に挟まってるものを気にしているみたいに口を動かしている。顔の筋肉のストレッチをしているようだった。好青年の笑顔を作っているのは、体力的に疲れるのかもしれない。
そっと美術室を見回す。
ほんのり甘いような、油絵の具の匂いがする。昼休みだし、てっきり部屋の中には誰もいないと思っていたけど、女子生徒が一人いた。こちらに背を向けて席に座り、キャンバスに向かって絵筆を動かしていた。大きなヘッドフォンを着けているからか、僕らが入ってきたことにまだ気づいていないようだ。
人がいるみたいだけど? と訊ねかけたとき、
「霞かすみのことは気にしなくてい」
と先に森巣が言って、机の上にどかりと座った。
霞という名前に聞き覚えがある気がするが、思い出せない。僕は躊躇しつつ、一番近くにあった椅子に引き、座る。少し離れているからか、森巣が椅子を見て不思議そうな顔をする。が、すぐにどうでもいいかと眉を上げて、僕の顔を見た。
「ほい」
森巣がポケットから何かを取り出して、こちらに放った。大きく弧を描きながら飛んでくるものが見えて、慌てて身構える。頭部をかばうように腕をあげると、ちょうど右手の中に何かが収まるのを感じた。
「ナイスキャッチ」森巣の弾んだ声がする。おそるおそる右手を確認すると、そこには紙パックの小さなヨーグルト飲料があった。これは? と視線を移す。森巣も同じものを持っており、ストローを差し込んでいた。
「まあ、飲めよ」
「ありがとう」と言って、付属のストローをパックに差し込む。
「その代わりに昼飯は諦めてくれ」
長い話になるのか、と思いつつ飲み始める。購買で売っているのは見かけるけど、買ったことはない。ヨーグルト飲料が好きとは、少し子供っぽいところもあるように思えた。
「ええっと、久しぶりだね」
「そうだな。寂しかったぞ。どうしてすぐに会いに来なかった」
「それは、担任が変わったりして、クラスもばたばたしていたから……」
「冗談だ」
冗談? なにが? と逡巡し、寂しいと言ったことか、と納得する。視線を泳がせ、うろたえる僕を見て、森巣がおかしそうに笑う。
「おいおい、そんな身構えるなよ。平が俺のことで騒いだら口封じをしなきゃいけないと思っていたから、俺は安心してるんだ」
「口封じ」一体何をするつもりなのか、と表情が強張る。
「冗談だ」
振り上げた拳を迷うことなく柳井先生の腹部に叩き込んでいた森巣の姿が思い浮かび、イメージを追い払おうとかぶりを振る。
「次は強盗ヤギをやるぞ」
ゆっくり、明朗な口調でそう言って、森巣はストローを唇の端に咥えた。小学生がドッジボールをやろうと誘うような言い方だったので、「うん」と反射的に答えそうになる。
わけがわからず、眉根に皺が寄る。
が、すぐにまたからかわれているのだと気づき、僕は虚勢を張ってみせる。
「強盗ヤギもやっつけるの?」
「その言い方はガキっぽいな。でも、まあ、そうだな。やっつける」
森巣がうんうんと首を縦に振る。にやりと笑い、ストローを齧る尖った八重歯を覗かせた。
「……もしかして、冗談じゃないの?」
「俺が冗談を言うと思うか?」
「さっき言ったじゃないか!」
「言ったか?」
「言ったよ、二回も!」
「あー」と漏らし、言った言った、と愉快そうに声をあげる。
森巣の言動は何が本当で何が嘘なのかわからず、混乱する。頭を掴まれて揺さぶられ、弄ばれているようだった。馬鹿にされている気すら覚え、むっとする。
「どうしたの、なあに?」
声がした方を向くと、ヘッドフォンをして絵を描いていた女子生徒が体を捻り、こちらを向いていた。彼女を見て、僕は思わず「あ!」と声をあげてしまう。彼女は僕を見て目を見開き、慌てた様子でヘッドフォンを外した。
長い艶やかな黒髪に大きな瞳、凛とした眉がすっと伸びていて、大人びた顔つきをしている。派手さはないが華があって、同じ制服でも同級生の女子からは感じない気品のようなものが滲み出ているようだった。
「良ちゃん、どういうこと?」
「ちょっと話があるから、連れてきたんだ。ここは人がいないだろ?」
「わたしがいるんだけど」
「問題があるか?」
「ないけどさ、珍しい。っていうか、え? 初めてじゃない? もしかして、彼が?」
「そうだ、平だ。平は霞のことを知ってるか? 知ってるよな。お前は目と記憶力がいい」
森巣に言われ、僕は「もちろん」と大きく頷き返す。僕は彼女のことを知っているし、大げさではなく、全校生徒が知っているのではないだろうか。「知ってるよ」
小此木霞おこのぎかすみさんは、三年生で、この学校の生徒会長をしている。生徒会では地域の老人ホームや養護施設との交流も行っており、地方紙だけど新聞にも載ったらしい。全校集会で表彰されているのを見たこともあった。
「初めまして、平くん。三年の小此木です」
小此木さんが、礼儀正しく膝の上に手を揃えて頭を下げる。僕もつられて頭を下げ、「二年の平です」と自己紹介を返す。
顔を上げた小此木さんが熱い視線を僕に送ってくる。口元がにまにまと緩んでいた。
「良ちゃんにやっと友達作る気になったのね!」
「うるさいなあ」
「昔は、あんなに必要ないって言ってたくせに」
「何言ってんだよ。友達なら、俺にはたくさんいるじゃないか。休み時間に俺の教室を覗きに来るといい」
「あれはごっこでしょ? 表面だけニコニコしてる作り笑いじゃない」
「わたしみたいに笑顔になれば友達ができる、と俺に教えたのは霞だろう? おかげでクラスを上手くコントロールできているよ」
「コントロールなんてわたしはしてません」
やれやれと言わんばかりに小此木さんがかぶりを振る。そして、再び僕を見た。美人に見つめられると、どきどきしてしまう。僕も笑顔をむりくり作っているのだが、「作り笑い!」と指摘されないかと心配になる。
小此木さんは、思い出したというような顔つきになり、眉を歪めて祈るように手を組んだ。
「平くん、色々と大変だったみたいね。怖かったでしょう」
「そうですね。でも、僕はなにも」と返事をしながら、はっとして森巣を見やる。僕らはクビキリ事件に介入し、犯人逮捕に貢献した。だが、目立ちたくない、秘密にしておいてくれ、と森巣に口止めされていた。僕は秘密を抱え、その重さに苦しんでもいた。
刺すような視線を向け、「喋ったわけ?」と訊ねる。
「大丈夫だ。霞から秘密が漏れることはない」
悪びれる様子もなく、森巣がさらりと言う。
「一人だけ、ずるいじゃないか。誰にも言えなくて、僕がどれだけビクビクしたと思ってるんだ!」
大勢の中にいるのに、心細く、孤独だとさえ思えた瞬間もあった。ショックを受けている同級生に対して、何故か後ろめたさも感じていた。
「おっ、ちゃんと約束を守ってたのか、偉いな」
「偉いな?」
「感心したぞ」
「感心した?」
「見直した? まったく、なんて言えば満足なんだ。お前は意外と面倒臭い奴だな」
顔をしかめる森巣を見て、呆気に取られ、思わず口が開く。が、金魚のようにぱくぱくと動くだけで、森巣を反省させられるような文句は思い浮かばなかった。
怒りの矛先を向けるように睨んでも、森巣は痛くも痒くもないというすました顔をしている。ので、思わず縋るような気持ちで小此木さんを見てしまった。小此木さんが慰めるように僕を見つめ、肩をすくめる。
「ごめんね、良ちゃんって基本的に顔以外悪いからさ。怒りっぽい、腹黒い、性格も口も悪い」
「おい、聞きづてならないことを言うなよ。そこは、誤解を受けるかもしれないけどいい奴だよ、とかって言うところだろ」
「へえ、良ちゃんは自分のことをいい奴だって思ってるんだ?」
「いや、思ってないな、全然。自分のことをいい奴だ、なんていう奴は信用できない」
「じゃあいいじゃない。ってな感じでね、平くん、良ちゃんのことは適当にあしらうのがコツよ」
小此木さんが余裕を感じさせる笑顔を浮かべ、森巣がふんっと鼻を鳴らし、音を立てながらストローをすすった。やり取りをみながら、この二人の関係はなんなのだろうか、と気になった。森巣が「良ちゃん」と呼ばれているし、互いに名前で呼び合っているし、「二人はどういう?」とおそるおそる訊ねてみる。
「改めて考えると、なんだろうね。わたしは優しいお姉さん的な?」
「優しい?」
「優しいでしょ。懐が深いとか情に厚いとか言ってもいい。じゃなかったら、良ちゃんと仲良くしてない」
「腐れ縁だな、腐れ縁」
「腐っても、縁」
縁、という言葉はなんだか力強く、二人の関係がガッチリと結びついている擬音のように思えた。二人とも容姿に恵まれ、頭も良くて人望がある。似合いのカップルに見えていたのだが、お付き合いをしているとか、そういう訳ではなさそうだ。
ここでふと、ある疑いが急浮上してきた。
「小此木さんも、もしかしてその」
「なに?」
「性格に裏表があったりするんですか? 森巣みたいに」
ぷっと空気に穴が開いたような音がし、直後に森巣の豪快な笑い声が美術室に響き渡った。足をバタつかせ、腹を抑えて体を揺らし、息苦しそうに悶えている。
此木さんはむっとした様子で腕を組み、「不本意」と嘆いた。失言を悟り、僕は慌てて謝罪を口にする。
「平くんがすっかり人間不信になってるじゃない」
「担任が動物を殺す変態だったんだ。無理もない」
「それだけが原因じゃないと思うんだけど?」
その通りです、と僕は力強く頷く。僕を大きく混乱させているのは君だ、犯人はお前だ、と告発するような気持ちで森巣を見据える。が、当然のように無視される。そんなことよりも、と森巣は体を捻って小此木さんに向き直った。
「霞、あれは解けたか?」
「あれ? ああ、あれね」あれあれあれ、と小此木さんが弾むように口ずさみながら、制服のポケットに手を入れながらこちらにやって来た。
「早かったじゃないか。渡したのは今朝なのに」
「簡単だったもの。授業中に解けた」
「授業中にとは不真面目だな。生徒会長が生徒の見本にならなくていいのかよ」
「まあ、そこは自分でもよろしくはなかったと思うけれど」
なんの話をしているのだろうか、と覗き込むと、ルーズリーフに赤色で五十音表やアルバファベッド、数列や記号がたくさん書き込まれていた。その表のそばに、見覚えのある○×マークが書き込まれている。
「これって」
「ああそうだ」
「え? 暗号が解けたんですか?」
「ああ、うん、解けたよ」