クビキリ(2稿-14)
14
詳しく話を聞こうと案内された柳井先生の家は、瀬川さんの家の近所にあるレンガ調をした外壁の、庭とガレージ付き一軒家だった。玄関には観葉植物が置かれ、来客を出迎える大きな油絵が掛かっている。
「どうした、平? ぼーっとつっ立って。ここは職員室じゃないから、遠慮しなくていいんだぞ」
柳井先生がずいずいと奥のリビングへ向かっていく。そうは言われても、他人の家、しかも先生の家にお邪魔することに緊張する。脱いだ革靴を丁寧に揃えて隅に寄せ、用意されたスリッパに履き替えて、おそるおそる柳井先生に続く。
廊下を抜け、天井の高い広々としたリビングに通された。
畳くらいの大きなテレビ、両脇に配置された筒状のスピーカー、座り心地がの良さそうな革張りのソファ、家電や家具が高そうなものばかりで、目を奪われる。それでも、服が雑に積まれた籠が目に入り、他の生徒には見せられないなぁとくすりと笑う。
「平、部屋を見て笑ったな? そこまで汚くないと思うが、人は滅多にこないからなぁ、油断をしていた。もう少し日頃から片付けておけば良かったよ」
「いや、僕の部屋よりはずっと綺麗ですよ」
「何がどこにあるか本人がわかっていればいいよな」オープンダイニングになっているキッチンに柳井先生が移動しており、「お茶でいいよな。パックで悪いけど」と声が飛んできた。
「ああ、気を使わせてしまってすいません」
「くつろげとは言わんが、リラックスしてくれ」
すぐに、マグカップが二つ乗ったトレイを持って柳井先生が戻ってきた。
「って、机の上も汚いな。すまんすまん」
柳井先生がそう言って、トレイを起き、テーブルの上に置かれた書類や文房具をまとめて端に寄せて、マグカップを置けるスペースを作ってくれた。
「学校でみんなには言わんでくれよ、先生の家は散らかってたとか」
「言いませんよ」
「もし喋るようなら--」
柳井先生が白い布テープを持って、ポーズをとる。僕はわざとらしく両手をあげてみせた。「絶対に言いません」
「よかった、口封じをしなきゃいけないところだった」
にっと柳井先生が白い歯を見せて笑い、文具コーナーにテープを置いてマグカップを手に取った。僕も差し出された青い花模様のマグカップを口に運ぶ。
ふわりとしたお茶の風味と共に、ハーブのような植物の香りが口の中に広がっていく。温かくて、落ち着く味をしていた。砂糖を入れてくれているのか、まろやかでごくりごくりと飲んでしまう。
「どうだ、口に合うか?」
向かいの席に座り、先生が尋ねる。僕は味を確かめるようにもう一口飲み、頷いた。
「美味しいです。ハーブティーですか?」
「カモミールティーだよ。心を落ち着ける効果があるから飲むといい」
へえ、あの花の? と思いながら口に含む。確かに、柔らかい風味で、口に含むだけで安心感を覚えた。「先生は一人暮らしなんですか?」
「ああ、両親は今頃ハワイで暮らしてるよ」
「ハワイですか!?」
「我が親ながら、悠々自適だよな。父親がパイロットでね。だからこの家も無駄に広いんだ。高校の教師じゃ、この家は買えないだろうなあ」
パイロットかぁ、通りで、と改めて家の中を見回してしまう。どこの国のものかわからない置物や調度品が目についていたので、柳井先生の趣味なのかなと思っていたところだ。
「そう言えば、平は進路どうするんだ? まだ調査票を提出していなかっただろう」
「……なんだか、書いてしまったらその通りになるような気がして、まだ書けてないんです」
「無難に経営学部とか法学部とか書く生徒が多いけど、平はそうしない。さてはやりたいことがあるんだな?」
さすが先生、といったところか、生徒の考えていることがよくわかっている。
「でもやりたいことは、できないですよ。家族に反対されるかもしれないし、期待を裏切るかもしれないし」
と言い淀む。で、本当は何をしたいんだ? と柳井先生に促される。カモミールティーの効果なのか、「実は」と口を開く。
「誰にも言っていないんですけど、ミュージシャンになりたいんです」
「意外だな、平はそういう派手なイメージがなかったが、そうだったのか。音楽部、だったもんな」
よく覚えていますね、と驚きつつ、相槌を打つ。
「家では一人でちまちまと作曲もしてるんですけどね」
「へえ、作曲ってどうやってやるんだ? 先生、楽器に詳しくないんだが」
柳井先生が興味深そうに尋ねてくる。大袈裟なものじゃないですよ、と僕は説明をする。
「ギターを触ってたらメロディが思い浮かんだり、コードをつなげたりって感じです。ポール・マッカートニーは夢の中で聴いた曲を再現したってのを聞いたことがありますけど」
「へえ、面白いな。きっとそういう風に曲が生まれるのは、覚悟を決めるとか恋に落ちるみたいに、その人の人生に訪れる必然の出来事なんだろうな」
天才ミュージシャンのエピソードを聞くと憧れるけど、僕はそういう体験をしたことがない。つい、平凡だからかな、と感じてしまう。
「うちの学校は軽音部がないからなあ。ミュージシャン志望は初めてだ。どうして進路に書かないんだ?」
「それはやっぱり、笑われたり反対されたりするんじゃないかって。先生だって、嫌じゃないですか?」
通っている高校は、県の中でも進学校と呼ばれるレベルの学校だ。だから、同級生の理解も得られない気がするし、母親も僕に安定した生活を送れるよう期待をしている気がする。
「他人の顔色が気になるんだな」
「その通りです。僕には勇気がないんですよ」
「勇気がない、というわけではないだろう。勇気が足りないんだよ」
「足りない?」
僕はもともと勇気を持っていないと思っていたので、そんな考え方はしたことがなかった。目から鱗、といえば大袈裟だけど、ぽっと胸に明かりが灯されるようだった。
「どうすれば足りない勇気が湧くようになるんですかね」
「人間には欲望があるからな、本当は行動をしたいはずなんだ。その欲望に、自分自身に忠実になることかな。でもまあ、迷える年頃だよなあ」
「先生はパイロットになろうとは思わなかったんですか?」
「ああ、俺はちょっと、な」
「目が悪いからですか?」
「どうしわかったんだ!?」
「左右の目の色が違うので」よく見ると、先生の右目は濃い黒色をしているけど、左目は明るい茶色をしていた。何かの病気かな、と思ったのだ。
「よく気づいたなあ。うん、まあその通りだよ。怪我をして、左目が悪くてね。夢が破れたのさ。だから平には後悔をしない人生を歩んでもらいたいなあ」
「そうだったんですか」お気の毒に、と目上の人に言っていいのかわからず、言葉に詰まる。そんな僕の迷いも見透かすように、柳井先生が優しい笑みを浮かべる。
「人生というのは、人に与えることで幸福を得られる」
「与えること?」
「ああ、社会は人と人で繋がっている。だから、人は自分が持っているものを与えることで、幸福になれる、俺はそう考えているんだよ。俺はパイロットにはなれなかったけど、教師として生徒に知識を与えることができる。だから、教師という仕事を誇りに思っているよ」
自分が気にしていないのだから気にするな、とでも言いたげに柳井先生は微笑んだ。
「これは俺の人生哲学でな、卒業するクラスを受け持ったら、卒業式の日に話すんだ。平には一足先にしてしまったな」
「僕が人の役に立ちたい、優しくしたいと思って行動するのと似てるかもしれませんね。瀬川さんに優しさをあげたくて、犬探しをしてるんです」
柳井先生がそうかそうか、と嬉しそうに笑う。
父親がいたら、こういう話をしていたのかもしれない。自分の気持ちを話せるのは嬉しかった。だけど、柳井先生に父親を重ねたことに、なんだか気恥ずかしくもなる。我ながら子供っぽい。
「じゃあ、そろそろ本題に移ろうか。クビキリの犯人がわかったとか言っていたけど、どういうことだ?」
柳井先生が椅子に座り直し、真剣な表情で僕を見る。
カップを置いて、僕も姿勢を正した。
「実はさっきまで六組の森巣と一緒に、瀬川さんから犬が拐われてたときの話を聞いていたんです。瀬川さんの犬が散歩中に拐われたって話は先生にもしましたよね」
「ああ、さっきな。それがどうしてクビキリと繋がるんだ?」
「実は、瀬川さんから犬を拐った犯人も、僕が見た背中に大きくXって書かれたパーカーを着ていたらしいんです」
「なるほど、クビキリと同一犯の可能性が高い、と」
そうです、と力強く頷く。
「犯人は瀬川さんから犬を奪って逃げ込んだ、だけどそこは袋小路だった。犯人はどこに消えたんだろうな?」
「それなんですけど、左側の家には番犬がいました。つまり、逃げ込めるとしたら右側の家です」
「でも、犬の声が聞こえなかったんだろう? まさか、短時間で犬を殺したなんて言うつもりじゃないよな?」
「できるんですか? 例えば、首の骨を折るとかして」
「いや、首の骨を折るだけで死ぬわけじゃない。首の奥の脊髄まで損傷して、頚椎損傷になることで呼吸ができなくて、死に至るんだ。そんな簡単にはできないと思うな。ましてや、相手は暴れる犬だろ? 無理だよ」
「ですよね。やっぱり犬は生きていると思います」
「で、平は何に気がついたんだ?」
「犯人は一人じゃなかったんですよ」
「一人じゃない?」
「拐った人と、家の住人が犯人なんです。家の住人は犬が放り込まれるのを待っていて、受け取ったら急いで家に連れ帰ったんじゃないでしょうか? それこそ、口輪でも用意していれば吠える声も小さくなりますし」
森巣が柔らかい笑顔と優しい言葉で瀬川さんを励まし、「任せてくれ」と言える理由は、これだ。
柳井先生は神妙な顔をしてティーカップを口に運ぶ。僕には自分の考えが正しいか、客観的に判断してくれる人が必要だった。
「犯人は森巣だと思います」と喉まで出かかった瞬間、インターフォンが鳴った。
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