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『深夜の壊れたメロディ』(11月10日・「オルゴールの日」)

「え? 浮気してなかったんですか?」
「はい、浮気してませんでしたよ。何度質問されても、答えは同じです」

 そう報告をすると、依頼人の曽根川美帆は腕を組み、神妙な顔をした。訝しげな視線で、調査報告書と俺を交互に見ている。浮気調査の仕事は、黒なら話が早いが、白だとこうやって疑われてしまって辟易とする。

「この一週間調査しましたけど、ちゃんと会社で働き、残業して、まっすぐご自宅のマンションに帰っていましたよ」

 真面目に働いて、疑われていたらかわいそうなことこの上ない。俺もそうだ。真面目にちゃんと調査をしたんだ。そんなに疑われるなんて、心外だ。

「もう一週間、お願いします!」

 まじかよ、と思ったが、社長が「引き受けなさい、暇なんでしょ?」と言うから俺は受けることになった。

 という訳で、今日も今日とて、曽根川精彦氏の身辺調査をすることになったわけだ。会社まで尾行し、昼休みに会社から出て来たら尾行し、それ以外はずーっと路駐している車の中から勤めている会社の出口を見張っている。

 一ヶ月前、依頼人の曽根川美帆は、夫である曽根川精彦氏の所持品から、ガールズバーの名刺を見つけた。本人は接待の延長で付き合わされたと言っているが、それを疑っているらしい。女と遊びたいんならマッチングアプリがあるんだし、浮気なんてしていない気がする。依頼人はどうやら潔癖症のようだ。旦那の精彦氏が気の毒に思える。

「もういっそのこと、女をあてがっちまおうか」

 そう口を尖らせると

「紹介できる女もいないくせに、よく言うぜ」

 と、助手席から声が飛んで来た。

「あんただっていないだろ」

 隣に座る打海を睨む。いかつい顔をしたアラフォー男は、嫌味っぽく笑いながらダッシュボードに身を乗り出して、一日ずーっと何かの修理をしている。細いドライバーやら爪楊枝やらでちまちまと、神経使いそうなことを、こんなところでよくやるよと思う。

「立花、さっぱりした髪型にすりゃ、お前も少しはモテるんじゃないのか?」
「天然パーマでいいんだよ、探偵なんだから」

 探偵ねぇ、と内海が自嘲的に笑う。おいおい仕事にプライドは持とうぜ、と言いたいところだが、こうも浮気調査ばっかりじゃあ、やる気もなくなるよな、とも思う。

 アラサー男とアラフォー男が2人、ずーっと真面目に働く男の監視をしている。はたから見てりゃ滑稽だろう。

 ちらりと腕時計を見ると、夜の11時を過ぎていた。終電があるから、曽根川精彦氏はそろそろ出てくるだろうか。オフィス街だから日中は混み合う道路だが、今は静かなものだ。歩いている人もちらほらという程度。なんだか深い海の中で、じっと獲物を待ち構えるうつぼにでもなった気持ちだ。

 打海みたいに、なんか暇つぶしを持ってくりゃよかったなあ、と思いながら大きく欠伸をする。

「お前、今日ずっと欠伸してないか?」
「昨夜、近所で小火騒ぎがあったんだよ。火、着けたのは小学生のガキだそうだ」
「世知辛いねぇ」
「キレないでいる方が辛い時代さ」

 少年犯罪なんて別に珍しくないし、多感な時期だし、家庭によって色々あるだろう。だが、子供が火を放火をしたという出来事を聞いたときは、なんだか他人の不幸を知ったみたいで苦い気持ちになった。

「そいつ、どうなると思う?」
「まだ小学生なら児相に通告。まあ、怪我人も大した被害もないし、家裁に送致はされんだろう」
「さすが元刑事」

 打海は古傷が痛むみたいに顔をしかめて、ふんっと鼻を鳴らして作業に戻った。

「一度壊れちまったらお終い、そうしたがる癖が人間にはある。が、そんな悲観的にならなくたっていいじゃないか」
「放火少年とか、依頼人夫婦の話か?」
「諸々だよ。一度ケチがついたらもうお終い、人生はそんなんじゃない」

 あんたの人生とか? と言うのはさすがに嫌味がすぎるなと思って、「その時計とか?」と尋ねる。

「これはオルゴールだ。部屋を掃除したら出て来たんだが、壊れてやがる」

 歯車みたいのをいじってるなあ、と思っていたがオルゴールだったとは。覗き込むと確かに、凹凸のあるシリンダーや回すクランクが付いていた。朝はバラバラだったのだが、よく一日で組み立てたものだ、と感心する。

「昔の女にもらったもんか?」

 ぴくり、と打海の手が一瞬止まったのを見逃さない。引きずる男だねぇ、と苦笑する。が、男はみんなそんなもんかもしれんな、と省みる。

「立花よ、一度壊れたもんはどうすればいいと思う?」
「どうすればいいんだ?」
「直すんだよ」

 満足そうに打海が笑い、ふっとオルゴールに息を吹きかけた。優しくクランクを回すのに合わせて、カチリカチリと音が鳴る。

「止まっちまったら、また回せばいい。再生するんだよ」

 ゼンマイ仕掛けのオルゴールが回り出し、櫛状のパーツがシリンダーを弾く。軽やかなメロディが車の中に流れ出す。曲の名前は知らないが、クラシックなのはわかる。なんだか心地よく、座りっぱなしで痺れた体に染み込んでくる。

 ビルの中から、精彦氏が現れた。鞄を手にして、とぼとぼと駅へと向かっていく。お疲れ様、と心の中で思う。再生するといいな、とエールを送る。

 ふと隣を見ると、どんなもんだ? と打海が感想を求めるような顔をしていた。

「まったく、眠くなるぜ」


(つづく)

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