100万円ゾンビ(初稿−14)
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桜木町駅の駅前広場のベンチに座り、ぼーっと人の往来を眺める。もうすっかり夕方なので、当然のことながら、昼過ぎからずっといるのは、僕くらいのものだ。知らない人たちで溢れている。この町には、たくさんの人がいる。大人も子供も、善人も悪人もいる。そして、ぶつかり合いが起こる。僕はできれば、誰も傷つかない町であって欲しいと祈る。
「よお」と森巣が手をあげてやって来た。
「やあ」と僕は返事をする。
休日の森巣は白いシャツにジーンズというシンプルな服を着こなしていて、大人っぽい印象を受けた。顔は学校にいるときの猫かぶり顔をしていない。猫のような、つんとすました顔をしている。
「あれ? あいつは?」
あいつが、小此木さんのことを言っているのか、ピエロのことを言っているのか判然としないけど、「帰ったよ」と伝える。森巣は、ふうんと周囲を見回し、「そうか」とだけ呟いた。
「森巣は、あのピエロさんとはどこで知り合ったわけ?」
「滑川のことを覚えてるか?」
滑川? と反芻し、「強盗ヤギのプランをを考えていた人だっけ」と答える。
「そう、そいつだ。あいつが犯罪集団のボスでな。吐き気がするくらい酷い奴だ。調べていたら、偽装強盗とか振込詐欺だけじゃなくて、女を騙して風俗に沈めてるってこともわかった。自殺未遂をした女がいるというから訪ねたら、彼と出会ったんだ」
「なるほどね」
強盗ヤギのときから、滑川という男を調べていたけど、まだ続けていたのか。が、意外ではなかった。あのとき、「弱い者を虐げて、利用する奴を許さない。敵がいるなら戦う」と宣言していた森巣の目からは、揺るがない強い意志を感じていた。
森巣は犯罪者を倒すべく、計画を練り、今日という日に臨んでいた。そのことに対して、道徳的なものではなく、もやもやしたものを感じた。
「僕にも言ってくれれば良かったのに」
「今日することを言ったら、素直に協力したか?」
「それは」と口にし、言い淀む。危ないからやめようと反対したかもしれないし、ピエロの人の事情を聞いて同情し、協力したかもしれない。協力したとしても、緊張して、弾き語りどころではなかった気がする。
「な? だから言わなかったんだよ。我ながら、正しい判断だったな」
森巣が右頬を吊り上げて得意そうに笑う。全て森巣の計画通りで、トラブルはあったものの、成功したわけだ。
だけど、まだ納得のいかないことがある。
「どうして森巣は弾き語りに来なかったの?」
「忙しかったんだよ。桜木町以外のゾンビを通報したり、適度に特定できるように情報をネットに流したり、ゾンビがどんな状況かもチェックしていたんだ。今日だけじゃない。その前から、ネットに情報を流しても身元がバレない海外サーバーとか端末を手に入れたり、警察がちゃんと来るような滑川の振込詐欺情報を集めたり、俺だって色々動いていたんだ。いささか疲れた」
「事件の為だったわけだ。電車の事故のせいじゃなくて」
「ああ、まさか電車の事故があるとはな。だが、アクシデントが起こってもいいように、平に弾き語りを頼んでおいてよかった」
やっぱりそうか、と思いつつ、その真実は、一番知りたくないことだった。森巣が得意げに喋れば喋るほど、僕の心がナイフで薄く切り取られていくようだ。僕は奥歯を噛みしめる。
「滑川のグループは暴力団じゃないから、暴力団対策法の対象じゃない。だから今日のゾンビたちが逮捕されても滑川は逮捕されない。ああいう連中は指揮命令系統が不透明だから、リーダーを処罰できないようになっている。トカゲの尻尾がきられるだけってわけだな。でも、トカゲなじゃないから、さっさと頭を踏み潰しちまいたい」
うん、と僕は溢れ出そうな気持ちを堪えながら相槌を打つ。
「俺はこれからも戦う。平にはそれを手伝ってもらいたい。その百万は平が好きにしていい。だから--」
「ちょっと待って」
今、聞きづてならない言葉が森巣の口から飛び出した。
瞬間、冷静になっていたはずの頭に火がつく。溢れてた気持ちの蓋が外れる。マグマのようにグラグラと煮立つ怒りが噴き上げた。
「君は今、僕を金で買おうとしているのか?」
「そうじゃない。その百万をやる代わりに手伝えと言っているんだ」
「同じだ!」
怒りが脈打ち、体を動かす。僕は札束の入った封筒を、森巣の顔に向かって勢い良く投げつけた。叩きつけられてしまえばいい、と思ったのだが、「何をするんだ」と言いながら、森巣に軽々しくキャッチされ、余計に腹が立つ。
「君との間に、友情があると思っていたんだ。でも、それは僕だけだったみたいだね」
怒りとも悲しみともつかぬ気持ちが僕を勝手に喋らせる。だが、そんな僕の言葉は伝わっていない様子で、森巣は不思議そうな顔をし、不本意さが滲んだ声を発した。
「だからこうして金を渡してるんじゃないか」
お金をどう使うかって人の性格が出るよねえ、という小此木さんの言葉を思い出し、森巣に、失望した。強く拳を握りしめ、腹の底から、叫ぶ。
「友情を、金で買えると思うな!」
こんなに大きな声を出したのは初めてかもしれない。怒鳴ったのも初めてだ。僕の声に驚いたのか、僕を怒らせたことに驚いたのか、森巣の瞳がゆらりと揺れた、ように見えた。顔をしかめながら、何かを言おうと口を開きかけている。
が、睨みつける視線を外し、ギターケースを手に持ち、背を向け、駅に向かって歩き始めた。
森巣がいなくても、弾き語りくらいできる。
でも、僕は僕の演奏を森巣に聴いてもらいたかった。
それに、頼みごとがあるなら、普通に言ってくれればいいじゃないか。
お金で買えるほど安っぽい関係だと思われたのかと思うと、憤りが止まらず、悲しみと怒りがぶつかり合う不協和音が頭の中で響くようだ。もやもやの森を抜ける為に、ずんずんと進み、気がつくと駅のホームに立っていた。
音楽プレイヤーを取り出し、イヤフォンを耳に詰める。この気持ちを吹き飛ばしてくれる曲を探した。慰めてくれる曲を探した。励ましてくれる曲を探した。
だけど、ふさわしい曲がどれか思い浮かばない。
顔を上げると、いつの間にか到着していた電車が走り出していた。
イヤフォン越しに、僕を置き去りにするメロディが聞こえる。
(3話目おわり)