最終話「祭りの後」
文化祭後
クイーン13
屋上で演奏をした反省文プラス脱走をした反省文プラス、大声でハートのキングのイベントを妨害した反省文を書くことになった。合計五十枚以上というボリュームだ。最後に関しては、反省するつもりがないのだが、脱走して告白するとは何事か、ということらしい。
今まで反省文を書くようなことがなかったから、どうやって書いたらいいのかわからず、ことのあらましを中学の頃から遡ることになり、反省文は合計七十八枚に及んだ。
担任の日下部先生に渡すべく、教員室の扉をノックする。
「失礼します」
一年教員室の中をぐるりと見回すと、日下部先生はこちらに背を向けて、佐野さんとなにかを話していた。文化祭の二日目に、天宮先輩のことをお願いしてから、針ヶ谷さんと佐野さんにお礼ができていなかったことを思い出し、「佐野さん」と思わず声をかけた。
日下部先生と佐野さんが、僕を見る。割って入ってしまった、と気づいたが頭をさげる。
「先日はありがとうございました」
「ああ、いや、私は何も。お礼は針ヶ谷さんに言ってあげて」
「はい、改めて」
そして、すいませんでした、続けてくださいと日下部先生と佐野さんの会話を促す。
「それで、佐野さんはどんな要件なの?」
「ああええっとですね、教室のハートのキングがすり替えられた件でお話が。文化祭の日って先生が文化祭実行委員の教室の鍵を閉めて、その後は誰も借りに来なかったんですよね?」
「そうね」
「先生は生徒から色々な相談をされますし、あと、落合さんとは同級生で仲が良かったんですよね?」
日下部先生が怪訝な表情をしながら、そうねと曖昧に頷いた。
「同じクラスだったし、よく勉強を見てあげていたけど、それが何か?」
佐野さんは、なにかをためらうようにしばらく沈黙したが、
「いや、それだけです。ありがとうございました。先生の同級生が有名人っていうのは、ちょっと意外だなあと思って」
「そう? まあ、わたしも同級生二人が芸能人になるとは思わなかったけど」
返事を受け、佐野さんが頭を下げて教員室を後にした。
一体、彼女はなんの話をしていたのだろうか。
「あの、先生。反省文を書いてきたので、持ってきました」
「早かったねえ」
日下部先生がそう言いながら、僕から反省文を受け取る。ズルをしていないか確認するかのように、ぺらぺらとめくる。
「狭間君は優等生だと思っていたんだけど、反省文を書くことになるとはね」
「処女作なので、よろしくお願いいたします」
「これまた、ボリュームのある。この学校は、昔からとにかく反省文を書かせるからね。次はこんなことをしないように」
はい、行った行った、というように日下部先生が机の上にぽんと反省文を置いた。
僕は、言おうか言うまいか悩みながら、隣でしどろもどろしながら立っていると、「まだあるの?」と声をかけられた。
「あの、最後のだけ、反省文書けなかったんです」
「最後の?」
「ハートのキングを妨害するような真似をしたことについて」
すると、日下部先生は、ふむと小さく頷いて腕を組んだ。
「どうして?」
「何も間違ったことをしてないからです。僕は正しいことをした」
日下部先生は神妙な顔をして黙っている。
僕は返事待ちながら、佐野さんとは一体なんの話をしていたのだろうか? と考えを巡らせる。
教室からハートのキングがジャックとすり替えられた。日下部先生だけが鍵を持っていた。日下部先生は芸能人夫婦と同級生だった。
頭の中で持っていたパズルがぱちりぱちりとはまっていく。
鍵の開け閉めを日下部先生しかしていないのなら、日下部先生が教室に忍び込める唯一の人だ。カードのすり替えは、日下部先生の犯行になる。
複雑な仕掛け、トリックなんてものはない。
複雑なのはいつだって人の心だ。
どうして日下部先生はそんなことを? 動機は?
動機は、そう、例えば昔、ハートのキングというイベントのせいで片思いの相手を取られてしまった日下部先生が、あの頃の自分と同じ悩みを抱えた生徒から相談を受け、ハートのキングを中止にするために一肌脱ぐことにした、とか。
「狭間君」
呼ばれ、はっとする。
「個人的な意見だけど、君がしたことは格好いいことだと思った」
「そうでしょうか」
「恋は戦争なんだから、わたしも戦えばよかったなあ」
そう言うと、日下部先生は僕を見てなんだか嬉しそうに笑った。
「さっ、行った行った!」
「失礼しました」
そう告げて、教員室を後にする。
でも先生、と僕は言いたかった。
僕は森谷さんの告白を阻止した。手段を選ばずに戦った。恋とはそういう意味では、戦いであり、戦争なのかもしれない。僕はシンプルだったけど、知略を巡らせ、駆け引きをし、恋を成就させようと奔走する人たちもいるかもしれない。
でも、ハートのキング、恋のおまじない、永遠の愛の誓い、そんなものはただの儀式だ。模倣を繰り返したところで、揺るがない絶対なものになったわけではない。
僕は校内を歩き、三年校舎へ向かう。
先日までの賑やかさはなく、いつもの高校に戻っている。
残っている生徒も部活動をやっている者くらいで、大きな荷物を運んでいる生徒や、お菓子の買い出しをしている生徒もいない。幸せそうな喧騒は消え、階段や壁やロッカーには一枚のチラシも貼られていない。剥がすのに失敗した、セロテープがあるくらいだ。
階段を上がり、三年六組の教室へ向かうと、たった一人、僕のことを待ってくれている人の姿があった。
「みそぎは済んだの?」
天宮先輩の長い黒髪が揺れ、真っ直ぐな視線が向けられる。
「お待たせしました」
僕たちは、恋人になった。
でも、それが終わりではない。
恋が戦争ならば、その先はなんなのだろうか? 何と戦うのか。
僕は彼女の笑顔を見たいと思った。味方になりたいと思った。ずっと先の、未来まで二人で行きたいと思った。
でも、僕たちは、どこまで行けるのだろうか。天宮先輩に、僕を信じてほしいと伝えた。だけど、綺麗で大事なものは、簡単に壊れてしまうものにも思えて、怖くなる。
ちらりと天宮先輩の顔を見る。僕の中の不安を見抜くような、凛とした瞳が綺麗だった。
「ねえ、今後の日曜日、行きたいところある? 桜木町の映画館か江ノ島の水族館がいいんだけど」
右手が差し出され、ゆっくりと左手で繋ぐ。
じんわりと、優しい気持ちが伝わってくる。
僕には、わからないことだらけだ。あの文化祭で何が起こったのかもわからなければ、先のこともわからない。それでも、この気持ちだけは、本当だ。
これから、あなたに伝えていきたい。
手を繋いだときの温もりを。
あなたの味方でいたいということを。
僕がこれから先もどれだけ、あなたの隣にいるのかを。
「どこに行っても、僕たちなら楽しめますよ」
天宮先輩が足を止め、じっと僕を見据える。その目はどこか鋭かった。
瞬間的に、悟る。僕は間違ったことを言った。
「私は今、選択肢を提示したから選んでって言ってるの。どっち?」
「ごめんなさい。水族館で」
「よろしい」
文化祭は終わった。祭が終わり、訪れたのは日常だ。
僕らは日常を守るための戦いを、これから始めることになる。
「信じられないくらい楽しませるので、覚悟しておいてくださいね」
繋いだ手に力をこめると、優しく握り返された。
(了)