「クビキリ」(初稿-5)
5
『森巣くんは信じても大丈夫だよね?』
僕の心の声ではない。瀬川さんからの着信だ。
小学校を後にし、思考の迷路に迷い込むように、町を彷徨っていたらスマートフォンに瀬川さんからの着信があった。
『違うな、森巣くんの知り合いって信じても大丈夫かな?』
絞り出された不安そうな声が、スピーカーから耳に届く。
「知り合い? どういうこと?」
「連絡があってね、森巣くんの知り合いが犬探しを手伝ってくれるらしくて。でね、賞金を五十万円にすれば、依頼として引き受けてくれるらしいんだけど」
「そんな、ひどい、弱みに付け込んで」
「成果報酬で、見つからなかったら一円も受け取らない、とは言ってくれているんだけど」
森巣のフォローをするように、瀬川さんが言葉を続ける。
『その知り合いって、平くんのことじゃないよね?』
「僕じゃないし、知らない人だよ。そんな話も聞いてない」
森巣は何をやっているんだ? 瀬川さんに何か言わなければ、と思っていたらいつのまにか通話は終了していた。どのような話の終わり方をしたのか思い出せないほど、混乱している。
僕に吐いた嘘に、突然登場した知り合い、頭の中で疑問が埋まっていく。本人に確認を取りたいけどSNSを含めて、森巣の連絡先を知らない。瀬川さんに尋ねようかとも思ったが、それは悪手に思えた。森巣に感づかれてはいけないのでは、と警戒し、手が止まる。
森巣を信用していいのか?
畳み掛けるように不安に襲われ、胸騒ぎが止まらない。
一体、何が起こっているのか、不安に心をかき乱されながら、闇雲に町を歩いていたら、森巣と別れた交差点に戻ってきていることに気がついた。
あの後、森巣は何かを見つけたのだろうか? 真相に近づき、その知り合いとやらに相談したのか? そう思いながら、歩を進める。それにしても、森巣の知り合いとは誰なのだろう。そんなことを考えていたら、あるものに目が止まり、足も止まった。
掲示板がある。そこには、町内のイベント情報や詐欺電話の注意喚起のポスターが掲示されていた。
あるけど、なかった。
掲示板はあるけど、瀬川さんの犬を探すチラシの掲示がされていなかった。
森巣はチラシを掲示しなかったのか?
森巣がこの道を通っていない? 見落とした? そんな考えが脳裏をよぎったが、打ち消す。別れてすぐの場所にある掲示板の存在に気づかないわけはない。
張り紙をして犬を探していない、つまり、犬がどこにいるのかわかった、ということなのではないだろうか。
やはり、森巣はあの場所で何かヒントを得たんだ。そう思って踵を返し、僕は事件が起きた袋小路に向かった。
歪んだガードレールのある道を進み、角を曲がる。そこは例の袋小路だ。左右には塀が立ち、奥にはコンクリートの壁がそびえている。
「森巣は何に気づいたんだ?」
だから僕も見つけるんだ、そう言い聞かせるように口にする。
僕だって、塀やコンクリートの壁は調べた。壁に仕掛けなんてものもない。
行き止まりの壁は無理、やっぱり左右の家のどちらかの塀に逃げ込んだとしか考えられない。吠えた声が聞こえなかったのは不思議だけど、その謎が解けなくても、居場所さえわかればいい。
確かめてみるしかない、か。
行き止まりの前でぐるぐると歩き回りながら、覚悟を決める。心臓がどんどん胸を打っているのがわかる。
ふっと息を吐き出し、ちらちらと周囲を確認してから右側のクリーム色の家の塀に手をかけ、人様の家を覗き込んだ。
小さな芝生の庭があり、プランターがいくつも並んでいた。プランターには名前のわからない観葉植物が育っている。そんな中、プランターの一つがひっくり返っているのが目に入った。
体重を支える腕が軋む。他にも見ておかなければ、と視線を巡らせる。奥には縁側がある。カーテンは閉まっているし、それ以外に、何か特別なものはなさそうだ。
降りて、今度は反対側の塀に向かう。不審者だ、まるで自分が事件の犯人みたいだな。罪悪感を払拭するように冷や汗を拭い、塀に手をかける。
地面を蹴り、覗き込む。
が、慌てて手を離す。どしん、と地面に尻もちをつき、じんじんと痛みが広がった。
見つかった! と思った瞬間、
「ワンワンワンワンワンワン!」
と犬の鳴き声が塀の向こう側から聞こえてきた。
小さな庭があるのは右の家と同じだった。だけど、こちら側には犬小屋があり、そこに伏せている大きな毛玉のような犬がいた。僕を見た途端に「仕事だ仕事だ!」と立ち上がり、吠え続けている。
もしや、と思って袋小路を出て表札を確認する。そこには、セールスお断り・猛犬注意というプレートがついていた。森巣はこれを見つけていたのかもしれない。
左の塀を超えても、犬に吠えられて見つかってしまう。
消去法で考えると、犯人は右の家に逃げ込んだんだ。だとすると、この右の家の住人が犯人の可能性もある。瀬川さんが探しに来ても、居留守を決めればその場ではバレないし、後日訪ねて来られても白を切れば良い。
犬の鳴き声が聞こえなかった問題は解決されていないけど、瀬川さんが追いかけるまでの時間がかかっていれば、仕方のないことかもしれない。
一度、一連の動きの検証をしてみよう。
瀬川さんから教わった通り、角を十メートルくらい離れ、瀬川さんが突き飛ばされたポイントまで移動する。
まず、犯人から突き飛ばされて、リードごと犬を拐われる。僕は瀬川さんのつもりになって、地面に手をついてみた。
すぐに立ち上がれるだろうか? いや、しばらくは何が起こったかわからず、呆然としてしまうだろう。じっと曲がり角を見つめながら、人間は動揺するとどれくらいの間動けないのか、と逡巡する。
犯人の後ろ姿を思い浮かべ、走らせてみる。背中にXXXXのマークが入ったパーカーが遠ざかる。我に返るのは状況を把握してから、つまり犯人が視界から消えてから、はっとし、「追いかけなくては!」と思うのではないだろうか。
そろそろ立ち上がる頃かな、とじっと曲がり角を睨む。
「何しとるんだ?」
突然背後から声をかけられ、心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
振り返ると、目の前にキャラメル色の革靴と、皺の無いねずみ色のスラックスが見えた。視線を上げていくと、見覚えのある顔があり、訝しげに僕を見下ろしていた。
視線がぶつかったまま、なぜここに柳井先生がいるんだ? と固まり、そういえば瀬川さんとはご近所だと話していたなと思い出す。
慌てて立ち上がり、「瀬川さんの気持ちを考えていて」と弁解する。柳井先生の眉間の皺が深くなった。「話したじゃないですか、犬を探してるって」
「ああ、はいはい」
「正確には、事件の時の瀬川さんの気持ちを、考えていたんです。犬探しをしてるんですけど、犬が拐われたのってここらしいんですよ」
「ここなのか!?」
柳井先生が何か痕跡でも探すみたいに、視線を泳がせる。
「で、ですね、犬を拐われた瀬川さんは、どのくらい呆気にとられたのか、ちょっと考えてたんです」
「体を張るなあ。制服が汚れているぞ」
「先生を見てびっくりしました。実際自分が驚くと、体が固まって、どのくらい動けないのかよくわからないですね。結構長く感じたような。ありがとうございます」
「そうか、よくわかんが、俺が役に立てたなら良かったよ」
先生が苦笑しながら、手を伸ばしてくてれるので、掴んで立ち上がる。
「先生こそ、ここでなにしてるんですか? 帰りですか?」
「実は、瀬川の家に家庭訪問をしてきたんだ。俺のクラスの生徒だし、それにご近所の顔見知りだしな。お母さんも気落ちしていたなぁ。犬とは言え、家族がいなくなったんだから辛いよな」
柳井がポケットから折り畳んだ紙を取り出し、まじまじと眺める。マリンちゃん、可愛いですよね、と思いながら覗き込み、びっくりして、紙を先生からひったくった。
『発見に繋がる情報を提供してくれた方には五十万円をお支払いいたします』
三十万円が、五十万円になっている。森巣だ、きっと森巣の言葉を受けて、金額を上げたのだ。
「どうした、平」
柳井先生が僕を案じるように声をかける。チラシから顔を上げ、先生を見る。困ったよう様子だが、僕を安心させようと、笑顔を作ってみせてくれている。
「先生、僕−−」
瀬川さんの犬が拐われた一連の流れをもう一度整理する。瀬川が犬の鳴き声を覚えていないのなら、やはりこの家の住人が関係している可能性が高い。だが、それだけじゃない。
そして消えた犯人に関して、一つの推論が思い浮かんだ。
自分で思いついておきながら、ぞっとし、困惑した。
支えを求めるような気持ちで、柳井に相談をもちかける。
「クビキリの犯人がわかりました。聞いてもらえませんか?」
つづく