強盗ヤギ(初稿ー6)
6
「空いていてよかったな」と森巣は店の隅の席に座った。
僕は店が空いていたことよりも、椅子に座り、足を休めることができることが嬉しかった。椅子は小学校の教室にあったような木製の椅子で、硬く、座り心地もよくはない。それでも、文句はなかった。
文句があるとすれば、森巣に、だ。
「空いているのは、すっかり夜だからだよ」僕は大きく溜息を吐き出し、足を投げ出すように伸ばす。じんわりと足の筋肉がほぐれていくようで、気持ちが良い。
「行儀が悪いぞ」
咎められ、むっとしつつ、確かに行儀が悪いなと省みる。右足と左足を、一本ずつ大仰に折り畳む。ちらり様子を窺うと、森巣は店内を見回していた。涼しい顔をし、疲れた様子が微塵もないのが悔しい。
放課後、すぐに森巣の行きつけの店に連れて行ってもらえるのだとばかり思っていた。
が、横浜駅で小此木さんから頼まれた油絵の具を買いに行ったり、森巣の「ちょっと寄りたいところがある」に付き合っていたら、すっかり日が暮れた。
本屋の各コーナーで検分するようにぱらぱらと立ち読みをし、手帳が見たいからと文房具屋に寄り、レンタルビデオショップで映画をチェックし、何を探しているのか知らないけれど、生活雑貨店をうろうろとしていた。迷路のような地下街を歩き回り、ショッピングモールをはしごした。
「あと、どのくらいかかるわけ?」
「もう少しだ」
「さっきもそう言ってなかった?」
「もう少しだ」
「もう少しってどのくらいなの?」
「もう少しだ」
薄々感づいてはいたけど、全然もう少しではなかった。
ポケットからスマートフォンを取り出し、ホーム画面に表示されている時刻を確認すると、もう夜の八時を過ぎている。
学校を出たのが四時頃だから、森巣に付き合い、四時間弱を歩き回っていたことになる。歩き疲れたので、甘いものではなく、がっつり胃に溜まる何かを食べたいなあ、とお腹に手をやる。
でも、期待はできそうにないかあな、と店内を眺める。民家をいじって落ち着いたカフェにしましたという感じの簡素な作りをしている。カフェに来たというよりも、広く整然とした広いリビングがある家に来た、という感じだ。
少し離れた店の中ほどのテーブル席に赤いカーディガンを着た若い女性客がこちらに背を向けて座っている。入口近くの一人席に痩身でグレーのスーツを着た男性客がいた。仕事帰りで疲れているのか、顔色が悪い。パイをつついているが、もっと栄養のあるものを食べた方がいいと案じてしまう。
座席は二十席ほどあるけど、僕らの他にお客は二人だけだ。店が広すぎるような気もするし、客が少なすぎるような気もする。
店の中は焙煎されたコーヒーと仄かなバターの香りはするけど、肉が焼ける音や何かを煮込む匂いはしない。
「で、このお店は何が美味しいの?」
「さあな」
「初めて来るみたいな口ぶりだね」
「初めて来るからな」
森巣はさらりとそう言うと、テーブルの上に置かれたメニューをこちらに向けた。が、そちらを見ることなく、目を瞬かせて森巣の顔をまじまじと見てしまう。
「行きつけのお店じゃないわけ?」
「違うぞ。そんなこと言ってないだろ。けど、それになんの問題があるんだ?」
「……問題はないけど」
期待していていいんだよね、という釈然としない気持ちはあった。長い間連れまわされたのに、もしそれに見合うような食事ができなかったら、ちょっと怒ってもいい権利があると思う。
だが、どうしてわざわざこの店に? と疑問が浮かんだ。
横浜駅で用事を済ませた後、JRの石川町駅で下車し、元町に向かったときは心が浮き立った。元町の長い商店街は石畳で綺麗に舗装され、両脇には背が低く幅の狭いお店がちょこんちょこんと可愛らしく並んでいて、異国情緒がある。パリの街並みを彷彿とするような洋風で瀟洒なお店がたくさんあり、見ているだけでも楽しかった。
婦人服のお店が多いので、妹や母親を連れて来たら喜ぶだろうなあ、と考えながら歩いていたら、森巣が「こっちだ」と商店街の一本奥の路地へ、「こっちだ」と更に奥へと歩いて行った。言われるがままに進むと、お店がなくなり、閑散とした夜道になり、一軒家やアパートが並ぶ住宅地を進んでいた。
一体どこに行くつもりなんだろう、ときょろきょろ視線を泳がせながら進んでいたら、「ここだ」と森巣に呼び止められた。『OPEN』と書かれている立て看板に気づかなければ、古民家にしか見えないお店だった。知る人ぞ知る、という言葉がぴったりで、それは控えめというよりも地味という印象を受けた。
「ネットのローカルニュースのインタビュー記事曰く、会社に言われて早期退職をしたオーナーが、貯金と退職金で始めたらしい。カフェを開くのが夢だったそうだ。内装は地味だが、名前が『ル・セレクト』なのはセンスがいい。こだわりを感じられる」
「こだわりねえ」
店の名前が「選択」なのは陳腐に思えた。店内は整然としているが、ただ装飾品がないようにも見える。ただ、ギターが壁にかかっているのが目に入り、眉をひそめる。僕はギターが装飾品のように壁にかかっている店を見ると、ギターが磔刑にあっているように感じてしまう。ギターは弾いてあげてなんぼなのに。
スマートフォンを操作し、ネットで元町にある「ル・セレクト」というカフェの評判をチェックする。口コミサイトでヒットしたものを見つけると、レビューが二つだけで星は2だった。お世辞にも流行っている感じはしないし、半年前に書かれた「オープンしたようなので買い物帰りに寄りました。値段はやや高め。コーヒーは普通」とだけ書かれたレビューは、素朴なのか悪口なのか判然としない。
「グラニースミスを使ったアップルパイならあるはずだぞ。俺はそれを注文するけど、平はどうする?」
グラニースミス? と首を傾げてから、お昼休みに話をしていた青リンゴの種類だ! と思い出す。
「横浜にもグラニースミスを使ったアップルパイを出すチェーン店はあるが、個人で作っている店は少ないらしい」
テーブルの上に置かれたメニューを見ると、確かに【ケーキ】の項目に「青リンゴのアップルパイ」と書かれていた。
「どうしてそれを言ってくれないの?」
「今言っただろ?」そう言いながら、森巣がカウンターに向けて手を振る。
奥にはカウンターと厨房があり、そこに立っていたオーナーと思しき人が、僕らを見て嬉しそうに眉を上げながらやって来た。恰幅がよく、黒いエプロンがなんだか苦しそうに見える。
「ご注文はお決まりですか?」
「青リンゴのアップルパイとブレンドを二つ」
「かしこまりました」とオーナーが伝票にペンを走らせた。そのまま戻らず、立ち止まっているので、どうしたのだろうか? と顔を見上げると、遠慮がちな顔をしつつ、森巣の顔をちらちらと見ていた。察した様子で、森巣が「なんですか?」と愛想の良い顔をで訊ねる。
「あの、お客さん、もしかして……」