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「クビキリ」(初稿-3)

       3

 瀬川さんと僕は二年になって同じクラスになり、知り合った。

 髪は肩に届かない程度に切りそろえられ、前髪はヘアピンで留め、制服も着崩さず、知的な雰囲気の赤いチタンフレームの眼鏡をかけていて、委員長然としている。かといってお堅い雰囲気はなく、笑顔が素敵だし優しい雰囲気を醸し出しているので話しかけやすい。

「瀬川さんごめん、ちょっとこの英訳の相談をしたいんだけど」
「いいよ、どこ? あぁ、ここね、わたしも悩んだんだ」
「今日、授業で当てられる気がしてて、助かるよ」
「いいよ、平くんいつもプリントの回収手伝ってくれるし」
「それくらいしかできないんだけれど」

 という具合に、僕は席が近いということもあり、瀬川さんに勉強の相談をしている。そして僕の後ろに相談の列ができていたりもする。
 瀬川さんは普段物静かで、活発な元気で明るい女の子というタイプではない。だけど、この数日は笑顔がないので気になっていた。今日も寝不足なのか、疲れた顔をし、目も充血気味だった。

「森巣くんも手伝ってくれるの?」

 隣に座る瀬川さんが驚いた様子で口にする。暗かった表情に、ぽっと明かりが灯るようだった。

「そうしようと思って、平について来ちゃった」
「でも、どうして?」

 どうして手伝ってくれるのかと、僕と森巣の組み合わせも気になるのだろう。喜びと戸惑いの浮かんだ表情で僕と森巣を交互に見る。

「平風に言うと、困っている人を放っておけないから、だよ」
「僕、そんなこと言った?」
「キリッとした顔で言ってたよ」
「ち、茶化さないでよ」

 森巣が言うと、なんだかご立派なことを言っているように感じて恥ずかしい。

「僕には妹がいてさ、よく世話をするんだ。人助けはその癖、みたいなものだよ」
「なるほどね。まあ、俺も妹想いのお兄ちゃんと同じだよ。まあ、俺も瀬川の役に立ちたくてさ。犬探しなら、頭数は多い方がいいだろう? それとも、迷惑?」
「そんな迷惑なんて、とんでもないよ!」

 瀬川さんが森巣の言葉をかき消すように、両手を振る。

「三人寄れば文殊の知恵。森巣が加わってくれて僕も嬉しいよ」
「三人目の俺は、何か閃かないとってプレッシャーを感じるなぁ」

 森巣が苦笑し、僕はそんなつもりでは、とあわあわする。すると店員のお姉さんがやって来て、

「いらっしゃい。あら、今日は男の子が二人も。両手に花、潔子ちゃん、意外とやるわね」

 と瀬川さんに親しげな口調で声をかけた。
 瀬川さんが顔を赤くし、「三田村《みたむら》さん!」と声をあげる。

「優しそうな彼か、イケメンの彼か。安心かスリルか、迷うわねぇ」
「ちょっと、からわかわないでよ!」
「冗談よ。いいわねえ、高校生。青春。で、本命はどっち?」
「もうお店に来ないよ!?」
「それは困るわ。大事なお客様だし」
「大事なお客様なら大事にしてってば」

 三田村さんと呼ばれたお姉さんが「ごめんごめん」とけらけら笑う。「もう!」とむくれる瀬川さんは、学校では見せない幼さがあった。タメ口だし、狼狽する瀬川さんは初めてで、意外な一面を見た気がした。学校とプライベートでは瀬川さんも違う顔をするのだなあ、とぼんやり思う。二人は昔からの知り合いで、三田村さんにとって瀬川さんは妹のようなものなのだろうか。

「注文は?」
「今日はレモネードで」
「かしこまりました。あ、ねえあのケーキ、美紀《みき》ちゃんに喜んでもらえた?」
「……ええ、はい」
「良かったぁ。作るのがんばった甲斐があったわ。お誕生日おめでとーって伝えておいて」

 そう言いながら三田村さんはカウンターの奥に帰って行った。瀬川さんが、堪えていたものを吐き出すように、ふーっと息をして、かぶりを振る。

「お母さんのお友達の娘さんなの。わたしのお姉さんみたいな存在というか」

 説明を求めていないけど、身内の不祥事を弁解をするように、瀬川さんが説明を始めた。

「小さい頃からわたしのことを知ってるから、いつまでも子供扱いで」
「子どもの頃のことを知られてるのは、弱みを握られているような感じがするよね。俺もよくわかるよ」

 慰めているというよりも、心から同情しているような口ぶりだった。「森巣は別に困らないんじゃないの?」と反射的に口にする。美談こそあれ、弱みはなさそうな気がした。

「あるよ」「どんな」「そりゃ言えないよ」「それもそうか」

 瀬川さんのレモネードが運ばれて来て、僕たちは話題を「犬探し」に戻す。

「そうだ、学校に関係ない掲示物はよくないって言われたけど、柳井先生に事情を話したら、ちょっとかけてあってくれるって。瀬川さんの方はどう?」

「家に寄ってから来たんだけど、自治会の人にお母さんが確認を取ってくれてて、掲示の許可をもらったって。これから張りに行こうと思う」
「そう言えば瀬川、警察にはもう行ったの?」
「うん。でも、あんまり期待はできないかもって言われちゃった、やんわりとだけど」

 やんわりと、でもそんなことは言わずに、優しい言葉をかけてあげればいいのに、と思ってしまう。後から「あのとき助けると言ったじゃないですか!」と責められたくないからだろうか。

「だから、犬に懸賞金もかけることになったの」
「懸賞金!?」

 初耳だった。昨日までそんな話はでていなかったのに。

「ちなみに、いくら?」

 森巣が訊ねると、瀬川さんがスクールバッグから、チラシの束を取り出して机の上に置いた。『名前はマリン。ミニチュアブルテリア。二歳、メス』という新たな文言が加わっていた。

『発見に繋がる情報を提供してくれた方には三十万円をお支払いいたします』
「三十万」

 思わず、口からこぼれる。
 その金額を僕はどう捉えたらいいかわからなかった。お金が絡むと、なんだか嫌な感じがする。

「……お金をかけるのは、なんかちょっと、違くないかな?」
「マリンは家族だし、なんとしても見つけたいってお父さんが言ってて。それに見つけた人にもちゃんとお礼がしたいからって」
「でも、三十万円がマリンちゃんの値段ってわけじゃないでしょ?」
「もちろん、そういう意味じゃないよ! すぐに用意できる金額をお父さんとお母さんが話して決めたから」

 瀬川さんが、沈痛な表情でうつむくのを見て、はっとする。僕が瀬川さんを追い詰めてどうするのだ、と反省した。

「平、お金は力の一つだよ。お金でものを買うこともできるし、人を動かすこともできる。持っている力を使わないのは怠慢だと思うね」

 そう、なのだろうか。でも僕はお金で動いているわけじゃない。反論しようと思って森巣を見ると、にこりと微笑まれた。

「大切なのは犬が見つかること、そうだろ?」
「それは、僕もそう思うよ!」
「じゃあ、できることをやってみよう。三人揃ったわけだし、ね」

 森巣が鼓舞するように言った。僕らなら、お金をかけずに力を合わせて見つけられるかもしれない。

「じゃあ、瀬川がそれを飲み終わったら、行ってみよう。その犬が拐われた場所に」

 瀬川さんが慌てた様子でストローを咥えると、ストローの中をぐんぐんとレモネードが上昇していった。三人のやる気メーターが上がっていくように思える。


 店を出て、瀬川さんに先導してもらいながら現場へ向かう。本当は辛い記憶が蘇るかもしれないから、瀬川さんに案内してもらうのは気が引けた。僕が一人で案内できれば良かったのだが、道までは覚えていなかった。

 急勾配の道が続くなぁとぼんやり思いながら歩く。今は下りだからいいけど、例えば自転車でここを上るのは辛いだろう。でも、ここは高級な住宅地だ。周りの家はどれも大きくて、門や庭もある。このあたりに住む人は電動アシスト付きの高い自転車に乗るから、坂なんて関係ないのかもしれない。
 やっぱり瀬川さんの家もお金持ちなのだろうなぁ、とぼんやり思う。

 でも、お金があるから幸せというわけではない。飼っている犬がいなくなった、辛く寂しい日々はお金ですぐには解決できない。
 君は今、どこにいるんだ? そう思いながらチラシにプリントされた写真を見る。 

 ミニチュアブルテリア、のっぺりとした愛嬌のある顔立ちをしている犬だ。真っ白で短い体毛は滑らかそうで、左目周辺の染みのような黒い毛がチャーミングだった。

「なるほど、青いからマリンなんだね」
「そうなの!」

 瀬川さんが「よく気付いたね」と僕を見直すように、わずかに目を見開いた。

「青い?」と森巣が尋ねてくるので、「ほらここ」と言って犬の右目を指差す。左目は黒いが、右目だけ淡くブルーがかっている。どこか神秘的で、宝石でも嵌めているみたいだな、と思った。「本当だ」と森巣も感心するように言った。

「本当は写真よりもずっと綺麗なんだよ」
「二歳って書いてあるけど、瀬川さんは子犬の頃から飼ってるの?」
「うん。小学生の妹がトイレと散歩は自分がするからって誕生日にごねて。お父さんとお母さんは、難しい顔をしたんだけど、『お姉ちゃん、一緒にお願いして』って美紀に頼まれて」

 瀬川さんはそう言って、レモネードを一口飲むと、「弱いの、妹に」と優しく微笑んだ。

「それでわたしも説得したの。一緒にお世話をするからって」
「妹の頼みかあ、僕も妹の為だったらなんでもするなあ」
「平の妹っていくつ?」
「三つ違いの中二。可愛いんだけど、人見知りでね。二人にも紹介したいよ。あっでも、森巣はダメかな」
「おいおい、なんでさ?」

 妹に彼氏ができたら嫌だから、とは言えない。

「妹に彼氏ができたら嫌だから?」

 瀬川さんに指摘され、図星です、と渋々頷く。森巣が「大丈夫だよ、お兄ちゃんから取ったりしないよ」と愉快そうに笑った。「そういえば、瀬川の妹、誕生日だったの?」

「え? なんで?」
「さっきのお店で三田村さんとケーキの話してたからさ」
「ああ、うん。実は、犬が拐われた日、妹の誕生日だったの。せっかく妹の為に作ってもらったんだけど、事件のせいでケーキは誰も食べてないんだよね。三田村さんに申し訳ないことしちゃったな」
「そんな、瀬川さんが申し訳ないと思うことないよ。悪いのは犯人なんだから!」

 そうだね、と瀬川さんが力なく頷く。自分を責めることないよと伝えても、責任感が強いから、どうしてもそう思い込んでしまうのだろう。

「その事件があった日は瀬川が散歩当番だったの?」
「というか実は、ほぼ毎日わたしが散歩してるの。妹は家では可愛がるんだけど」
「妹ちゃん、散歩が面倒臭くなっちゃったんだね」
「うちの家厳しいから、わたしも約束したんだから、ちゃんと行きなさいって」
「連帯保証人の苦しみかぁ」と森巣が苦笑する。

 学校に行き、授業を受け、クラスで委員長の仕事もして、帰宅してからは犬の散歩もちゃんとする。「すごいなぁ、真面目だなぁ」と、思わず口からこぼれる。

「そんなことないよ。学校の用事があれば家族に代わってもらうし」

 既に、散歩を自分の役割だと思い、代わってもらうという回路になっているらしい。

「そう言えば、瀬川は二年になっても委員長やってるんだってね」
「自分じゃ向いてないと思うんだけどね」  
「いや、去年のクラス、瀬川のおかげでまとまっていたから」
「そ、そんなことないよ! いつもわたしはてんぱっちゃうけど、森巣くんに助けてもらってるから、なんとかなってたし。森巣くんが一声かけたら、みんな話を聞いてくれるし、意見もばんばん出してくれたじゃない」

 森巣が声をあげ、クラスに話しやすい雰囲気を作る光景は容易に想像できた。僕は森巣のように積極的に発言ができておらず、貢献できていないなぁと省みる。

「瀬川が一生懸命だから、みんなが協力しようって動かされてるんだよ。俺を動かしてるのだって、瀬川だったんだから」
「……そうなら、嬉しいな」

 森巣の励ましを受け、瀬川さんが頬を赤らめてはにかんだ。

 正しい行動をすると、正しい人がついてくるものなのだな。やりとりをする瀬川さんと森巣を見ながら、僕は去年のクラスのことを思い出していた。

 去年のクラスは賑やかな生徒が多く、その場のノリで意見が変わったり、それはやりたくないと譲らない生徒が出たりして、いつまでも話し合いがまとまらなかった。

「僕は決まる前から、委員長を瀬川さんがやってくれたらいいなあと思ってたんだ」
「瀬川が真面目そうだから?」
「いや、忘れ物をした生徒に文具を貸しいるところとか、当番じゃないのに板書を消しているところとか、先生からプリントの回収を任されているのを見てたから。投げやりな人じゃなくて、気を配れる人にやってもらいたかったんだよ。しっかりとHRも仕切れているし、瀬川さんはすごいよ」

 日頃の感謝も伝えたくて、思わず言葉に熱がこもった。

「平はよく見てるなあ。それとも、見惚れてたのかな?」

 森巣がからかう口調で言ってくるので、「そ、そういうわけでは」と弁解する。

「サッカー部の遠藤くんは人気者だけど、忘れ物が多いし、バドミントン部の矢野さんもリーダーシップはあるけど、よく陰口を言ってるからさ」
「平くん、本当によく見てるね」

 と瀬川さんが素直に感心するように口にしてくれたが、褒められたものではないよ、とこれまた訂正をする。

「僕はいつも見ているだけだよ。積極的に発言をできるわけじゃないし、みんなをまとめることもできない。でも、だけだったからこそ、なのかな」
「だからこそ?」
「瀬川さんはいつも頑張っているし、瀬川さんが困っているなら今度は僕が助けになれたらなって。僕は委員会をやってないし、部活も週一だしね、時間もある」
「平は何部なの?」
「音楽部。ギターを弾いてるんだ」
「へー、ギターか、なんか意外だな」

 確かに、ギターと聞くと強気なイメージがするだろう。僕っぽくないよな、とは自分でも思う。

「好きなんだよ。ギターの音が。子供の頃から弾いる、ただの趣味だね。でも、曲を作ったりするのは楽しいんだ」
「作曲もするの!? すごいじゃないか」

 いや、そんな大したことじゃないよ、かいかぶりはよくないよ、と塞きとめるように手を向ける。

「ねえねえ、そういえば、平くんと森巣くんはどういう組み合わせなの?」

 森巣が僕のことを知らないので、瀬川さんは「おや」と思ったのだろう。親しいわけではないの? と。どういう関係なのか? と問われると、一緒に職員室にいた、くらいのものだ。
 だけど、森巣は即答した。

「友達だよ」

 取り繕っただけなのかもしれないが、「友達」と言ってもらえたことが嬉しかった。じーんと胸に言葉が響くようだ。瀬川さんからも信頼を受けているようだし、森巣は人たらしだなあ、としみじみ思う。

 話をしながら歩いていたら、見覚えのある場所にやってきた。ちらりと様子を伺うと、瀬川さんの表情が沈んでいる。

 間違いない、ここはもう、事件現場だ。
 何か声でもかけようかと思った矢先に、瀬川さんが立ち止まった。

「ここなの」

 一車線の道路で、両端には白線が引かれている。両サイドには、高い塀や植え込みのある一軒家が並んでいた。
 瀬川さんが、

「マリンとここを歩いてたら」

 と一歩ずつ歩き出す。
 事件当日のリプレイを見ているようで、胸騒ぎがする。

「そしたら、突然後ろから誰かに突き飛ばされて、私は倒れたの。犯人は、わたしが離したリードとマリンを抱えて、あっちに走って行って、わたしも慌てて追いかけたの」

 瀬川さんの歩調が早くなり、それに合わせて、緊張感が高まる。僕と森巣は無言で、瀬川さんの後をついて歩く。
 十メートルほど進み、曲がり角で瀬川さんが立ち止まった。

「それで、この先に犯人は逃げたんだけど……」

 森巣と共に角を曲がる。森巣が立ち止まり、驚いた様子で息を呑んだのがわかる。
 そこで待ち受けていたのは壁だった。
 三メートル以上の高さはあるだろうコンクリートの壁がそびえ、その上に家が建っている。

「曲がったら、誰もいなかったの」

つづく

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