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クビキリ(2稿-8)

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 世の中は理不尽だ。

 その主張は真新しいものではないけど、やはりそう感じてしまう。真面目で優しく、クラスの為にいつもがんばってくれている瀬川さんが、何故事件に巻き込まれなければならないのか? とやり切れなさを抱かずにはいられない。幸福な人が不運になれとは思わないけれど、頑張っている人には幸福を、と祈る。

 僕の隣の席に座る瀬川さんの様子を窺う。
 髪は肩に届かない程度に切りそろえられ、前髪はヘアピンで留め、制服も着崩さず、知的な雰囲気の赤いチタンフレームの眼鏡をかけていて、委員長然としている。だけど、寝不足なのか、疲れた顔をし、目も充血気味だった。

 瀬川さんは店にいた森巣に驚いたようだったが、協力を申し出てくれたのだと伝えると、申し訳なさそうにしつつも、でも嬉しそうにやっと少し笑顔になった。暗かった表情に、ぽっと明かりが灯るような希望を感じる。

「森巣くん、久しぶりだね。元気だった?」

 瀬川さんの第一声がそれだったので、胸がきゅっと痛くなった。今、一番元気じゃない人が、他人の心配をするのか、と。社交辞令のようなものだとしても、瀬川さんは根が真面目だなぁと同情せずにはいられなかった。

 森巣も僕と同じようなことを感じていたようで、苦笑しながら「俺は元気だけど、瀬川は大変みたいじゃないか」と返事をした。

「大変」と瀬川さんが森巣の言葉を繰り返す。そのことによって、自分の状況を確認しているようだった。やはり、疲れのせいかどこかぽーっと上の空に見える。

「瀬川さん、大丈夫? 今日はゆっくり休む?」
「ああ、ごめんね、平くん。わたしは大丈夫。わたしよりも妹が塞ぎ込んでいて、それが、ちょっと」

 精神的にきついのだろう。同じ家の中で家族が落ち込んでいると、自分も気落ちするのはわかる。ましてや、年の離れた妹なのだから、なおのことだろう。

「ところで、森巣くんはどうして?」
「平がチラシを配っているのを見てさ、俺も手伝おうと思って。犬探しなら、頭数は多い方がいいだろう? それとも、迷惑?」
「そんな迷惑なんて、とんでもないよ! むしろ、ありがとうというか、ごめんなさいというか」

 瀬川さんが森巣の言葉をかき消すように、両手を振る。

「三人寄れば文殊の知恵。森巣が加わってくれて僕も嬉しいよ」
「三人目の俺は、何か閃かなくちゃってプレッシャーを感じるなぁ」

 プレッシャーをかけるつもりでは、とあわあわしたが、森巣は「冗談」と目を細めた。くすくすとした声が聞こえたので見ると、瀬川さんがおかしそうに手で口元を隠して笑っていた。辛い時こそユーモアだ。

「いらっしゃい」

 すると店員のお姉さんがやって来て、

「あら、今日は男の子が二人も。両手に花、潔子ちゃん、やるじゃーん」

 と瀬川さんに親しげな口調で声をかけた。
 瀬川さんが顔を赤くし、「三田村みたむらさん!」と声をあげる。

「優しそうな彼か、イケメンの彼か。安心かスリルか、迷うわねぇ」
「そういうんじゃないから」
「冗談よ。いいわねえ、高校生。青春。で、本命はどっち?」
「もうお店に来ないよ!?」
「それは困るわ。大事なお客様だし」
「大事なお客様なら大事にしてってば」

 三田村さんと呼ばれたお姉さんが「ごめんごめん」とけらけら笑う。「もう!」とむくれる瀬川さんは、学校では見せない幼さがあった。タメ口だし、狼狽する瀬川さんは初めてで、意外な一面を見た。学校とプライベートでは瀬川さんも違う顔をするのだなあ、とぼんやり思う。そして、笑顔が増えたことが自分のことのように嬉しくなった。

「注文は?」
「今日はレモネードで」
「かしこまりましたっと。あ、ねえあのケーキ、美紀みきちゃんに喜んでもらえた?」
「……ええ、はい」
「良かったぁ。お誕生日おめでとーって伝えておいて」

 そう言いながら三田村さんは、軽快な足取りでカウンターの奥に帰って行った。瀬川さんが、堪えていたものを吐き出すように、ふーっと息を吐き出して、僕らのことをちらりちらりと確認する。

「お母さんのお友達の娘さんなの。わたしのお姉さんみたいな存在というか。逆らえない人というか」

 説明を求めていないけど、身内の不祥事を弁解するように、瀬川さんが説明を始めた。

「小さい頃からわたしのことを知ってるから、いつまでも子供扱いで。未だに迷子のわたしを見つけてあげたのは自分だって持ち出したりするんだよ。自分が見つけなかったら、今でも迷子だったかもよとかって」
「子どもの頃のことを知られてるのは、弱みを握られているような感じがするよな」

 慰めているというよりも、心から同情しているような口ぶりで森巣が言った。「森巣は別に弱みなんてないんじゃないの?」と反射的に口にする。美談こそあれ、恥ずかしいエピソードはなさそうな気がする。

「あるよ」「どんな」「そりゃ言えないよ」「それもそうか」

 瀬川さんのレモネードが運ばれて来て、僕たちは話題を「犬探し」に戻す。瀬川さんが委員長らしく、きりっとした顔つきに変わり、議題を切り替える。

「それで、平くん、学校の方はどうだった?」
「ええっと、学校に関係ない掲示物はよくないって言われたけど、柳井先生が上の先生にかけあってくれることになった」
「よかった。柳井先生は散歩でたまに会うから、それでわかってくれたのかな」

 クビキリを見たことを瀬川さんに教えていないので、「だと思うよ」と言葉を濁しつつ、それで、瀬川さんの方はどう?」と尋ねる。

「家に一度帰ってきたんだけど、自治会の人にお母さんが確認を取ってくれてて、掲示の許可をもらえたって。二人には、分担して貼るのを手伝ってもらえると助かる」
「お安い御用だよ」
「そう言えば瀬川は警察にはもう行ったの?」
「うん。でも、あんまり期待はできないかもって言われちゃった、やんわりとだけど」

 そんなことは言わずに、優しい言葉をかけてあげればいいのに、と思ってしまう。後から「あのとき助けると言ったじゃないですか!」と責められたくないからだろうか。

「だから、犬に懸賞金もかけることにしたの」
「懸賞金!?」

 初耳だった。昨日までそんな話は出ていなかったのに。

「ちなみに、いくら?」

 森巣が訊ねると、瀬川さんがスクールバッグから、チラシの束を取り出して机の上に置いた。『名前はマリン。ミニチュアブルテリア。二歳、メス』という犬の情報だけではなく、新たな文言が加わっていた。

『発見に繋がる情報を提供してくれた方には三十万円をお支払いいたします』
「三十万」

 思わず、口からこぼれる。
 その金額を僕はどう捉えたらいいかわからなかった。でも、お金が絡むと、なんだか嫌な感じがする。「……お金をかけるのは、なんかちょっと、違くないかな?」

「マリンは家族だし、なんとしても見つけたいってお父さんが言っていて。それに見つけた人にもちゃんとお礼がしたいからって」
「でも、三十万円がマリンちゃんの値段ってわけじゃないじゃないか」
「もちろん、そういう意味じゃないよ! すぐに用意できる金額をお父さんとお母さんが話して決めたから」

 瀬川さんが、沈痛な表情で俯くのを見て、はっとする。僕が瀬川さんを追い詰めてどうするのだ、と反省した。

「平、お金は力の一つだよ。お金でものを買うこともできるし、人を動かすこともできる。持っている力を使わないのは怠慢だと思うね」

 そう、なのだろうか? でも僕はお金で動いているわけじゃない。釈然とせず、反論しようと思って森巣を見ると、にこりと微笑まれた。が、それには、圧を感じた。議論をすることはやめよう、という意図が伝わってくる。

「大切なのは犬が見つかること、そうだろ?」
「それは、もちろん! 僕もそう思うよ!」
「じゃあ、できることをやってみようじゃないか。三人揃ったわけだし、ね。文殊だよ、文殊」

 森巣が場を和ませつつ、鼓舞するように言った。僕らが力を合わせれば、お金をかけずに力を合わせて見つけられるかもしれない。

「でも、その前にちょっと気になることがあるんだけど、瀬川は犬を拐われたんだよね?」
「……うん、散歩中に突然」
「その場所に連れていってもらえないかな?」

 森巣が不思議なことを言い出したので、「どうして?」と尋ねる。

「犯人がどっちに逃げたのかわかれば、チラシをどこに貼ったら効果的かわかるだろ?」
「なるほど」そんなことを考えもしなかった。どう、瀬川さん? と隣を見ると、瀬川さんはテーブルに視線を落とし、考え込むような間を空けてから、「うん、わかった」と頷いた。

 思い詰める瀬川さんを見て、事件現場に戻ることは、嫌な体験をフラッシュバックしてしまい、辛いことかもしれない、と気がついた。僕だって、あれから野毛の図書館には行けていない。

 どうしよう? やっぱりやめておく? と案じたが、森巣が、
「じゃあ、瀬川がそれを飲み終わったら、行ってみよう。その犬が拐われた場所に」
 と言うと、瀬川さんが慌てた様子でストローを咥えた。ストローの中をぐんぐんとレモネードが上昇していく。瀬川さんの勇気が、漲っていくように見えた。

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