第9話「心配性だからだと思います」
クイーン3
高校一年の文化祭から、僕には試練が与えられた。学校の見回りだけでも骨が折れそうだが、ミスコン候補でもある天宮静香先輩のボディガードをすることになった。
「では、参りましょう」
「参りましょうはやめてよ、なんだか家臣みたい」
ビラを抱えた天宮先輩と教室を出る。
「どちらに――、行きましょうか」
「わたしはこれを配りたいだけだから、どこでもいいよ」
「じゃあ食堂の方に行きましょうか。人も多そうですし」
三年校舎を出て、食堂へと向かう。
銀杏並木にはクラスや部活動の屋台が並び、ソースの匂いが漂ってくる。本校舎前に用意された屋外ステージでは、有志の生徒たちのダンスパフォーマンスが行われ、人だかりができていた。
風船のアーチや、どこから聞こえるポップソング、香ばしい小麦粉の焼ける匂い、毎日通っている学校なのに随分と印象が違う。太陽がやけに高くに感じた。
だけど浮かれてはならない。
文化祭には来校者が来るのでトラブルも多いらしい。文化祭の前にあったミーティングでも、盗撮や痴漢行為などが毎年問題になっていると教えられた。問題があればすぐに教師に連絡をするのが鉄則だけど、腕章をしている風紀委員であれば臨機応変に対応できるだろう。
「この劇を見たいんですけど」「タピオカジュースってどこに売ってるの?」「受験相談はどちらで」「休憩所ってないの?」と声をかけられ、応対する。地図を開き、ポケットからペンを取り出し、道順や対応を教える。やはり腕章の効果で訊ねやすいのだろう。
だが、僕なんかよりも制服姿の天宮先輩の方が目立っていた。配っているチラシはもう半分の量になっているし、
「うちの店にも遊びに来てね」「劇、絶対観に行くからね!」「先輩! ミスコン応援してます!」
数歩歩くたびに、教室の窓や屋台から声がかけられている。
僕のように、道や教室の場所を訊ねられている訳じゃない。学校中の人気者との違いを思い知った。しかし、だ。
「シンデレラ、絶対に観に行くからねー」
という言葉の後に、「で、そいつ誰?」という視線を受ける。
「クレープどう? 静香が持って歩いてくれたら宣伝になるんだけど」
という言葉の後に、「で、そいつ誰?」という視線を受ける。
雰囲気を察した天宮先輩が「ボディガードよ」と悪戯に微笑むと、彼らは首をかしげた後、僕の腕章に気づき、「あぁ」と納得したような顔を浮かべた後、「なんでボディガードを?」と再び首をかしげた。
女子はそれでいい。だが、男子生徒の中には、終止僕を睨んでいる人もいてばつが悪い。
視線を逸らすと、壁に張られているミスコンのポスターが目に止まった。
洒落たフォントで、『ミス苺原高校コンテスト』と書いてある。制服や部活動のユニフォーム姿で微笑んでいる、候補者のバストアップの写真が写っていた。
やはり、天宮先輩は格が違うように感じた。
「実物が隣にいるんですけど」
驚き、慌てて「すいません」と謝る。くすくすと笑う天宮先輩にたじろぎながら、「すごい人気ですね。たくさん声をかけられて」と話をそらす。
「狭間くんも、結構声をかけられているじゃない」
「僕は、子供かお年寄りがメインですけどね。それより、男子からの視線が怖いですよ」
帰り道で、調子乗ってんじゃねえぞと掴みかかられたら倒せないことはないけど、新たな争いを生まないか。不安は濃くなった。
「狭間くんは、なんでわたしと一緒にいるの?」
「ボディガードを引き受けたからです」
「じゃあ、堂々としていればいいじゃない」
確かに。邪な考えはないのだから、堂々としていればいい。
「でも、風紀委員ってこの学校にあったのね。初めて知ったわ」
「風紀委員と言っても町とか校内の清掃活動とか、花壇の花の手入れがメインですよ」
「狭間くんは、なんで風紀委員会に入ったの?」
はたから見たら面倒なだけの仕事に見えるだろうし、何故? と疑問に思うだろう。
「心配性だからだと思います」
「心配性なんだ」
「例えば、空き缶が落ちているとするじゃないですか」
「うん」
「目に入ったら、捨てたいと思うんですよ。もしかしたら、この後に通ったお年寄りとか目の不自由な人がそれに躓いちゃうんじゃないかって、通り過ぎた後にずっと気になっちゃうんですよ。他にも、道に迷った人がいて、僕が声をかけなかったらずっと迷っているんじゃないか、とか」
説明をすると、ますます困ったような顔をされてしまった。
「花壇の手入れは?」
「例えば、すごく嫌なことがあったときとか荒んだ気持ちのときに、綺麗な花が咲いているのを見たら、少し気がまぎれるんじゃないかなって思うんですよ。関係がない些細なことでも、巡り巡って大きなものになるんじゃないかと思うんです」
僕は常に、どこかにある雨雲を気にしている。今に大雨が降るのではないか、と気が気でないのだ。
しばらくきょとんとした表情になってから、天宮先輩は頬をゆるめ、くすくすと笑った。
「じゃあ、文化祭の間は何が起こるか気が気じゃないね」
「そうなんですよ! 困っている人も多い気がしますし」
「私のボディガードも引き受けちゃったし」
「そうなんですよ! 気が気じゃありません」
「頼もしいけど、無理しないでね」
「あの脅迫文に心当たりはないんですか?」
天宮先輩が「ないわねえ」と首を横に振る。
資格がない、という文言に引っかかっているのだが、ただの難癖なのだろうか。
「劇、出るんですか?」
「脅迫なんかには屈しない。相手にしていたら、エスカレートしちゃいそうじゃない?」
大事を取って、お休みするというのも一つの手だと思うのだが、天宮先輩の言っていることも一理ある。
「昨日、プレ公演をしたんだけど、満員で評判もよかったの。みんなも気合い入ってる。だから、誰かの悪意のせいでそれが台無しになるなんて、許せない。まぁでも、きっと大丈夫よ」
「そうですね」と、相槌を言った瞬間、足に衝撃が走った。太ももから膝裏のあたりにかけて、ずしりと何かがぶつかった。膝カックンのように、崩れそうになるのをふんばり、振り返る。
そこには、髪を両サイドで結っている女の子が立っていた。赤いコートに、紺色のスカートを履いている。小学校一、二年生くらいだろうか。
見下ろすと「痛いんですけど」と口を尖らせていた。