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クビキリ(2稿-6)

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「それじゃあ、瀬川さんが来るまでに話しておくよ。瀬川さんに話を聞かせて怖がらせたくないし」
「クビキリ、についてだね」

 首肯する。既に瀬川さんは不安を感じていると思うけど、自分の犬がおぞましい事件の被害に遭うかもしれない、という危機感を煽りたくなかった。

 僕はホットのブレンドコーヒーを口にしてから、話を始める。酸味と苦味が、口の中に広がる。

「この二ヶ月、桜木町の周辺で動物の死骸が見つかってるんだ。首を切られて、頭だけね。ネットとか同級生の間では、クビキリって呼ばれている」
「みんな知ってるんだ?」
「どうだろう。僕は隣の席の同級生に教わったよ。地元の事件だし、注目されてるのかもね。テレビで報道をされているのは見たことがないけど……森巣はネットとか見ない?」
「見ないわけじゃないけど、知らなかった。見落としてたのかな」

 まあ、僕も細かい情報収集はネットでしたしな、と思い返す。怖い話や事件・事故をまとめているサイトがあり、そこに事件のあらましや、匿名のユーザーによる情報、感想が掲載されていた。事件のことを知れば知るほど身震いがした。

「じゃあ、話を進めるね」と説明を再開する。

 一体目、四月の下旬に横浜の山下公園のベンチに置かれた犬の頭が見つかった。早朝ジョギングをしていた人が発見をしたらしい。

 ネットで記事を読んだという同級生からその話を聞き、ジョギング中に動物の死骸を、それも殺された動物の死骸を見つけた人はどんな気持ちにになっただろう、と想像し、やりきれない気持ちになった。ジョギングをやめるかもしれないし、山下公園に二度と行きたくないと思うかもしれない。
 なんにせよ、もうこんな事件が起こらなければいいね、やりきれないよ、と同級生にそう漏らしたのだが、僕の願いは犯人に届くことはなかった。その後も駐車場、住宅街の公園、小学校でクビキリが置かれるようになった。

 町の夕闇の色が濃くなっていくような、そんな不気味さを覚える。僕の住む町には、人間の皮を被った怪物がいる。そして、耳をすませば「助けて」というか細い声が聞こえて来るようだった。

「というわけで、犯人は犬とか猫とか、小動物ばかり狙って、事件を起こしているんだよ」

 概要の説明をすませ、森巣の様子を窺う。
 森巣は黙って僕の話を聞くと、ゆっくりテーブルの上のアイスコーヒーに手を伸ばした。
 ガムシロッップとミルクを入れる。細い指がストローをかき混ぜると、液体がどろっとと溶け合い、黒と白がだんだん混ざっていった。それがなんだか不吉でいかがわしいものに見え、目を逸らす。

「弱い者いじめは許せないな」

 冷たい温度の声に思わず、ぞくりとする。一瞬、森巣が別人になったように思えた。

「で、平はその、クビキリと犯人を見たんだっけ?」
「そう、そうなんだよ」

 こんな酷いことをする犯人の気持ちなんてわからない。それに、殺された動物の悲しみや発見者の気持ちも計り知れないなぁと思いながら僕は過ごしていた。

 なので、まさか、自分が思い知ることになるとは考えてもみなかった。
 二週間前の土曜日の夜、僕は野毛にある図書館に向かった。本を一冊借りていて、それの返却期限が今日までだったと気がついたからだ。十時を過ぎているし、夜の外出を母さんと妹からは咎められた。でも、図書館は近所だし、返すときに「期限を守ってください」と注意されるのが嫌だったので、「ポストに入れるだけだから」と言って家を出た。我ながら子供っぽいけど、怒られたくなかったのだ。

 十分ほど自転車をこぎ、図書館に向かう。駅前の辺りで飲み会帰りと思しき大人たちが楽しげな声をあげているのを見たが、丘の上にある図書館へ向かうにつれ、人の数が減り、そして誰もいなくなった。道路沿いに立つ街灯だけが、夜の住人のように並んでいた。

 勝手知ったる道だけど、だんだんだと不安がこみ上げてくる。早く家に帰りたい、そう思ってペダルを早く回転させ、図書館を目指した。

 図書館の前に到着し、自転車を降りる。誰も見てはいないけど路駐をしたくなかったので、駐輪場まで自転車を押した。

 すると、夜の中に気配を感じた。駐輪場のそばにあるベンチの前に、誰かがいることに気がつき、反射的に立ち止まった。
 上下真っ黒の服装をしていて、まるで夜の闇が人間の形をして蠢いているような不気味さを覚える。

 図書館の閉館時間は二十時半だ。館内の電気も消えている。職員さんではないだろうし、僕のように返却ポストを利用しに来たのだろうか、と考えを巡らせる。

 じっと目をこらす。黒服の人物はこちらに背を向け、中腰になって体をもぞもぞと動かしていた。パーカーの背中に「X」と白文字で大きく書かれている。落ち着け、あれは人だ。同じ人間だから怖くない。そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと前進を再開した。足が動き出す。

 歩くのに合わせて、自転車の車輪が回転するカラカラという音が鳴った。
 その瞬間、黒服の先客が警戒する動物のような俊敏な動きで体を起こし、こちらを振り返った。
 先客を見て、自分の表情が強張る。
 パーカーのフードをすっぽりと被り、マスクをし、サングラスをかけていた。何か出会ってはいけないものに出会ってしまったような感覚がして、背筋が凍りつく。

「お兄ちゃん、明日にしなよ。危ないよ」

 僕は出かける前に言われた妹の言葉を思い出していた。
 世の中では事件が起こっていて、それに巻き込まれる人は、自分が巻き込まれるわけがないと思っている人ばかりだ。世の中は理不尽で、弱い者には容赦がない、僕だってそれくらいわかっているはずだった。

 が、事件に巻き込まれる人の多くがそうであるように、自分は大丈夫だろうと思っていた。油断していたのだ。

 先客がじっと僕を見ている。何故、見つめる? わからない。ただ、このまま接近され、何か恐ろしいことをされるという予感がした。逃げなければと自分に言い聞かせる。だけど、誰かに足首を掴まれているように、足に力を入れることができない。
 手の力が抜け、自転車が倒れ、がしゃんと音が響いた。
 その音を合図にしたように、先客が素早い動きを見せた。

「逃げるような動き」というフレーズが思い浮かんだ。

 先客は、こちらに背を向け、勢いよく駆け出していた。
 逃げた? 何から? 僕から? 何故? そんな疑問を抱きながら、僕は倒れている自転車をそのままに、おそるおそる先客がいたベンチのそばに歩を進める。
 電灯の下、ベンチの上にそれはあった。
 まるでベンチから生えているように、白猫の頭が置かれていた。
 目と口を大きく開けていて、絶叫しているように見える。

「クビキリ」

 そっと耳元で誰かに囁かれたようではっとし、理解し、僕は尻もちをついていた。お尻がじんじんと痛み、呼吸が荒くなり、心臓がドクンドクンと早鐘を打ち、心をかき乱す。
 白猫と視線が交錯する。黄色と青の瞳が、僕を見つめている。
 おぞましい光景なのに、怖ろしいが故に視線を外すことができなかった。

 どのくらいの時間そうしていたかわからない。帰りの遅い僕を心配した妹からの着信でポケットのスマートフォンが震え、僕は我に返った。

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如月新一
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