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天国エレベーター(初稿−5)

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 僕に向けられている二枚のカードを見つめる。人生は選択の連続だ。軽はずみに引いたらババ、ということもあり得る。滑川かキノコ男か、よく考えなくても、どっちもババじゃないか。昨日、迂闊な提案をしてしまったと反省する。森巣を止めるべきか、それとも協力して成功する確率を上げるべきか。他に手はあるのか。

「ちょっと、悩みすぎじゃない? 早く決めてよ」

 向かいの席に座る海老原少年が、そう言いながら持っているカードを振る。はっとして、僕は左を抜き取り、顔をしかめる。ババだった。

 左手を使ってテーブルに伏せていたカードの中に混ぜ、それを今度は海老原少年の隣に座る花坂さんに向ける。花坂さんの細い腕が伸びてきて、右のカードを捲った。

 花咲さんはすらっとした体型で男性にしては色が白く、体が丈夫じゃないんだろうなと思うけど、

「あがり、です」

 という声が、ストールを巻いた喉に押し当てている、小さな装置から出ており、ビブラートがかかってた音声として流れていることからも察することができる。海老原くんは足にギプスをし、車椅子に乗っているからわかるけど、滑川さんの病気はなんなのだろうか。

「平、顔に出すぎだよ」

 海老原少年に指摘され、ドキリとする。失礼な態度になっていただろうか、と花咲さんの顔色を窺う。花咲さんと目が合うと、眼鏡の奥にある目を細めて柔和な笑みを浮かべた。

「ババ、バレバレ、でしたね」

 トランプのことかとほっとしつつ、バレバレのままでは不味いと、手札をかき混ぜる。

 九階建ての総合病院の三階の隅に、教室の半分ほどのサイズの図書室がある。中には入院患者の為の本がある、わけではなく、気軽に読むには難解過ぎてわからない医学書が並んでいる。院長が自宅に入らないものを入れる倉庫にしている、という噂が流れているくらいで、利用者はほぼいない。

 僕がここにいる理由も、同じ階の喫茶スペースで会った海老原少年から「新入り? 遊びに行こうよ」と誘われたからだ。「展望室?」と訊ねると、「あんなところ何もないよ。通は図書室だよ」と大人びた口調で案内された。確かにそこは、前を通っても図書室だとわからない、通な場所だった。

 悪党滑川が入院しているこの病院で、明日森巣が八木橋さんと物騒なことをしでかすかもしれない病院で、自分は患者同士でトランプをしている場合なのか! という声が頭の中でするのだが、他にするべきことが何も思い浮かばない。

「では、もらいますね」 

 テーブルの中央に置かれた三つのお菓子の内一つを、花坂さんが手元に移動させる。昨日、母親から見舞いでもらったもので、一人で二十四個は食べきれないし、そんなに長く入院する予定になったら嫌なので、二人におすそわけのつもりでいくつか持って来たのだが、それを景品にババ抜きをすることになった。最初に抜けた人がそれを一つずつ自分のものとするというルールだ。花坂さんは既に三つ、僕と海老原少年はまだゼロだ。

「何? 悩み事?」

 海老原少年が同級生に話すように訊ね、カードを捲った。僕と違ってポーカーフェイスだったけど、二人でのババ抜きだから意味がないのに、と思うと年相応に可愛く見える。

「好きな子がお見舞いに来てくれないとか?」「違うよ」
「来てくれたんだ?」「そういう意味ではなく」
「そのブレスレット、その子からもらったの?」
「これは違うよ」

 左の手首に、五円玉を結んだブレスレットをしているけど、これは弾き語りでもらった大事なものなので、お守りにしている。弾き語りに来なかった森巣からもらったものではない。

「海老原くん、プライバシーですよ」と花坂さんがたしなめるが、「わかった、磯貝(いそがい)さんのことでしょ」と海老原少年は続けた。
「磯貝さん、って誰ですか?」
「僕の病室にいる、迷惑な患者さんです。お年寄りなんですけど分別がないというか、ナースコールを押しまくってるし、手術の同意書を見て、『合併症とか怖すぎんだろ、術中覚醒が起きても文
句言うななんて同意できねえよ』とか騒ぐような人です」

 じゃあ手術をやめて退院しちゃいなよ、と思いながらカーテンの向こうから聞こえる話を聞き、結局同意するんかい、と当然と言えば当然の結果に肩透かしを感じたりもした。

「術中覚醒って何?」
「手術中に目が醒めることですよ。滅多に起きませんけどね」

 確かにそれは怖いね、と海老原くんが身震いをしてから、「でもさ、迷惑ですよ、って平がなんとかしてあげればいいじゃん」と年長者を責めるように僕を見た。

「僕が言っても、素直に自分が間違ってました、とはならないよ。看護師さんたちに、余計なことをしないでって思われるかもしれないし」
「よく言ってくれた! ありがとう! ってなるかもしれないよ」
「トラブルの解決は、ちゃんとルールに乗っ取らないと。自分一人で何でもできると思って危険な橋を渡らないで、足並みを揃えて解決するべきなんだよ。この社会で一人で生きてるわけじゃないんだから」
「なんか大袈裟じゃない? 何の話?」
「磯貝さんの話だよ」嘘だ。森巣に対してのわだかまりを口にしていた。
「花坂さんはどう思う?」
「対処されていない問題に対して、ルールが機能するのを待つか自分も介入するか、ということですよね?」

 花坂さんは、料理をする前に素材を一つ一つ確かめるように口にし、僕らはそういうことだよね、と顔を見合わせて頷く。

「ルールを守るのは社会の維持に繋がりますし合理的ですが、それは無責任にも繋がりますよね」
「無責任、ですか」
「たとえば、『裸の王様』っていう話がありますよね」

 童話の話が出てくると思わず、意外に思っていると、「知ってる」と海老原少年が元気に答えた。王様が「愚か者には見えない不思議な布地ですよ」と売りつけられ、家来や町の人たちは見えているふりをしていたが、一人の少年から「王様は裸だ」と指摘され、王様が騙されていたことが明るみになるという話、だったと思う。

「ルールを守る側が機能していないとき、誰かがなんとかしてくれるかも、と待っているのは悪循環になる」

 なるほど、とうなずく。正直になるのが一番、という教訓の話だと思っていたけど、そこまで読み解くことをしてこなかった。が、それはあくまで童話だ。現実だったらどうだろう。

「でも、指摘された王様が恥をかかされたって逆ギレして理不尽な罰を与えてくることもあるんじゃないですか?」
「では例えば、友好的に接して、それとなく伝える、と言うのはどうでしょう。『お菓子食べませんか?』と近づいて、少し親しくなってから『夜中に何度もナースコール押すの、誰なんでしょうね。迷惑ですよね』と罪悪感に訴えるとか」
「それは俺だ、なんだよ嫌味か? ってやっぱり逆ギレされないですかね」

「すいません、これも無責任な発言でしたね」そう言って花坂さんが苦笑する。だが、こうして答えを花坂さんに出してもらおうとしている自分が無責任だな、と胸が痛んだ。

「ちょっとトイレに行ってきます」

 花坂さんがトイレに席を立ち、図書室を出て行くのを見送ると、海老原少年が「花坂さんって格好いいよね」とうっとりした口調で言った。

「確かに、穏やかだし、学者っぽい感じがするね」

 おそらく、『裸の王様』を持ち出したのは、海老原くんや僕にわかりやすく伝える為だろう。

「そういえば、放っておくのも一つの手かもよ」
「王様が裸だって?」
「そっちじゃなくて、磯貝って人の話。実はさ、態度の悪い患者は夜中に連れて行かれちゃうって噂があるんだ。次の日の朝、ベッドからいなくなってることがあるんだって」

 それは、夜中に容体が急変してしまい、そのまま戻らなかったということではないだろうか。そのことを小学校三年生に伝えるのも憚られるので、そうだねと頷く。

「人間の腕が飛び出してる清掃カートが、夜中に運ばれていくのを見た人がいるらしいよ」
「それは怖い話じゃないか!」幽霊とかは苦手なんだよ、と首をぶんぶん振ると、海老原くんがけたけたと笑った。

 しばらくして花坂さんが戻ってくると、僕はこれから周りで起きていることを見なかったふりするようにババ抜きやら七並べやらを興じ、花坂さんが大人げなくお菓子を総取りすりし、お菓子を一つずつ分けてもらって談笑しながら食べ、「なんだか眠くなっきた」と大きく欠伸をして、本当に眠ってしまった海老原くんの自由さに苦笑しながら、解散することになった。

 海老原くんを病室まで送っていくという花坂さんと別れ、僕は五階にある自分の病室へ戻る。少女漫画の続きを読み、素直になれない主人公にやきもきしようかなと思って、ベッドのそばに置いてある筈の見舞いの品をまとめた紙袋を探して見たのだが、見つからない。

 病室から、僕の私物がなくなっていた。

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如月新一
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