必然性の思考メモの巻
漫画教室ー
みんな息災で何より。みんな漫画を描いていて偉い。
今日も15時だか16時だかまで残ってやっていた。捗る。
話すと脳がほぐされる。多謝。
今日漫画教室中とか喋りながら思ったこと。
『G戦場ヘヴンズドア』でさ、
「君達は君達にしかなれない。
君達が描く必然が無いマンガなどいらない。
マンガは練習するもんじゃない。覚醒するものだ。」
っていう台詞があって、なんかずっと引っ掛かってたのね。
昔はさ、今もちょっとはそうなんだけど、憧れていて書きたい・描きたいものを自分も作りたいなっていう気持ちがあったんだけどさ、今は「必然」がある話を読みたいなって思うんだよね。
私は物語の型を知っているから、構成とか展開は「こういうことも型としてできますよ」っていう提案はするのだけれど、そのお弁当箱に入れる具材みたいなものは、お行儀のよいものじゃなくていいと思うんだよね。
なんならお弁当箱も型を知っている上で壊して、それで美味しいものを食べたいし。
私は相変わらず次もまた「死を受け入れられなくてどうにかなっちゃう話」を書きそうなんだけど、これは原体験があったんだなって最近思い出して、ああこういうのを考えるのが私の必然なのかってちょっと思ったのよ。
こんな漫画は君の描く必然性がない! みたいなハラスメントは絶対しないけど、みんなそれぞれにしか描けないもの、をこれからも読みたいな、と思ったのでした。
それをどういう風に手伝えるんだろうか。キャッチボールはしたいけど、抽象的な質問をぶつけるだけだと腹落ちしない気がするんだよね。
これが絶対正解! とは思ってないから思考のメモとして書くんだけど、
何を持って「必然」になるかっていうと、やっぱり個々人の経験に根付いた何かなのかもしれない。
こんなことがあった、っていう衝撃を受け止めきれないとか、その時どう感じたとか、考え方が変わったとか。劇的な出来事起因じゃなくても全然良いけど、何か経験に基づいた思考、その思考から生まれる主張や題材を考える。
それが誰にも言えないようなことであったとしても、その自分自身を曝け出す。
っていうことなのではからろうか。
この考え方が正しいのかもわからんから自分で検証していこうと思うよ。
帰りに本屋さんに行き、雨が止んでたのでけりんちょで帰宅。
道路が濡れてたり、車が多いと怖いな。道路が濡れてたり車が多い所では乗らんようにしよう。
今日嬉しかったこと3つ!
①しばらくずっと来ていなかった生徒が退会することになって、挨拶にきてくれた。心配していたけれど、元気そうでほっとした。教室、いつでも遊びにおいでって伝えられてよかったな。あと「あく探」の2巻の先が読みたいから考えてくれ! って言われたから、先生がんばります。
②生徒に今週も漫画を貸すことができた。『ピンポン』と『夏・ユートピアノ』と『惑星のさみだれ』と『キンクス』と『ヒナまつり』と『GOTH』みんな楽しんで。
生徒と話てて、ワークライフバランス的なことでいうと、小説を書く以外やりたいことがなくて、小説を生きてる間にあくさん残したいなあって思いましたとさ。生徒とかさ、人の血肉になるものを残したいね。
③夕方まで残ってプロットできて進められた。捗ったー。
キャラ設定を固めてるんだけど、年々、気持ち悪い関係性にグッと来ている気がする。
本日閉店