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「クビキリ」(初稿-8)

       8

 森巣が鼻先まで持ち上げていたティーカップをゆっくり下ろした。
『きれいは汚い、汚いはきれい』人は見かけじゃわからない。森巣はまだ、僕を油断させようとしているのではないか、味方のふりをして欺いているのでは? と額に冷や汗がぶわっと浮かぶのがわかる。
 もう、何を信じていいのかわからない。
 ぐわんぐわんと目眩が起きているようだ。
「お待たせお待たせ」
 リビングの扉が開き、柳井先生が戻ってくる。さすが先生と言うべきか、生徒二人の間に漂う剣呑な雰囲気に気がついたのか、「どうした二人とも」と言って向かいの席に着いた。
「なんでもありませんよ。平がおかしなことを言うから、聞いていたんです」
 森巣がくすりと笑みを浮かべ、柳井先生に目配せをするように視線を向ける。
「なんの話をしてたんだ?」
「平の進路相談ですよ」
「ミュージシャンになりたいって言っていたなあ。もう曲も自分で作ってるのか?」
「ええ、ああ、はい、一応。家ではギターいじってます」
 こんな話をしている場合ではないのに、と思いつつ、二人を見る。
「そう言えば、ポール・マッカートニーは夢の中で聴いた曲を再現したってのを聞いたことがありますよ」
「へえ、面白いな。きっとそういう風に曲が生まれるのは、覚悟を決めるとか恋に落ちるみたいに、その人の人生に訪れる必然の出来事なんだろうな」
 のんきに世間話をしている二人を見ながら、はっとした。
 僕は犯人が一人ではないと考えていた。それは間違っていないのではないだろうか。
 森巣は犬が生きていると考えている。それは、犬が生きていると知っているからじゃないのか? 犯人の片割れ説はまだ生きている。
「平は目が良いね。でも、ちゃんとわかっていない」
 森巣はさっきそう言った。
 この家は広い。動物を一時的に飼育することができるガレージもあるし、死がいを埋めることができる庭もある。
「柳井先生はどうして先生になったんですか?」
「さっきも平に話をしたんだが、人生というのは、自分の持っているものを他人に与えることで幸福を得られる、それが俺の人生哲学なんだ」
「へー、与えることですか」
 森巣が感心するような声をあげる。今は二人ののらりくらりとした会話に付き合っている場合ではない。ここからどうやって逃げるかを考えなくては、と意識を集中する。
「それで、先生はクビキリで何を与えたかったんですか?」
 森巣の口から思ってもみなかった言葉が飛び出した。
 森巣、君は何を言っているんだ? 二人はグルなんじゃないのか? と混乱する。
 柳井先生を見ると、虚を突かれたような顔つきをし、目を丸くしていた。
「ここにある白いテープで、XXXXってパーカーに貼っていたんですか? そうすれば目撃者はパーカーの話ばかりするでしょうからね」
 森巣がテーブルの脇に置いてある白い布テープを手にして、検分するように眺めてから衣類の溜まったカゴに放った。そこの一番上には無地の黒いパーカーが無造作に置かれている。
 おそるおそる、柳井先生を窺う。
 柳井先生が目を細め、ゆっくりと口角を上げる。
「絶望だよ。俺の絶望をみんなに分け与え、俺は幸福を得ているんだ」
 柳井先生がにんまりと笑う。目尻から、口元から、邪な感情が溢れ出ているような笑顔だった。
「俺はパイロットになりたかったんだけど、家庭内暴力の酷い父親に殴られてね、右目が悪くなったんだ」
 柳井先生がそう言って、右目を優しく労わるような手つきで撫ぜる。
「オッドアイの動物、俺は俺を殺していたのさ。俺は目を悪くした日に死んだも同然になった。クビキリで、自分の死を、未来を奪われた者の絶望を、みんなに分け与えているんだよ。それが俺の幸福だ」
「そんなものを与えられることを、みんなは望んでいない!」
 思わず、僕は声を荒げる。
 柳井先生の顔が冷たいものに変わる。感情やぬくもり、人間らしさを失った顔だ。
「先生の言うことは、くだらない詭弁だ、自己満足だ、動物を殺す変態だ」
 柳井先生は左手を机から離し、ゆっくりと自分のこめかみに持って行った。
「よく効いているようだな」
「え?」
「GABAという物質が人間の脳内にはある。中枢神経を抑制する、有名な脳内神経伝達物質だ。体内に、ベンゾジアエピン系薬物が取り込まれると、ベンゾジアエピン受容体に結合する。すると、GABAの受容体であるGABA Aがノルアドレナリン神経系、セロトニン神経系、ドーパミン神経系の働きを抑える。これにより、脳内の活動はどんどん落ち込んでいく」
 眠たくなるような話を長々と始められて困惑していると、柳井先生は「どうだ? 眠くなってきたか? 身体が動かなくなってきたりしないか?」と続けた。
 ぞくりとする。そう言えば、ずっと目眩のような感覚を覚えているし、瞼が重い。立ち上がろうと試みるが、上手くいかない。コントローラーの抜けたゲームを操作しているみたいだった。自分自身を動かすことができない。
「二人とも、自分の呂律が回っていないことに気づいていないだろ。部屋の外でたっぷり待ったからな」
「通りで、身体の調子が……」と森巣がおっとりとした口調で言う。
 カモミールティーに薬を盛られていたのか、と気づく。柳井のことを疑うことなく、僕は飲み干してしまっていた。
 僕はこのまま、柳井に殺されてしまうのか?
 妹の顔が、静海の顔が瞼に浮かぶ。静海を残して、僕は一人で死ぬのか?
 死にたくない。殺されたくない。なんとかして逃げられないだろうか。
「さぁ、さっさと眠ってくれ。そうしたら地下のガレージに運ぶから」
 柳井が腕時計を確認しながら、のんびりとした口調で言った。隣にいる森巣を見る。彼もぼーっとした表情をしていた。
 僕はもうすぐ殺される。ひゅーひゅーと、自分の呼吸する弱々しい音が聞こえる。
 どうしてこんなことになったのだろう。僕は瀬川さんの犬探しを手伝おうと思っていただけなのに。危ない橋を渡るつもりはなかった。
 ここではた、と自分の考えの未熟さに思い至った。クビキリを見ておいて、犯人を見ておいて、僕はまだ平和ボケしていた。きっと平和な町なんて存在しないんだ。見えない悪意の影を踏みながら歩いていて、気がつかないだけなのだ。いつ影に引き摺り込まれないか、注意をしていなければいけなかったのだ。
「二人とも静かになってきたな、そろそろか」
 僕は殺される。
 だったら、せめて、役に立って死にたい。
 このままただで殺されてたまるか、と歯を食いしばる。
 僕は手遅れかもしれないけど、森巣にはまだ時間がかかるはずだ。重くなる瞼に「まだダメだ」と言い聞かせる。
 森巣の役に立て、動け、体!
 渾身の力で床を思いっきり蹴り、立ち上がる。柳井先生がぎょっとするのが見える。僕はそのままテーブルの反対側へ歩を進めた。
 柳井にタックルをするつもりだった。だが、途中で足がもつれ、そのまま床に倒れこむ。受け身を取ることができず、強打したのに痛みを感じない。
 だけど、柳井の足首を伸ばした両手で掴むことができた。
「ニゲロ」
 お腹の底から声を振り絞る。
「モリス、ニゲロ」
 ぎゅうっと手に力を込める。
 すると、頭上から柳井の声が降って来た。
「平、お前のように臆病で、人の顔色ばかり窺っているような人間はな、死んでいるのと同じなんだよ。見苦しいぞ、受け入れろ」
 足をぶんぶんと振られる。必死に、振り払われないように、指先を靴下に引っ掛ける。
 舌打ちが聞こえた。瞬間、思いっきり掴んでいる両手を踏みつけられた。
 呆気なく、僕は柳井から手が引き剥がされる。追い討ちをかけるように、肩を蹴り上げられ、僕は床の上を転がった。
 それでも少しは時間を稼げたか、そう思って森巣を見る。
 愕然とした。森巣は椅子に座ったままだった。驚いたような顔で僕を見ている。ニゲロ、と口だけ動かすが、聞こえるほどの大きな声はもう出ない。
「先生、俺たちはオッドアイじゃない。だけど、いいんですか?」
 森巣が柳井に尋ねる。
「知られてしまったからには、生かしてはおけないよ」
「初めてじゃないから、ですか?」
「そんなこと、どうして気にするんだ?」
「おい、質問に質問で答えるなよ」
 再び、あのときのプレッシャーを覚えた。
 森巣にクビキリ犯じゃないのか? と尋ねた時のプレッシャーだ。
 室内に、ぴんっと糸が張り詰めたような緊張感が走る。森巣を見ると、氷のような瞳で柳井のことを見据えていた。
「瀬川の犬がオッドアイであること、散歩コースと時間をしっていることでお前のことが少し気になったが、平に『クビキリを見てどう思ったか?』と訊いたのは、欲が出すぎたな。教師がする質問じゃないぞ」
 森巣の口調ががらりと変わっている。
 まるでそこにいるのが別人であるようだった。風貌は同じなのに、爽やかさが消え失せている。
 森巣がゆっくりと立ち上がると、ティーカップを傾けた。床にお茶がびちゃびちゃと垂れていく。
「一つ訂正してやる。平は死んでいるのと同じなんかじゃない。生き抜く為に、周りを見ているんだ。周りを見ないで、一人で死んだように生きているのはお前の方だ」
 僕を一瞥し、見えてるものがちゃんとわかっていないけどな、と呟いてから柳井に向き直る。
「俺は茶を一滴も飲んじゃいない。柳井、お前も平の観察眼を見習うんだったな」
 森巣は唇の端を上げ、ティーカップを地面に叩き落とした。
 高そうな食器が悲鳴を上げるような音を立てて割れた。
「うるさい! 与えている者が上! 怯えて這いずり回る者が下! つまり、俺が上で、お前らが下だ!」
 柳井が足早にキッチンへ向かった。一体何を? と思って見つめていると、刃渡り十センチはあるサバイバルナイフが握りしめて戻ってきた。顔を真っ赤にして、蒸気機関のように息を吐き出し、森巣を睨みつけている。
「そのナイフ、格好いいじゃん。雑誌の通信販売で買ったのか?」
 森巣がからかうような口調で訊ねると、柳井は声を荒げながら、右手に持つナイフを森巣に向けて突っ込んだ。
 危ない! 逃げるんだ! そう頭の中で念じる。
 だが、森巣は逃げずに、前進した。
 森巣が柳井に向かってすり足で移動し、間合いを詰めていく。
 伸びていく柳井の右腕に、森巣も右の前腕を添えた。レールを作り、その上を滑らせるように、柳井の動きを受け流している。
 今度は素早くその右腕を引き、柳井の右手を上から掴んだ。そのまま地面に向かってスナップを効かせて押し出すと、ナイフだけが柳井の手から弾き飛び、落下した。
 動きに無駄がなく、そして大きな力を必要としない、しなやかな反撃だった。格闘と言うよりも、舞いをしているような流麗さがある。
 柳井が愕然とした様子で、目を剥き、森巣を見上げた。
 容赦なく、森巣の左拳が鳩尾にねじ込まれる。柳井は大きくのけぞり、乾いた空気を吐き出し、呻きながら膝をついた。
 森巣がしゃがんで柳井の髪を掴み、睨みつけている。
「さっさと、俺の質問に答えろ! 人間を殺したことはあるのか!?」
「ありません!」
「吉野みすずを殺したのはお前じゃないのか!?」
「それは--」
 柳井が答えるよりも前に、急かすように森巣が柳井の脇腹を殴る。「どうなんだよ? さっさと答えろ!」
「違います、違います。俺が〈先生〉からギロチンを買ったのは、四月になってからです」
「お前だって先生だろ? 〈先生〉ってのはお前のことじゃないのかよ?」再び、森巣が拳を振るう。鈍い音が響き、柳井の体が悲鳴と共に揺れ動く。
「別人です。あの人のことは、詳しくは知りません……馬車道の裏カジノで紹介されたんです」
 森巣が柳井の頬を平手打ちし、乾いた音が鳴る。柳井が情けない悲鳴をあげる。僕は顔を背けたいが、首を動かせない。
「チッ、紛らわしいなチクショウ。じゃあもう一度聞くが〈先生〉ってのはお前のことじゃないんだな?」
「……自分じゃありません」
「他に知ってることは?」
「……あ、ありません。直接会ってはいないんです。紹介されただけで」
 本当かよ、と森巣が柳井を見下ろし、「今だったら、素直にゲロったら許してやるぞ」と言った。
「本当に、知らないんです」
「そうか、残念だ」
 そう言うと、森巣は柳井の髪から手を離して立ち上がると、まるでサッカーボールでも蹴るみたいに、柳井の顎を蹴り上げた。
 柳井が勢い良くひっくり返る。床に思いっきり頭を打ちつけ、鈍い音を響かせた。
 しんとした静けさに包まれ、全てが終わったとわかる。
 ゆっくりとした足取りで森巣がやって来て、僕を見下ろした。
「平、超短時間作用型の薬は、すぐに効く代わりに持続時間が短い。平が動けるようになったら、犬を連れて帰るぞ」

つづく

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如月新一

作家です。著作『放課後の帰宅部探偵 学校のジンクスと六色の謎』 読んでる間は楽しくて、読み終わったら何かが残る、面白い小説が好きです。 http://papermoon.gloomy.jp/index.html

『モリス』(講談社リデビュー小説賞受賞作:改稿中)

第1回『講談社 NOVEL DAYSリデビュー小説賞』のWEB公開改稿執筆になります。ガッシガシ直していきますので、お楽しみいただけますと幸いです!
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