第41話「ハートのキングを終わらせるため」
キング14
教室の扉を開ける。電気はついておらず、ただ淡い夕闇が窓の向こうから漏れてくるだけだ。窓の傍に一人、小南は立っていた。俺が来ることはわかっていたとでも言うのか、振り返りもせず、校庭を眺めている。
「祭りは終わりだ。明日からは後片付けと、いつもと同じ毎日が始まる」
小南の隣に移動し、話しかける。小南は俺を見ることなく、窓の外を眺めている。
放課後は自由解散となったが、残って後夜祭に参加する生徒は多い。グラウンドに人が集まり、談笑をしたり、音楽に合わせてフォークダンスをしている。
「キャンプファイヤーってないんだね」
「条例で禁止なんじゃないのか?」
「フォークダンスには出たかったな」
そう言って、小南は窓から視線を外して俺を見た。どんな顔をしているだろう、と思っていたが、思いのほかさっぱりした顔をしていた。
「公ちゃん、振られたから慰めて欲しいわけじゃないでしょ?」
「振られるのは計画通りだ。手順は違ったけどな」
「どういうこと?」
「天宮静香に、俺の告白を受け入れてから、すぐに俺を振れと伝えたんだ」
小南が俺の思惑を察した様子で、小さく笑みを浮かべる。
「ハートのキングを終わらせるため?」
「ハートのキングを終わらせるためだ」
声がはもり、俺は苦笑する。
「ハートのキングはただのカードだ。落合と野茂の代より前にハートのキングなんてイベントはなかった。伝統ある行事なんかじゃない」
確かに、野茂は「あたしたちから始まった伝統」と言っていた。そんなものに、呪いの力なんてあるわけがない。
「それで、公ちゃんはここに何をしに来たの?」
「祭りが終わるにはまだ早いだろ? ラストダンスをしに来たんだ」
「気取ったお誘いだね」
悪戯な笑みを浮かべ、小南が机の中からトランプの箱を取り出した。前の座席を引き、そこに座る。
小南がトランプを切る乾いた音が教室に響く。小南とこうして遊ぶのは何年振りだろうか。
「小学校五年十二月二十四日の時、わたしの家でやって以来よ。二人でトランプするのは」
「俺が考えてることがわかるのか?」
「わかるよ」
「じゃあ俺がこれから話すこともわかるな?」
「確かめてあげるから言ってみて」
結局言わないんじゃないかと苦笑し、俺は口を開く。
「小南が文化祭をループしていると言い出して、俺はそれを信じた。が、それは間違いだった。お前はループなんてしていない」
「ちゃんと証拠を見せたじゃない」
「ジュースをこぼしたのも、人がぶつかったのも、俺の買ったサイダーだけ噴き出たのも、簡単なことだった。仕込んだんだ」
「どうやって? わたしが超能力でも使ったって言うの?」
「いいや、小南はなにもしていない。やったのは、演劇部の連中だ。全員、演じていたんだよ」
そう、これこそが小南にまつわる事件の真実だ。
小南はループなんてしていない。みんなでグルになり、俺を騙していたのだ。
「サイダーは? 公ちゃんが自分で選んだじゃない」
「あれは俺が選んだものじゃない。俺が選んで渡して、瓶を拭くふりをして振ってあったやつを俺に渡したんだ。他にもある。今日の昼、落合久二と野茂桃子が来て放送をしたとき、急にいなくなったな。あれはなんでだ?」
「そばにいたよ? 見えなくなっていたみたいだけど」
「違うな。想定外のことが起きたからだろ? 絶対に起こるイベントを知らなかったとなると、俺が小南を疑う。悟られない為に逃げたんだ。ちょうど演劇部が使ってる教室があったから、そこに隠れたんだろ」
「証拠は?」
「ない。だけどこれはどうせ、田淵の計画だろ。大勢の人間が関わる以上、そのうちボロが出る。あいつが言っていた大型新人ってお前のことか」
小南が悪戯がばれたみたいに、楽しそうに笑う。
「昨日、俺が贋作を作ろうとしなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「公ちゃんは贋作を作ろうとするってわかっていたよ。臆病なところがあるから、きっと保身に走る。それに、一度失敗してもらった方が、わたしたちの結びつきが強くなるって田淵さんも言ってたの。計画通りだったかな」
よくそこまで、俺の行動を予測した筋書きを書けたものだな。と呆れるやら感心するやらだった。
「ちなみに、なんでこんなことをしたのかはわかった?」
「――どうだろうな」
俺と小南にカードが配られる。「ババ抜きしよう」と言われ、俺はそれに応じた。
ペアになっているカードをどんどん捨てて行く。二人だけだから、手元のカードはすぐに三枚だけになった。
「人生って選択の連続だと思うの」
一番右のダイヤのエースを小南は抜き取った。ペアになり、机に置かれる。
「その日一日をどう過ごすのか。何を食べるのか。何をするのか。誰といるのか。わたしたちは無数にある選択肢の中から、自分で選択してここにいる」
「大袈裟だな」
「ううん。全然大袈裟なんかじゃないよ。電車一本違うだけで、曲がり角一つ違うだけで、ジャンケンで何を出すか違うだけで、変わることがあると思うの」
「なんだ、それは」
「出会い」
どういうことか、と小南を見て説明を待つ。
「わたしたちは、無限の中にある選択肢の中から奇跡的に出会って、選んで、こうして一緒にトランプをしている」
「俺とトランプをするなんて、特別でもなんでもないぞ」
「ううん、特別なんだよ。わたしにとってはね」
「わたしは、公ちゃんに選んでもらいたかった。文化祭で一緒にお化け屋敷に入る相手に。屋台を冷やかす相手に。絵画の展示を見て回る相手に。生演奏を聴く相手に。フォークダンスだってしたかった」
「あと、ハートのキングの相手に、か?」
カードを抜き取る。ハートのキングとスペードのキングが被り、墓場にカードを捨てる。
「そして、明日からも一緒にいる相手に選んでもらいたかったの」
ここまで言われて察することができないほど、俺は鈍くはない。
小南が俺のことをそんな風に思っていたとは知らず、固まってしまう。小南は俺の理解者で、俺が嫌いなことは知っているはずだ。大切な友人だと思っていた。なのに、と裏切られたような気もする。
「俺を恋人にしたいってことか」
「そう」
「今のままじゃダメなのか」
「手を繋ぎたいしキスだってしたいし、いつかそれ以上のこともするつもり」
「そうか」
「今回の荒療治は失敗しちゃったけど、ある意味は成功かな」
「ある意味?」
「高校生活の思い出ができたでしょ?」
「忘れはしないだろうな。けど、それもいつか、記憶の遠くに追いやられる」
「公ちゃんが知らないことを教えてあげる」
視線で訊ねる。
「あなたには、わたししかいない」
「自信家だな」
「自惚れじゃないよ。いつか公ちゃんから、君を離したくない、一生そばにいてほしいって言わせてみせる」
「そういうことを言ってて恥ずかしくならないか?」
「全然ならない」
手持ちのカードは残り一枚。俺は右のカードを選んだ。
ジョーカーだ。
そうわかった途端、小南は間髪入れずに手を伸ばし、俺が持っていたカードを抜きとった。おいそれはズルじゃないか、と視線を向ける。
小南は悪びれる様子もなく、さっぱりした顔で立ち上がった。
「それじゃあ公ちゃん、今日のところはジョーカーと踊ってね。公ちゃんが選んだ相手なんだから」
鞄を持って身を翻し、いつもと変わらぬ足取りで、後ろの扉に向かっていく。それを見送りながら、「小南」と呼び止めた。
急に、どっと不安の波に襲われる。口の中が乾いていく。天宮に告白をした、狭間のことを思い出す。
なんと勇気がいることを、彼は平然とやってのけたのだろうか。
この気持ちがなんなのか、俺にはまだわからない。
緊張する。口の中が乾き、笑いそうになる。何でこんなに怯えてしまうのだろうか。ごくりと、生唾を飲む。
小南の背中がいつもと違って見える。小さくて、消えてしまいそうで、まだだ、まだ、離れないで欲しい。
俺は、小南の企みを見破った。それでも、小南には負けた。
精一杯、自分の気持ちを伝えようと口を開く。
「また明日」
小南が立ち止まって振り返る。
柔らかく、それでいて俺の中にあるもやもやとした気持ちを吹き飛ばすような優しい顔をしていた。
「また明日」