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強盗ヤギ(初稿−9)

      9

 店にやって来たのは、ネクタイをしていないスーツ姿の二人組だった。身長は百七十から百八十の間くらいだろう。颯爽とやって来た二人を見て、まるで映画だと思った。現実離れしている。その理由は明白で、頭がゴム製のヤギを模したマスクですっぽりと覆われていたからに他ならない。生で見ると、毛並みまで質感が再現されており、リアルで気味が悪かった。

 強盗ヤギだ。強盗ヤギが現れた! と息を呑み、頭が真っ白になる。
 二人が胸の内ポケットに手を入れると、それぞれ黒い塊を取り出した。
 一人はICレコーダーを、一人は拳銃を、突き出すように構える。

『動くな。抵抗をするな。邪魔をすれば容赦なく撃つ』

 レコーダーから、声が流れた。音声合成ソフトで作ったような、抑揚のない声だ。おかしな感じがする。僕は今、自分が別の誰かの人生の中や映画の中に迷い込んだようだった。僕は人質の役を充てがわれている。何をすればいい? 脚本にはなんて書いてあるんだ? と逡巡する。

 状況に順応できず、落ち着かない。気持ちがふわふわとしている。しっかりしろ、危機感を持て! と自分い言い聞かせた。

 はっとし、前を見ると、自分に銃が向けられていた。
 ぶわっと全身の産毛が逆立つ。頬と額が強張り、情けない悲鳴をあげ、身体を後ろに仰け反らせる。大きく息を吸い込みながら、両手をあげていた。

 本物の銃なんて見たことがない。だけど不思議なもので、黒くて重そうなそれを、瞬時に危険なものだと判断できた。

 撃鉄が起こされ、引き金が引かれ、飛び出した銃弾が僕を貫通し、血を流しながら崩れ落ちる自分が思い浮かぶ。アクション映画の脇役たちのように、特に理由もなく、居合わせただけで呆気なく殺されるのではないか、と怯える。

 僕はこのまま殺されてしまうのか? こんなことが前にもなかった? そうだ、あれは柳井先生の家にいたときだ。

 そういえば、あのときも森巣がいた。そう思って視線を移すと、僕の意識と共に銃口も森巣へ移動し、そしてすぐに女性客へ、と次々に移っていった。ちゃんと話を聞いているか確認するような動作だった。

 ICレコーダーを持っている方、声ヤギが、店内をぐるりと見回してから、後ろを向いて入口ドアについている窓のカーテンを閉めた。

 これで店の外から中の様子は見えなくなってしまった。店の扉にかかっている看板は、入るときにCLOSEDにでもひっくり返したのだろう。不審に思った常連客が来て気づいてくれれば、と思うが、あまり期待できない。

 銃ヤギが、オーナーの方に歩み寄る。オーナーはボディバッグを押し付けられると、頬を引きつらせ、ロボットのような動きでレジの方へ移動していった。

 動画で見たことがあるから、この後どんなことが起こるかは知っている。けど、ジェットコースターがいつ急降下するのかわかっていても、表情が強張ってしまうように、心の余裕は生まれなかった。動悸が激しくなり、立ちくらみのような、酔っているような気持ち悪さを覚える。

『両手をテーブルの上に置け』

 指示通り、そっと両手を置く。森巣は落ち着き払った様子で、既に両手をテーブルの上に置いていた。周りを確認すると、女の客の顔は見えないが、ちゃんと指示に従っているようだった。男の客も銃の迫力に呑まれたようで、表情を引き締めながら、抵抗することなく両手をテーブルに置いていた。

『金を詰めろ』

 オーナーが、「はい!」と大きく返事をし、素早い手つきでレジの操作を始めた。

『もたもたするなよ』

 銃ヤギはオーナーの方へ向かい、声ヤギはポケットから紙と筒状のものを取り出した。筒を振る度に、からからとこの場にそぐわない軽快な音がした。スプレー缶だと気づく。

 壁に紙を貼り付けると、スプレーのキャップを外し、噴射した。何をしているのだろうと凝視し、暗号を残しているのだと気づく。シンナーの独特の薬品臭が、店内のコーヒーやバターの香りを吹き飛ばしていく。

 視線をそらし、オーナーの方を見ると、オーナーはレジから札と小銭を掴み、せっせとバッグの中に入れていた。決して儲かってはいないだろうに、と同情する。なぜうちの店が襲われなければならないのか、と憤っているはずだ。懸命にスーパーでレジ袋に買ったものを詰め込むように、せっせと無心の表情で金を詰めて込んでいる。

 オーナーから視線を外し、向かいの席に座る森巣を見る。
 そう言えば、森巣は強盗ヤギの出現を予期していた。どうして現れると気づいたのだろうか。僕が家族と連絡を取っている間に、ネットで予告でも見たのだろうか。

 そんなことよりも、だ。この状況をどうする? と森巣に質問をするように見つめ続ける。戦うのか? あのときのように。今までの動画では、人質に危害は加えられていない。だけど、そんな保証はないぞ、どうするつもりなんだ? と心臓が僕を急かすようにドンドン叩いて来る。

 僕の視線に気づいた森巣が、ニヤリと笑みを浮かべる。その顔色に不安はなかった。
 そうだ、森巣は注目を集めるとメッセージを送ってきていた。何をするつもりなのか、そう思った瞬間、歌声が響き渡った。

「ララッラーッラーッララララ、ララーラララ、ラー」

 オルゴールの蓋が開けられ、役目を思い出したように、森巣が口を開き、メロディを口ずさんでいる。そして、机の上から手を離し、スマートフォンをマイクのように構えていた。

「ラーラッラ、ララー」

 妙な違和感を覚え、なんだろうかと思案し、はっとした。
 これは、僕の曲だ!

 自分の顔が熱を持ち、真っ赤になっていくのがわかる。何故? と森巣を見つめていると、ギロリと睨み返された。

 そこで、『周りの人間を観察していて欲しい』ともメッセージが飛んできていたことを思い出す。どうして僕が? なんの為に? と思いつつ店内を見回す。

 女性客も体を捻って振り返り、森巣を見ている。呆気にとられたようで、目と口を開いている。男性客も、目を瞬かせ、この若者は何を考えているのか? と訝しんでいるようだった。オーナーもぽかんとし、突然歌い出し森巣に視線を釘付けにしている。

 表情がわからないけれど、強盗ヤギたちもわけがわからず、怪訝な顔をしているのではないだろうか。

 声ヤギが我に返ったと言わんばかりに体をびくんと動かし、『動くな。抵抗をするな。邪魔をすれば容赦なく撃つ』と音声を再生させる。

「すんません、ちょっと、邪魔しないでもらっていいっすか」

 いかにも軽薄な若者、という口調で、森巣が呑気な声で返事をした。

『両手をテーブルの上に置け』
「あっ、抵抗とかはしないんで。俺、実はバンドマンなんすよ。ちょっと今、頭の中ですげーヤバいフレーズが流れ始めたんで、これだけ記録させてください」

 声ヤギと銃ヤギが顔を見合わせている。面倒な奴だぞ、どうする? と訊ね合っているようだった。

 他の客はどうか、と再び僕はせわしなく眼球を動かし、確認する。
 女性客は相変わらず、呆れた様子で森巣を見つめている。男性客は迷惑そうな顔をし、森巣を睨んでいる。オーナーは泣き出しそうなほど表情を歪め、おろおろと視線を泳がせていた。

 オーナー、今の内に警備会社に通報してくださいよ、と思ったが、そもそも契約していないのかもしれない。強盗ヤギが小さな店を選ぶのはそれが理由かもしれないと思い至った。

 ダンッ! と大きな音が店内に響き、驚いて体が跳ねる。音のした方を向くと、銃ヤギが右足を上げ、勢い良く床を踏みつけた。再び、大きな音が店内に響く。

 が、それでも森巣は相手にする様子もなく、歌い続けている。そろそろやめたほうがいい、相手をかなり怒らせている。森巣の口を塞ぎたいが、動くと再び銃口を向けられそうで、僕は動けなかった。

 困っている人を助けなさい、という母親の声が聞こえる。だけど、みんな困っている場合はどうすればいいんだ、と混乱した。今、自分が何をすべきなのか、何ができるのかがわからない。
 声ヤギが、森巣のそばまで行き、『騒ぐと殺す』と音声を再生させた。

「ちょっと静かにしてもらっていいっすか? 今、降ってきてるんで!」
『騒ぐと殺す』
「あーもう、変な声が入ったから録り直しじゃないっすか! 銀行襲う度胸もないあんたらにはわからないかもしれないけど、こっちは音楽に人生かけてんすよ」

 マスクのせいで表情は見えないが、銃ヤギが肩で呼吸をし、苛立っていることはわかる。むきになった様子で大股で歩き出し、銃を森巣の眼前で構え、撃鉄を起こした。カチリ、と金属がなる音がする。

「ちょっとなんなんすか、ひぃぃっ!」

 森巣が情けのない声をあげる。が、森巣は一瞬だけ僕に目配せをした。
 嘘だ、演技だ、と理解する。急いで、視線を移し、再び店にいる面々の様子を探る。
 男性客は目を細め、じっと二人の様子を窺っている。女性客は表情を歪めつつ、銃ヤギを見上げている。オーナーは一番気が動転しているようで、銃ヤギと森巣と女性客の間でせわしなく視線を泳がせていた。僕と目が合うと、眉を下げ、悲愴感をより一層濃くした。

「すいません、まじすいません!」

 森巣が机の上に手を置き、情けない声で謝り続ける。
 声ヤギが銃ヤギに歩み寄り、肩を叩く。銃ヤギがそれを払いのける。しばらく、肩を上下させながら荒い呼吸をしていたが、しばらくしてから拳銃の撃鉄を戻し、身を引いた。
 ほっと胸を撫ぜ下ろす。思わず手をテーブルから離し、額の冷や汗を拭いそうになった。

「あの、おっ、終わりました!」

 いつの間にか金をバッグに金を移していたオーナーが、声を上げる。無理くり笑顔を作っていて、問題を解けた生徒が先生に褒めてもらいたくて自慢しているような、媚びた印象さえ受けた。強盗ヤギを逆上させないことは得策だと思うけど、自分の店を、一国一城の主として守ろうという気概を見せてもらいたかった。

 声ヤギがオーナーからボディバッグを受け取り、肩にかける。強盗ヤギたちはそのままゆっくりと扉の前に移動すると、

『五分間、ここでじっとしていろ』

 と音声を再生させた。
 わかったか? と確認するように店内の面々を見回すと、鍵を開けて外に出て行った。
 嵐が過ぎ去ったような静寂の中、呆然と扉を見つめてしまう。

 強盗ヤギたちはいなくなったけど、張り詰めた奇妙な緊張が場を支配している。やっぱり殺しておこう、と彼らが銃を持って戻って来るのではないか? と妄想してしまう。恐怖が頭を充満し、よくない考えが巡る。

 そんな中、森巣は勢い良く立ち上がると、カバンを持って店を飛び出した。どこまでも、強盗ヤギたちの言うことを聞くつもりはないらしい。

 呆然としたが、すぐにはっとし、慌てて僕も立ち上がり、彼の後を追う。
 店を出ると、夜のひんやりとした空気が肌を包んだ。閑散とした夜道の遠くの方から車が勢い良く走り抜ける野蛮な音が響いて来た。強盗ヤギの仲間の車が待機していたのかもしれない。
 森巣を探すと、彼は既に店からはだいぶ離れたところを、駅に向かって歩いていた。

「森巣!」と声をかけながら、追いつこうと走る。

 森巣が立ち止まり、くるりと振り返る。さっきまでの空気の読めない若者の芝居はやめ、何事もなかったような飄々とした顔をしていた。

「心配したんだぞ!」

 思いっきり言葉をぶつけた。第一声がそれか、と僕自身が驚いた。森巣は虚を突かれたように、目を丸くする。強盗ヤギが店にきたときよりもビックリしているように見えて、呆れる。

「突然歌い出したりなんかして、一体どういうつもりだったんだ?」

 ああ、あれか、と森巣が口にし、愉快そうに笑みを浮かべ、僕を指差した。

「エド・サリヴァン・ショーだ。平のアイデアだよ」

 エド? サリヴァン? と僕は知っているのに、訊ね返す。森巣が何を言いたいのかわからないからだ。

「平の音楽が流れている間だったら、撃たれないと思ったんだ」

 子供が悪戯の理由を答えるような、無邪気な口ぶりだった。まさか、そんな理由で? もし撃たれたら僕の所為じゃないか、と、困惑する。だけど、友達に自分の中の何かを信じてもらえたようで、嬉しさを覚えてもしまい、怒る気がどこかに失せてしまった。

「『バッファロー'66』で流れるYESの曲みたいなもんだ。撃ち殺されないための願掛けだな」
「それも映画?」

 当然、と森巣がうそぶく。

「それで、俺が体を張っている間、平はちゃんと店の中を見てたか?」
「ああ、うん、それは」と気の抜けた返事をしてしまう。「もちろん」
「じゃあ、平が何を見たか細かく書いてスマホに送ってくれ」
「ああ、それはいいけど……今話そうか?」
「いや、俺は考え事をする」

 森巣はピシャリとそう言い、歩き始めた。頼りない街灯だけが並ぶ、誰もいない夜の道を黙って歩く。数分前、自分に拳銃で脅されていたのが夢だったのではないかと思える。それくらい、平和な道だった。
 しばらく森巣の隣を歩きながら、さすがに「どこに向かってるの?」と訊ねる。

「どこって、お前そりゃ、駅だよ。電車に乗って帰るんだよ、家に」
「警察は?」
「誰かが通報してるだろ。戻ってもいいけど、俺のことは黙っておいてくれよ。警察は嫌いだし、面倒臭いのも嫌いなんだ」

 自分はどうするべきかわからず、立ち止まる。
 迷っている間にも、森巣は駅へ向かって歩き続けている。
 戻るべきだ、警察に何が起こったのか、説明をするべきだ、と自分の声がする。常識的に考えろ、と。

 夜道を振り返る。戻れば、あの店がある。もう強盗ヤギは戻ってこないだろうから、安全なはずだ。

 だけど、どっと疲れが押し寄せてきて、上下左右の感覚を失うような、眩暈を覚えた。店に戻って聴取に付き合って、帰れるのは一体何時だろうか。突然歌い出した森巣のことを隠す言い訳はどう説明すればよいのだ?
 ポケットのスマートフォンが震えた。取り出し、確認する。妹からだった。

『お兄ちゃん、何時に帰ってくるの? 牛乳を買って来て欲しいんだけど』

 心配している妹の顔が目に浮かぶ。疲れた。家族に会いたかった。

『今から帰るよ』と返事を打ち、送る。

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如月新一
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