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100万円ゾンビ(初稿−11)

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 自分の失態を報告するのは辛いものだ。

「逃げられちゃったのは平くんのせいじゃないよ」

 自分の失態を優しく慰められるはとても沁みる。面目ないとはまさにこのことで、恥ずかしくて小此木さんの顔を見れなかった。小此木さんは俯く僕に、「しょうがないって」としきりに声をかけてくれる。

「相手の足が速かったんだよ、切り替えていこう」

 ベンチに戻ってきた選手を励ますコーチや監督のように、小此木さんが僕の肩を叩く。

「でも、わかったこともあるよ」
「わかったこと、ですか?」何もないじゃないですか、と弱気になる。どんどん、深い森の中に迷い込んでいるような途方も無い気持ちを味わっている。
「平くんがトイレ行ってる間にネットで調べてたんだけど、結構な数のゾンビが、どこそこ大学の誰々だって特定されてるんだよね。で、燃えている」

 反射的に、ゾンビの体が炎に包まれ、よたよたと歩いている場面を思い浮かべ、ぞっとする。が、そんなわけはない、とすぐに打ち消す。映画じゃない、これは現実だ。

「ネットで見た人は、通りかかった男に半裸で抱きつくのは良くないことだって、みんな思ったみたいだよ。それで、ウケようと思ってやってるんだら、最悪だって怒ってる。怒りの炎がめらめらと、罵詈雑言になってるよ」

 そう言って、小此木さんが嫌なものをもう見たくない、というようにスマートフォンをテーブルに伏せた。ふーっと悩ましげに一息吐くと、「切り替えて情報を整理しよう」と促してきた。僕は「はい」と返事をして姿勢を正す。

「平くんが話したその女の人曰く、大学生たちはゾンビをやりたくてやっているわけではなさそうだったんだよね?」
「ええ、脅されてるのかもしれません。さっきお話しした通り、僕がお金を搾り取るだけでは飽きたらず、ゾンビの真似をさせてるんだと思っているみたいでしたよ」
「よほど恨みを買ってるわけだ。女の敵って言ってたのも気になるよね」
「放っときゃ逮捕されるかもしれない、って言ってたのも気になります。フラッシュモブみたいな大学生の悪ノリかと思ってたんですけど、話と規模が変わってきましたよね」 
「ゾンビたちは女の敵、痴漢をするサークルとかだったってこと?」
「それはもはや犯罪集団ですよ」と苦笑する。
「犯罪集団と言えば、あの三人組に連れて行かれたゾンビは今頃どうしてるんだろう」
「職員室でお説教、みたいな甘いことはないでしょうねぇ」事務所で暴力を受けているかもしれない。百万円を持っている自分に、その暴力が向かないか、と改めて不安になる。不安の種である百万円を、やっぱり早く手放したい。

「ああいう人たちが、わざわざ出向いて来たってことは、ゾンビになった男子大学生たちはそういうお店の客で、女の敵になるようなことをしたってことじゃないかな」
「なるほど。でも、ゾンビになった理由は?」
「お店で働く人が結託して、迷惑な客を脅迫したんだよ。悪行をばらされたくなかったら、言う通りに理にしろって」
「嫌がらせ返しがしたかったんですか?」

 すると、小此木さんが腕を組み、得意げに含み笑いをした。

「それが目的だったのだよ」と芝居じみたことを言う。ので、「と、言いますと?」と調子を合わせる。

「お金を払って、嫌がらせを受ける。これで勘弁してもらえるだろうって思ったところを、怖い人たちに捕まえてもらう、あぶり出し作戦だったというわけだよ」
「じゃあ、手紙はなんでしょう? 秘密にして欲しいっていうのは?」
「自分がした迷惑行為についてだよ。慰謝料も払うので、くれぐれもご内密にって」

 まあ、そういうお店で知ったことなら、秘密にして欲しいことは多いかもしれないな、とぼんやりと想像を巡らせる。だけど、問題はある。

「ゾンビはどうして僕に封筒を渡したんでしょう?」
「平くんは、受取人と人違いをされたんじゃない?」
「百万円を渡す相手ですよ? なんとなく顔が似てる人に渡すってことはないと思いますけど」
「でも、平くんが何もしないで二時間駅前に座っているのをゾンビが見ていたら、普通じゃないと思うはずだよ。少なくとも、わたしは、おかしいと思った」
「そう、ですかねえ」おかしい、と言われたことに少し傷つきながら、うなずく。
「というのが真相だよ。はー、スッキリした」

 小此木さんが満足そうな声をあげ、両手で伸びをした。小此木さんは謎が解けてすっきりしたかもしれないが、こっちには問題がある。

「百万円はどうしましょう。もう、警察に行くしかないですよね」

 封筒と名刺を渡し、事情を説明したら保護してくれるかもしれない。だが、話を真面目に聞いてもらえなかったり、後から屈強な三人組が我が家に押しかけて来て「百万を返せ」と迫って来たらどうしようか、という不安の種が残る。僕に、静海と母親を守れるのか? 腕力には自信がない。

 もし、森巣に相談をしていたら、その対処法を教えてくれるだろうか。そろそろ意地を張るのはやめようか、と弱気になる。

 だが、はたと不安になった。
 森巣に対して、「来ないのかよ!」と憤っていたけど、何か事情があるのかもしれない。

「もしかしたら、森巣も何か事件に巻き込まれていたりして」
「良ちゃんは巻き込まれる側ではないと思うよ」
「気にくわないとか言って、介入するタイプですよね」

 と言ったその時だった。お尻のポケットに入れていたスマートフォンが震える。確認をすると、『森巣良』と表示されている。「噂をすればですよ」と言って、通話ボタンをタップする。

「もしもし?」
「おお、平か。今どこにいる?」

 トラブルに巻き込まれている様子はない、淡々とした口調だった。

「今、小此木さんと桜木町のパン屋にいるよ」
「なんだ、霞もいるのか?」
「ああ、誰かと違って、小此木さんは弾き語りを聴きに来てくれたんだ」
「そうか、俺はもうすぐ桜木町に着く」

 嫌味が通じなかったことにむっとして、「どうして来てくれなかったんだよ?」と口を尖らせる。

「サプライズだ」
「サプライズだって? ああ、来なくて驚いたよ。君が弾き語りをしろって言ったくせに、来ないなんて」
「でも、驚いただろ?」
「驚いたけど、甘いよ。こっちはもっと驚くべきことが起こってる。驚き負けだよ」

 さて、どう悔しがらせてやろうか、と小此木さんと目配せをし、焦らしながら説明する方法を思案していると、スピーカーの向こうから、思いもよらぬ言葉が聞こえて来た。

「なんだ? 百万のことか?」

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