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第10話「俺は暴力が嫌いだ。ああ、嫌だ嫌だ」

「ああ、ごめんね」とつい反射的に謝る。

 が、天宮先輩は「違うでしょ」と声をかけた。

「今、あなたがよそ見をして、ぶつかったんじゃない?」

 女の子と天宮先輩が、お互いに視線をそらすことなく、じっと見つめ合う。僕はおろおろしながら、二人の間で視線を泳がせていると、女の子が「確かにそうかも。ごめんなさい」と僕に頭を下げた。

「あぁ、いや、全然」
「あなた、いい目をしてるじゃない」と少女が天宮先輩を見上げて、腕を組んだ。「ありがとう」と天宮先輩がにこりと微笑む。

「ねえ、ちょっと、この学校広すぎて困ってるんですけど」
「迷子ってことかしら?」
「子供扱いをされるのは、むかつくんですけど」
「でも、迷ってはいるんだね」

 僕が訊ねると、女の子は悪びれた様子もなく、大きく頷いた。

「お腹も減ったし、お兄ちゃんも見つからないし」
「お兄ちゃんと待ち合わせとかはしてないの?」
「来るなって言われたけど、勝手に来たの。お兄ちゃんは三年生」

「お名前は?」と天宮先輩が訊ねると、「人に名前を訊ねるときは、自分から言うものですけど」と少女が口を尖らせた。

「ごめんなさい。私は天宮静香。こっちの彼は、狭間守男くん。あなたは?」
「百目木美夏《どうめきみか》。お互い、格好いい名前ね」

美夏ちゃんが唇の端を上げ、「でも、守男はいもっぽいね」と僕をじっと見た。自分でもそう思うよ、と頷く。

「天宮先輩、百目木さんって知ってますか?」
「珍しい苗字だから、名前だけ。でも、何組かは知らないなあ」
「天宮先輩、大変申し訳ないんですけど」
「ああ、ボディガードより、その子を優先していいわよ」
「いえ、ボディガードしつつ委員会の巡回もしつつ、この子をお兄ちゃんのところまで連れて行ってもいいでしょうか?」

 天宮先輩が、呆れた様子で、目と口を開く。「狭間くんって」

「はい」
「仕方がない人ね」

 たい焼きとフルーツポンチを両手に持った少女と学校一の美女と共に、校内を歩き回る。

「お兄さん、何をやるかって聞いてない?」
「ハートのキングとコンテストとか色々やってるみたい」
「文化祭実行委員会なのかな。でも、聞いたことがない」
「クラスでは、タピオカジュースを売って、売り上げ一位を獲るつもりだって言ってた」
「あっ、じゃあ、三年一組だ」
「え、狭間くん覚えてるの?」
「一応訊かれて答えられるように、全部の企画を覚えました」

「狭間くんは真面目だねぇ」やや呆れられ、「知っているなら案内してほしいんですけど」とせっつかれ、三年一組の教室に向かった。

 入ってすぐ「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた男子生徒に、「あの、百目木さんっていませんか?」と訊ねる。

 すると彼は表情を強張らせ、まじまじと僕ら三人を見つめた。

「お前ら、百目木の知り合いなわけ?」
「知り合いではないですけど、妹さんが来てまして」

 美夏ちゃんを紹介する。

「お兄ちゃん探してるんですけど」
「あぁ、えぇっと、さっき来たんだけどいなくなっちゃったんだよね」
「どういうことですか?」
「いやね、迷惑な団体が来てさぁ、女子に絡んでたわけ。そこにちょうど百目木がふらっと入って来て――それで、そいつらとどこかに行っちゃってさぁ」

 なるほど、と相槌を打つ。そういうときこそ、風紀委員の役目なのだが、百目木さんが心配だ。絡まれているのなら、助けなければならない。

 美夏ちゃんをここに預けてしまおうかとも思ったのだが、子どもにとって、高校生はえらく大人に見えるだろうし、知らない人たちの中に一人で残されるのは、なんだか可哀想な気もする。

 美夏ちゃんがそっと手を繋いできた。軽く握り返すと、そっと顔を上げてこちらを見た。「探しに行こうか」

 教室を出て、廊下の脇にあった扉を開けて外階段へと出る。

「天宮先輩の劇、何時からでしたっけ?」
「午前中のは十一時で終わったから、午後は一時と二時と三時の三回」
「午前は一回だけなんですね」
「文化祭に来たっていう雰囲気を味わいたい人は、すぐに来てくれないでしょ。だから、午前中は宣伝に力を入れて、午後から上演した方が、人は来てくれると思うの」

 成績が良いのとは別に、頭の良い人だなぁと感心してしまう。

 そんな話をしていたら、

「すいません! 本当にすいません!」

 と痛みに耐えるような、そんな大きな声が耳に飛び込んで来た。天宮先輩と顔を見合わせる。美夏ちゃんを天宮先輩に預け、僕は声のした方、校舎裏へと飛び出した。

 文化祭の賑わいとは対照的に、殺風景な校舎裏に男たちがいた。

 ピンクのパーカーを着た男がフェンスのそばで倒れ、紫のパーカーを着た男が、背の高いうちの男子に襟を締め上げられていた。

 来校者が暴力を振るわれている。パチンと頭の中でスイッチが入った。

「何してるんだ!」

 地面を蹴ると、髪をオールバックに撫で付けた、百九十センチはありそうなガタイの良い生徒が振り返った。眼光が鋭く、射すくめられそうになる。

 長身男は紫パーカーをフェンスに向かって放り投げると、僕の方を向いた。攻撃を誘おうと、相手の間合いに踏み込む。長身男が左手を伸ばしてくる。同時に、僕は地面を蹴る。左手で男の左手を払いのけ、右手の甲を男の顎に叩きつけようと振り上げた。

 顎に一発入れた。

 勝負あった。

 そう思ったのは僕だけだった。

「俺は暴力が嫌いだ。ああ、嫌だ嫌だ」

 長身男が唇の端を上げ、僕の襟首を掴むと、右腕を振り上げた。次にくるパンチを受け止めようと、僕も身構える。

 が、お返しの一発はこなかった。長身男は、怪訝な顔をして、僕の後ろを見ている。

「美夏、お前ここで何してるんだ?」

 振り返ると、そこには心配そうな顔をしている天宮先輩と、怒った顔をしている美夏ちゃんの姿があった。

「お兄ちゃんを探してたんですけど」

「どうして」

「お兄ちゃん、最近遊んでくれないから。それにその人はお兄ちゃん探しを手伝ってくれた人だから、意地悪するのやめてほしいんですけど」

 美夏ちゃんにそう言われ、長身男が怪訝な表情をしながら僕を離した。

起き上がり、こそこそ退散しようとしているパーカー男たちの方を振り返る。

「二度とうちの店に来るんじゃねえぞ!」

 どすんと腹に響くような声だった。

美夏ちゃんが探しているお兄さんが長身男で、彼は迷惑な客を教室から外に出していたのか、と把握した。

勢いよく駆け出した美夏ちゃんが、百目木さんの足に抱きつく。

「僕は風紀委員です。何があったんですか?」

「やかましい客がいた。だから、注意をした。お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、声のトーンを落としてください、と丁寧な言葉でゆっくりと説明してやったわけだ。そうしたら、どうだ、あの馬鹿どもはお客様は神様だと言い始めた。それで俺も少し怒った。馬鹿に馬鹿にされることほど、腹が立つことはないからな。それで、わかりましたから一緒にここに来てくださいって交渉をしていたわけだ。俺は努めて冷静に話をしようと思っていた。だが、あの馬鹿どもは話をしようと言ったのに、胸倉を掴んできやがった。で、ああなった。どうして人は暴力をふるうんだろうな」

 困惑していると、「それは」と天宮先輩が口を開いた。

「人間が体裁を守ろうとする生き物だからじゃないかしら。恥をかきたくないし、面子を守りたい、威厳とか地位とか優越感を欲しがるからだとわたしは思うわ」

 天宮先輩が、堂々とした口調でそう言った。怯む様子もなく、長身男を見据えている。

「お前、名前は?」
「人に名前を訊ねるときは、自分から名乗るものよ」
「その通りだな。俺は三年の百目木夏樹《どうめきなつき》だ」

 二人がなぜか剣呑な雰囲気になっているので、僕は「ええっと」と割って入る。

「それじゃあ、百目木さん、美夏ちゃんをよろしくお願いします」

 百目木さんが美夏ちゃんの頭を撫ぜながら、視線を僕に向ける。

「世話になったな。何か困ったことがあったら呼んでくれ」
「困ったことがあったら、風紀委員を頼って下さいよ」

 百目木さんは僕を無視してポケットから手帳を取り出し、ペンを走らせるとそれを千切って僕に渡した。簡潔に電話番号だけが書かれている。

「しかしお前、危ないから来るなと言っていただろうに」
「危ないのはお兄ちゃんなんですけど」

 兄妹のやりとりを見ながら、ほっとし、「僕らも戻りましょうか」と天宮先輩のクラスへ戻ることにした。

 三年生は、強烈な人がいるようだ。やっぱり同じ敷地の中でも上級生の校舎はまた違う雰囲気がある。大人、ともまた違う、年上の能力を見せつけられているような気持ちだ。

 教室に戻ると、すでに廊下に人だかりができていた。何事か、と身構えていると、廊下に立っている朝倉先輩が顔を出し、「おかえり」と僕らを出迎えた。

「どうしたんですか?」

 何かあったのだろうか、と不安になる。

「開演待ちだよ。昨日のリハーサルも、午前中の評判も良かったしな。口コミってやつだ」

 そんなあっという間に? と疑問を抱くが、「お待たせしました」と声をかけると、人だかりがいっせいに彼女に注目した。

 天宮静香が進めば、注目が生まれ、人は割れてそこに道が生まれる。

 教室の中に入っていく、その背中を見ながら、僕は彼女に対して何故か違和感を覚えていた。

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