強盗ヤギ(初稿−10)
10
強盗ヤギに遭遇した翌日、もしかしたらと思っていたいけど、予想は的中した。
教室では授業が始まるまでの暇つぶしに、生徒たちがいくつかグループを作り、談笑をしている。それは毎朝の光景だ。だけど、昨日よりも活気があり、スポーツ中継を見るような興奮が漏れ聞こえてきた。ちらりちらりと確認しながら席に向かう。スマートフォンを囲み、強盗ヤギの動画をみんなが鑑賞していた。画面の中には、見覚えのある店が映っている。
「平、見たか?」
自分の席に向かうと、牧野が興奮した面持ちで開口一番そう言った。「昨夜、新作が投稿されたんだよ!」と鼻の穴を膨らませる。
「新作という言い方はどうかと思う」
強盗ヤギは犯罪者で、アーティストじゃない、と顔をしかめる。が、僕の反応にはおかまいなしで、牧野が机の上にスマートフォンを置き、動画を再生させた。
「そうだ、シャンプーをこれに変えてみたんだよ。どう?」
動画が始まる前に流れている広告を指差しながら、牧野が頭に手をやる。
まじまじと牧野の髪を見た。相変わらずのもさっとした羊を彷彿とする髪をしている。広告から、「極上の潤い」とか「新しい自分」とキャッチコピーが流れる。でも、隣にいるのが極上の牧野になっているとは感じない。
「艶が出たんじゃない?」
「だよな」と嬉しそうにしている牧野から視線を逸らし、動画を眺める。僕はまだ、昨夜投稿された動画を見ていなかった。
画面には、手前にコーヒーカップとアップルパイが、奥には棒立ちになって両手をあげるオーナーと強盗ヤギが映っている。昨夜、店で強盗ヤギの人質にされ、今は教室でその動画を見ているというのが、信じられない。悪い夢でも見ていたような気さえする。
動画を眺めながら、投稿したのは誰だろうかと思案する。撮影されている角度からして、おそらく奥に座っていた女性客だろう。スマートフォンを壁にでも立てかけ、撮影していたのだろうか。見かけによらず、肝が座っているのだな、と呆れるやら感心するやらだ。
彼女は動画を投稿し、今頃は多くの人が再生していることを喜んでいるのだろうか。
動画で、強盗ヤギの二人は、既に銃とICレコーダーを構えていた。『動くな。抵抗をするな。邪魔をすれば容赦なく撃つ』と音声が流れる。
牧野は目をらんらんとさせ、食い入るように画面を見つめている。それとは対照的に、僕はオーナーが不憫で胃がキリキリとしてきてたので、動画から目を離した。
教室をぐるりと見回す。
ここではみんな無責任に動画を再生し、事件を娯楽にしてしまっている。少しでもオーナーの不幸に同情をした人たちが募金をしたら、一助となるのではないか、なんて考えてしまう。でも、オーナーが民間の警備会社と契約をしていれば、事件を防げたかもしれないとも思う。悪いのは間違い無く強盗ヤギだが、なんだかやるせない。
「今回は、ここからがちょっと凄いんだぜ」
牧野が声をあげたので、慌てて視線を戻す。森巣が突然歌い出したシーンが始まったが、学校での森巣とは全く違うイメージの声や話し方だから、この人物が森巣だとは誰も思わないだろう。
「強盗ヤギ以上にこいつも謎だよな。もしかして、これも何かのメッセージだったりするのかね?」
「どうだろう。関係ない気がするけど……でも、このメロディはちょっと良くない?」
「そうかぁ? ポップじゃねえよ」
牧野の髪を褒めなればよかった。
動画は後半にさしかかり、強盗ヤギは森巣を恫喝し、オーナーから金の入ったバッグを受け取ると、画面からフレームアウトした。退店前のアナウンスと扉のカウベルの音が鳴って終了した。
画面には、オススメ動画はこちらです、と他の強盗ヤギの動画が並んでいる。牧野は、もう一度再生するボタンを指で触った。
「今回の暗号は、『Jim meets fish』なんだぜ」
もう解読したんだ、と素直に驚く。よく見れば、牧野の目の下にはうっすらと隈ができていた。解読し、興奮し、考え込んでいたのだろう。
「ジムは魚と出会う、か。どういう意味なんだろうね」
「おい、暗号が解けたってのに、スルーかよ?」
「あぁ、そうだった。牧野にも解けたのか」
「なんだ、平はもう知ってたのか。いや、解いたのは俺じゃなくてネットの誰かなんだけどな。でも、この文章もなんかの暗号なんじゃないかって騒いでるよ」
他人事のように口にしているけれど、牧野も一緒になって騒いでいるのだろう。きっと、みんなそうだ。
暗号が解ければ事件を防げるだろうか? と僕も考えてみる。
最初はまるで意味のない文字化けに思えたけど、強盗ヤギの落書きは、だんだんと意味を持ち始め、謎の輪郭が浮かび上がって生きている。小此木さんの言う通り、アルファベットの羅列が文章になるのは初歩的な暗号のようだし、難易度は低いのかもしれない。と言うことはつまり、解読されることを前提にしている、ということだろうか。これは強盗ヤギから誰かに向けたメッセージなのかもしれない。
「なんだかアップルパイが食べたくなってきたなぁ」
牧野の発言に思考が中断される。蕎麦屋が襲われたのを見て、蕎麦を食べたいと言っていたなと思い出す。またかよ、と苦笑するけど、画面内に見切れているアップルパイは確かに美味しそうではあった。
「知ってるか? これ、青林檎のアップルパイらしいぜ」
「知ってるよ」
「なあ、この店そこまで遠くじゃないらしいから、今日食べに行ってみないか?」
ドラマのロケ地を見に行かないか、と誘うように牧野が言う。
「さすがに、昨日の今日で営業はしてないんじゃないか?」
そうかぁ、と牧野は残念そうに肩をすくめた。
「平、青林檎のアップルパイは、やっぱり中が青いのかな?」
「青林檎は黄緑色だろ」
「じゃあ、黄緑か」
やっぱりちょっとそう思うよね? という気持ちと、僕は牧野と同じレベルの発想をしてしまったのか、という思いが自分の中でせめぎ合う。
「あっ間違えた。ジムじゃなくてジミだ」
「ジミ?」
「昨日のは、Jimiだった。地味なミスをしてしまいましたなあ」
頭の中で、ぱっと明かりが灯った。
牧野の顔をまじまじと見つめる。しょうもないダジャレを評価しているわけではないのだが、牧野はまんざらじゃなさそうに鼻の頭をかいた。
僕にも、暗号の謎が一つ解けた。