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「クビキリ」(初稿1)

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「わかってくれ、見て見ぬ振りはできないんだよ」
「僕もなんです」
「平《たいら》の気持ちもわかるけど、学校でこういうのはちょっと」
「ダメですかね?」

「ダメなんだよ」そう言いつつ、「まあ、気持ちはわからなくもないけどさぁ」と言葉が続く。

 担任の柳井《やない》先生が、困ったなあと顔をしかめる。眉根に皺が寄る音が聞こえてくるようだった。
 原因は柳井先生が手にしている紙だ。そこには、

『名前はマリン。右目が青、左目が黒。二歳、メス』

 という文言と、犬の写真がプリントされている。
 ソファに座っている白い犬は、行儀良くお座りをし、なんだか笑っているように見える。
 だが、この幸せそうな顔をしている犬は今、いないのだ。

『マリンを探しています。見かけたら、2-6瀬川潔子《せがわきよこ》までご連絡ください』

 紙には大きくそう書かれている。
 同級生の飼っている犬がいなくなってしまった。その犬探しの為のチラシを僕は廊下の掲示板に貼っていた。それを柳井先生に見つかり、「ちょっと職員室においで」と呼ばれて今に至る。

「学校は勉強する場所だからさ。掲示板に無関係のものを貼るのは、ちょっと看過できんのよ」
「でも、ボランティア募集のポスターもあるじゃないですか」
「あれは、高校の課外活動の一環だから」
「でも、瀬川さんが困ってたんですよ」

 同級生の瀬川さんが、月曜日から元気がなかった。顔色も悪く、どこか思いつめたような表情をしていた。困っている様子の瀬川さんを見て見ぬ振りができず、僕は「何かあったの?」と声をかけた。

 そうしたら、飼っている犬がいなくなってしまったのだと教えてくれた。瀬川さんは、誰もやりたがらない学級委員長を引き受けてくれて、ホームルームを仕切ってくれている。いつもクラスの為に働いてくれている彼女のために、何かできないかと考え、「チラシを作って掲示しよう」という話になったのだ。

「で、その瀬川は?」
「今は多分、家の近所に張りに行ってると思います」
「そっちは許可を取ってあるのか?」
「……多分。そっちは瀬川さんが、学校は僕が担当するよとなったので」
「瀬川だったら、ちゃんとしてそうだな。にしても平、勝手に貼るのはだめだ。いや、まあ、どっちみち許可は下りないんだけどさ」
「どうしても--」
「だめだなぁ。他の先生に見つかってたら反省文だぞ。見つけたのが俺だっただけでも、ラッキーだと思って諦めてくれ。まぁ、犬探しを手伝おうっていう平の気持ちは良いことだと思うけどさ」

 柳井先生が慰めるような優しい笑顔を浮かべる。
 柳井先生は若いので生徒と歳が近い。たまに砕けた口調で話すので親近感も湧く。授業もわかりやすくて気さくだし、僕も好きな先生だ。そんな先生を困らせるのは心苦しいが、まだ引き下がれなかった。

「先生、クビキリって知ってますか?」

 思い切って、そう口にする。

「クビキリ?」

 クビキリ、首切り、僕の口から物騒な言葉が出て来たので、柳井先生が怪訝な顔をした。目を瞬かせ、柳井先生が何かを言いかけたとき、「柳井先生!」と職員室の扉から他の先生の声が飛んで来た。どうやら呼び出しらしい。

 柳井先生は僕と入り口を交互に見て逡巡するような間を置いてから、「ちょっと待っててくれ」と僕に言って席を立ち、職員室を出て行った。
 話はこれからだったのに、と肩をすくめると、

「連れて来て置いて、放置はないよな」

 と声をかけられた。
 振り返る。
 そこに立つ男子生徒を見て、息を呑んだ。

 彼の白と黒が印象的だった。傷やにきび跡の一つもない白い肌、そして対照的な濡れ羽色をした柔らかそうな髪。切れ長の二重瞼で、優しそうに目を細め、笑みを浮かべている。
 イケメンと言うには言葉が安い。男の僕でもはっとするくらい、整った顔立ちをしていた。話をするのは初めてだ。クラスは違うけど、顔と名前は知っている。

「まあ、悪いのは僕だし……そっちは何かしたの?」
「俺も捕まったんだ」
「悪さをするタイプには見えないけど」
「人は見かけじゃ判断できないよ。もしかしたら、悪い奴かもしれない」
「どれくらい?」
「学校の印刷室で勝手に犬探しのチラシをコピーするくらい」

 そう言って、彼は手に持っている紙を僕に見せた。

「掲示板から一枚取ったんだ。盗むのは気がひけるから、印刷室でコピーしてたら見つかった。あそこ、勝手に使っちゃいけないらしいよ」

 彼は悪びれる様子もなくそう言うと、チラシをまじまじと見た。

「ミニチュアブルテリアか。犬は好きだよ。昔、飼ってたことがある」
「そうなんだ。実はそのチラシ、僕が貼ってたんだよ」
「平の話は聞いてたよ、後ろでね」

 彼はそう言って薄く笑う。

「俺は森巣良《もりすりょう》」
「知ってる」
「知ってる?」
「有名だよ。少女漫画に出て来そうだってうちのクラスの女子も話してる」
「交通事故にあって記憶がなくなったり、重い病気で死なない役だと良いな」

 そう言って森巣が愉快そうに笑う。彼が少女漫画に出てくるなら、ヒロインをいじめから救う王子様みたいな役だろう。
 ところで、と森巣が言い、真剣な顔つきになって僕を見た。

「クビキリって何? 柳井先生、クビになっちゃうの?」
「違う違う。そういう意味じゃないよ」

 森巣が不思議そうに首をかしげる。クビキリを知らないのか? と少し驚いたけど、それは彼が日向を生きている証拠のようにも思えた。暗い話題と縁がなく生活を送っているのだろう。それはそれで良いことだ。

「最近、動物の首が切られて、町に頭が置かれる事件が起こってるんだ」

 僕が説明をすると、森巣が痛々しそうに、顔をしかめた。わかる、こんな話辛いよね、と思わずにいられない。

「で、その犯人を僕は見たかもしれないんだ」
「マジで!?」

 彼は目を剥き、驚きで口を大きく開けた。

「それでね」と僕が言いかけたところで、「お待たせお待たせ」と柳井先生が戻ってきた。僕と森巣が喋っていたことに気づいていないようで、「それで、なんだっけ」と言いながら椅子に座る。

 森巣に視線を移すと、空気を読んだ風で苦笑しつつ右手を振り、職員室の出口へと向かって行った。話の途中だったので、なんだか申し訳ない。

「クビキリ、だったよな。あの動物のやつのことか?」
「はい。実は僕、野毛にある図書館の裏でクビキリを見つけたんです」
「本当か!?」
「はい、あと多分、もしかしたら犯人も」

 柳井先生が面食らった様子で口に手をやり、まじまじと僕を見る。

「クビキリがあるの、この辺じゃないですか。それに、瀬川さん、散歩中に犬を拐われたらしいんですよ。クビキリ事件に巻き込まれてるんじゃないかと思ったら不安で仕方がなくて。どうしてもチラシを貼るの、ダメですかね?」
「なるほどなぁ、そんなことがあったのか。悩ましいなぁ」

 僕に同情するように、柳井先生が目を細める。

「クビキリ、警察には言ったのか?」
「はい。通報しました」
「そういうことは、学校とか俺にも報告してくれよ」
「気を遣わせてしまったら申し訳ないなと思って。すいません」
「……わかった。多分、ダメだと思うけど、チラシの件は俺から許可を取れないか聞いてみるよ」

 柳井先生が、考えながら唸るようにそう言った。

「本当ですか?」
「でも、期待はしないでくれよ、偉い先生は頭が固いから」
「ありがとうございます!」

 深く頭を下げ、柳井先生にお礼を言う。瀬川さんの犬を見つける為なら、できることをしていきたい。

「それで、平はどう思った?」
「どうって?」
「クビキリを見たんだろ?」

 先生に尋ねられ、意識がふわりと体を抜け出すような感覚を覚えた。
 夜、ベンチの上に置かれていた猫の頭と向かい合っている、あの日を思い出す。

 かっと見開かれていた目は、虚空を見つめていた。何かの置物かと思ったが、死骸だ、とわかったときに頭と体が固まった。

 僕はしばらくの間、呆然と、クビキリと見つめあっていた。死との対面、悪意を見せつけられ、心をどす黒いペンキでぐちゃぐちゃに汚されていくような気持ちを味わった。

「命は、理不尽な終わりを迎えることもあるんだ、そう思いました」
「そうか。学校にはスクールカウンセラーの先生もいるし、俺もいる。だから、思い出して辛いと思ったら、遠慮しないで相談するんだぞ」
「ありがとうございます。辛くなったら、そうさせてもらいます」

 くれぐれも抱え込むなよ、と柳井先生に言われ、恐縮しながら職員室を後にする。

 チラシを貼らせてもらえるかもしれない、良かった、そう思いながら外に出ると、すぐそばに六、七人の生徒が固まって談笑していた。スポーツが得意そうな背の高い男子や、髪にゆるいパーマのかかった女子たちだ。彼らの邪魔にならないように脇を通り抜ける。

「平」

 呼ばれ、ビックリしながら視線を移すと、集団の中心で森巣が手を振っていた。

 やはり彼は人気者なのだなぁ、とぼんやり思いながら小さく手を振り返す。

「ごめんみんな、俺このあと用事あるから」

 森巣は周りにいる生徒たちにそう言うと、一人で抜け出した。
 みんなの名残惜しそうな視線を背に受けながら、森巣は迷いのない足取りで僕の前にやってくると、立ち止まった。
 用事はどうしたのだろう? と思っていたら森巣は僕の顔を見て口を開いた。

「平ってこの後時間ある?」
「この後?」
「さっきの話、詳しく話を聞かせてもらえないかな?」
「さっきの話?」
「クビキリの話」

つづく

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如月新一
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