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100万円ゾンビ(初稿−6)

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 小此木さんがしゃっしゃと鉛筆を走らせながら、「二重の垂れ目ってこんな感じ?」と質問してきたので、「そうですね、で、もう少し眠そうな感じなんですけど」と伝える。了解了解、と小此木さんが小さく頷き、再び鉛筆の爽快な音が鳴る。テーブルの上に置かれたクロッキー帳に、デフォルメされたイラストチックではない、写実的なタッチで男の顔が描かれていく。

「わたし、その男の似顔絵を描くよ」と小此木さんが言い出したとき、「どうしてまた」と首をかしげた。それって意味ありますかね、と訝しんでいると、小此木さんが「来ると思うんだよね」と予言めいたことを口にした。

「気が変わったから、やっぱり百万円返せってこともありうる」
「そうなったら素直に返しますよ」
「でもそれが盗んだお金とかだったらどうするの? 犯人に返しちゃうの?」
「それは」と言って逡巡し、「返したくはないですけども」と答える。

 でしょう? と小此木さんが得意げな顔をしたので、納得しかけたが、「僕は顔を覚えてるから困りませんよ」と言うと、「わたしが困るじゃない」と返された。

 僕から何か新情報を提供できればよかったのだが、記憶を掘り起こして見ても、話したこと以上のものはなかった。ので、文句を言わずに小此木さんのやり方に付き合うことにした。

 記憶の中では男の顔を覚えているけど、それを言葉にするのは難しく、苦戦した。顔の骨格、羽が重なっているような髪型、細い眉や鼻の大きさや高さ、唇の厚さなど顔のパーツを人にわかってもらうのは難儀した。つい、「普通な感じです」と言ってしまいそうになる。

 小此木さんが描くのを見つめながら、似ていたら似ていると言い、印象が違ければニュアンスの違いを説明した。二人で作り上げた男の似顔絵が完成に近づき、写真のようだと言えば大げさだけれども、これは似ているぞ! と感嘆の声をあげそうになった。なんなら、百万円をくれた男にプレゼントしてあげたいくらいだ。「これ俺じゃん!」と喜んでくれるのではないかとさえと思える。

 最初は似顔絵なんて意味があるのか、と疑問だったけど、もし小此木さんの言う通りに百万円が何か事件に関係したもので、男がそれに関わる犯罪者であるとすれば、完成したこれは警察の捜査の役に立つだろう。

 絵が完成に近づいた頃、ぶぶぶっとスマーフォンが震えたので、ポケットから取り出して確認する。森巣から詫びのメッセージが来たのかと思って確認してみたが、同級生の牧野からのものだった。「ぱんでみっく!」というメッセージと動画が添付されている。

 パンデミック、大量感染、一体何事かと思って動画の再生アイコンを指で叩く。
 画面が揺れ、広場が映される。どこだろうかと思ったら、奥に見覚えるあるレンガ調の外壁をした大きなショッピングモールがあることに気づき、横浜駅の西口のあの辺りだな、と見当がつく。

 何の映像だろうか、と思ったら画面中央を男が歩いてることに気がついた。だが、妙な点が多い。上半身が裸で、前へならえといった感じに両手を突き出し、右足を引きずるようにして歩いている。

 そんな彼の挙動を気にしてから、人は気味悪そうに遠巻きに眺めていた。彼が動き、人のいる方へ向かうと、わっと悲鳴があがりみんなが狼を恐れる羊の群れのように移動した。半裸男はそれでもめげずに、足をガクガクさせながら、両腕を突き出し、首を傾げながらずりずりと歩いている。
 これはまるで--

「ゾンビ」と小此木さんが口にする。

 そうだ、それだ。ゾンビ映画でよく見るシーンだ。映画の冒頭、何故かゾンビが突如として街中に現れ、油断した人々が一人、また一人と襲われる。陳腐だけど、わかりやすく、よくある光景だ。

「これはなんだか映画みたいですよね」

 そう言って顔を上げる。小此木さんはてっきり、僕のスマートフォンを覗き込んでいると思っていたのだが、そうではなく、窓の外を向いていた。怪訝な表情で、じっと窓の外を見つめている。
 僕もつられて窓の外に視線を移し、ぎょっとした。

 眼下の広場に、上半身裸の男がいた。何かに吊り上げられているように両腕を伸ばし、よたよたとした足取りで移動している。目的があるのかないのかわからない動きをしていた。スマートフォンで再生した映像と同じようなことが、すぐそばで起こっている。

「なんなんですか? なんんですか、あれは?」と上擦った声をあげてしまう。
「ゾンビなんじゃない? 季節外れだけど」
「ゾンビに季節がありますか? 夏ですか?」
「ハロウィンだよ」

「ああ」と頷き、「さすがに本物じゃないですよね」と呟く。お化けはいないよね? と質問す子供のようだった。小此木さんがにやりと笑い、「わからないよー」と指を差す。

 ゾンビに気づいた人々は、遠巻きに動向を観察している。親子連れは慌ててその場を離れ、女子高生たちは身を寄せ合って笑い、外国人がスマートフォンを向けて撮影している。

 暑くて変な人が出てくるにも早いし、ハロウィンにも早い。あの人は一体何がしたいのだろうか。公共の場所を何だと思っているのだ、と眉が歪む。

「あ」と僕と小此木さんの声が同時に出たのは、その直後だった。

 ヘッドフォンをし、スマートフォンを操作しながら歩いているGジャンを着た男がゾンビのそばを通りかかった。ゾンビがそれを見つけ、よたよたと移動した。Gジャンの彼は、自分の世界に入っているからか、ゾンビの接近に気付いた様子がない。

 危ない、という気持ちと、まさか、という気持ちがせめぎあった。まさか、本当に襲わないよね? と。

 だが、襲った。
 ゾンビは旧友との久々の再会に感極まったように、Gジャン男を抱擁している。旧友であれば、「久しぶりじゃないか」と盛り上がるかもしれないが、見ず知らずの半裸の男性に抱きつかれたらそうはいかない。

 Gジャン男が何かを叫びながらゾンビを振り払う。ゾンビが地面を転がった。Gジャン男は怒りをぶつけるように喚き散らすと、気味わるそうにその場を離れていった。

 窓の外から視線を小此木さんに戻す。意味がわからない、消化できない、と顔をしかめていた。

「襲われた人、行っちゃったけど、大丈夫ですかね」
「何が?」
「噛まれて感染しちゃったとか」

 口にしながら、さすがにないよな、と妄想を追い払うようにかぶりを振る。

「あ!」

 小此木さんが驚きの声をあげ、再び窓の外を指差した。まさか新たなゾンビが現れたのか? と眼下に目をやる。

 のっそのそと、ゾンビが立ち上がり、きょろきょろと周囲を見ているところだった。両手を伸ばして、次なる獲物を探しているように見える。まだやるつもりなのか? 悪ふざけも大概に、憤りを覚える。

「ほら、平くん見てよ」
「見てますよ。まだやるんですね」
「じゃなくて、ほら」

 小此木さんがそう言って、スケッチブックを窓に掲げる。それを見て、今日何度目かの「あ」が僕の口から飛び出した。
 格好が変わっていたのでそちらに目が行っていたが、顔を見ると小此木さんの描いた似顔絵とそっくりだったし、僕の記憶の中の男と同じだった。
 あの、百万男だ。

「ほら、似顔絵が役立ったでしょ」

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如月新一
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